2012年11月11日日曜日

今もあるシリーズ「床(とこ)」

「床」という漢字は「とこ」「ゆか」と両方の読みがありますが,今ではフローリングの家庭が多いせいか「床暖房」「床板」「床上浸水」「床張り」など「ゆか」と読む人が多いのかもしれません。
しかし,言葉的には「とこ」と読むほうが多いようです。今も使われる名詞系の熟語をあげます。建設用語や農業に関する用語も多く出てきます。

「鉄床」「床上げ」「床入り」「床覆い」「床飾り」「床固め」「床框(がまち)」「床挿し」「床締め」「床擦れ」「床土」「床箸」「床柱」「床払い」「床間」「床万力」「床屋」「床山」「床脇」「苗床」「寝床」「野床」

動詞形の熟語は次のようなものがあります。

「床に就く」「床をあげる」「床をとる」

万葉集では床は次のような使われ方(熟語)で出てきます。

朝床(あさとこ)‥朝まだ起きていないでいる寝床
荒床(あらとこ)‥硬くごつごつした寝床
岩床(いはとこ)‥岩の面が平になっているところ
奥床(おくとこ)‥家の奥にある寝床
玉床(たまとこ)‥寝床の美称
床じもの‥床のように
床辺(とこへ,とこのへ)‥床のあたり
外床(とどこ)‥入口に近い所にある寝床。外側の寝床。
夜床(よとこ,ゆとこ)‥寝床。
小床(をどこ)‥小さな寝床。

では,どのように床が詠われているか,万葉集からいくつか見ていきましょう。

彼方の埴生の小屋に小雨降り床さへ濡れぬ身に添へ我妹(11-2683)
をちかたのはにふのをやに こさめふりとこさへぬれぬ みにそへわぎも
<<田舎の土でつくった小屋は,少しの雨でも降ると雨漏りが激しく寝床まで濡れてしまう。おれにぴったりと寄り添って寝て寒さを防ごうよ,おまえ>>

この短歌の作者(不詳)は,妻問いをするような中流階級以上ではなく,毎日夫婦で生活する農業を営んでいるような身分だったのだろうと私は想像します。
<当時の貧しい夫婦は?>
木や萱などで屋根を葺いた天漏れのしない家ではなく,土壁で囲い,屋根も土と藁か干し草を混ぜたようなものをのせただけで,ひび割れた個所から天漏れがひどかったのだのでしょう。でも,床で身を寄せ合って耐える仲の良い夫婦の様子が見えてきそうです。
<今は?>
今,こんな天漏れのひどい家に住んでいたら夫婦仲は仲が良くなることは恐らく無いでしょうね。不満が爆発し,喧嘩してどちらかが親元に帰るようなことになるでしょう。
現代では,結婚するまでに豊かさを満喫した経験を持つ人が多く,結婚後それより大幅に悪い暮らしになるる予想されると,たとえ大恋愛をして結婚を前提に考えようとしたとしても,結婚まで踏み切れないのかもしれません。今の世の中,独身者が多くなっているのは,そんなことが原因なのでしょうか。
<幼い頃の貧しさと豊かさ>
万葉時代の庶民は,恐らく親は子供には幼いころから過酷な仕事を手伝わせたり,喧嘩相手の兄弟が多く,今のように親に庇護され育つ家庭にように自宅が安楽の地と感じることはなかったと私は思います。そのため,子供は誰もが結婚して自分の家庭を持ち,自活することのほうが,たとえどんなに苦しく,つらい状況ても自宅で親といるより夫婦にとって幸せと感じられたのではないでしょうか。
若いころ一度豊さを味わってしまうと,それが前提となり,豊かさが少しでも減ると不幸だとどうしても感じてしまうのは人間の性と言わざるをえないのでしょうね。私は,森鴎外の「高瀬舟」に出てくる喜助のようなとことん「足るを知る」人間には到底なれませんが,喜助の話を聞いて心を動かされる庄兵衞の気持ちはよく分かります。
さて,次は東歌(女性作)で,ほのぼのさを感じる短歌です。

港の葦が中なる玉小菅刈り来我が背子床の隔しに(14-3445)
みなとのあしがなかなる たまこすげかりこわがせこ とこのへだしに
<<港に生い茂る葦の中から美しい菅草を刈取ってきてください。それを二人の床に敷きましょう>>

万葉時代,一般庶民の家のは,単なる木の板を並べたものか土を固めて平らにしたものだったのかもしれません。
布団のようなものはなく,そのままでは硬くて,冷たくてとても安らかに寝られるものではなかったと私は思います。
恋人と気持ちよく共寝ができるように美しくて可愛い小菅をいっばて敷き詰めてほしいというお願いをして,相手の男性の来るのを待っている気持ちを表していると私は感じます。
最後に,柿本人麻呂が妻の死を悼み詠んだ挽歌の中に出てくる悲しい短歌を紹介します。

家に来て我が屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕(2-216)
いへにきてわがやをみれば たまどこのほかにむきけり いもがこまくら
<<家に戻り共寝した部屋を見ると,妻が寝ていた床の外側(家の入口に近い方)に置いてある妻の木枕があった。その木枕を使う妻は居ないのだ>>

妻は先に床に入り,夫は後から入るため,妻の枕は内側(入口が遠い方)に置き,夫の枕は外側(入口に近い方)に置くのが慣習だったのではないかと私は想像します。最愛の妻がこの世を去った悲しみを,共寝をした床を見るごとに「もう一緒には寝ることはできない」とい寂しさを感じ続ける自分と併せて表現しています。人麻呂のプロフェッショナルな表現力を改めて感じる秀歌です。
さて,朝床を出ると朝ご飯を食べますね。次回は飯(めし)を取り上げます。
今もあるシリーズ「飯(いひ)」に続く。

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