2018年9月21日金曜日

続難読漢字シリーズ(34)…乍(なが)ら

しばらくアップが途絶えてしまいました。
8月7日,6カ月超の病気休職から職場復帰を果たしたのですが,やはりIT業務における約半年のブランクを埋めるのは結構大変でした。ようやく職場復帰も軌道に乗ってきたのでアップする時間が何とか作れました。
プロスポーツ選手や音楽のプロ演奏家が6カ月まったくその仕事や練習に関わらなかったら,すぐ元に戻らないのと同じかも知れません。
特に,既存システムのソフトウェア保守をやっていると,半年の間にシステムの稼働環境やアプリの更新が結構進んでいて,多数の更新の内容,理由,運用への影響,各種文書の更新状況も把握する必要があり,時間がとられたこともあります。何せ,40数年間ITの仕事をしてきて,仕事を離れたのは結婚のときに約2週間休んだのが最長で,6カ月間以上まったくITの仕事を休むなんてことは初めてだったこともありました。
アップできなかった言い訳はこのくらいにして,今回は「乍(なが)ら」について万葉集をみていきます。
「音楽を聞き乍ら,仕事をする」といった使い方をする「ながら」です。「ながら族」という言葉が流行った時代もありましたが,若い人は知らないかも知れません。
最初は,もっとも多く万葉集に出てくる「神乍(かむなが)ら」という言葉が使われている,持統天皇が吉野に何度目かはわかりませんが行幸(みゆき)したとき柿本人麻呂が詠んだとされる長歌の反歌を紹介します。

山川も依りて仕ふる神乍らたぎつ河内に舟出せすかも(1-39)
<やまかはもよりてつかふる かむながらたぎつかふちにふなでせすかも>
<<山川の神も同様に服従する大君は,激流の川を抱えた宮地より舟出なさる>>

「神乍(かむなが)ら」とは,神と同じという意味ととらえられます。これは「天皇は神と同じ」という讃嘆の意味で宮廷歌人たちが儀礼的に使用する言葉だったのでしょう。
次に紹介するのは,仏教の無常観を色濃く詠んだと思われる短い長歌風の和歌です。

高山と海とこそば 山乍らかくもうつしく 海乍らしかまことならめ 人は花ものぞ うつせみ世人(13-3332)
<たかやまとうみとこそば やまながらかくもうつしく うみながらしかまことならめ ひとははなものぞ うつせみよひと>
<<高山と海はまさに,山は山として存在し,海は海としてあるがままに存在する。
ところが,人は花がすぐ散るように,はかなくこの世に生きているのである>>

人があっけなく死んでしまうことが多かった万葉時代ですから,こんな和歌を詠ませたのかも知れません。ただ,作者は人の命の「はかなさ」を花にたとえているのですから,また咲いてくれることを想定していると私は感じます。そのことを意識して詠んだとすれば,作者は「生命は死んだら終わり」という考えを持っていない可能性があります。
仏教には「生命は永遠である」と教える経典もあります。前世,現世,来世(三世)というように,生命はずっと続くというのです。
作者が知っていたかどうかは定かではないですが,前世が終わって,現世に生まれてくることは非常に稀有なことだから,現世での命を大切にし,世のために尽くして,充実した人生を歩むことが,来世も幸福な生命として産まれてくるために大切と説く仏教の経典もあります。
さて,次に紹介するのは,越後で詠まれたという仏足石歌体(五・七・五・七・七・七)という珍しい歌体の和歌です。万葉集では,この歌体とされるのは,この1首のみです。

弥彦の神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮衣着て角つき乍ら(16-3884)
<いやひこの かみのふもとに  けふらもか しかのふすらむ かはころもきて つのつきながら>
<<弥彦の神山の麓に今日もまた鹿がひれ伏しているのか,皮衣を着て角をつけたまま >>

この和歌は「神の使いである鹿が,霊験あらたかな弥彦山の神に山麓でひれ伏しいる。まさにそれは鹿で,皮の色も鹿の模様で角もちゃんとあったよ」といったくらいの軽い意味にとらえておけばよいと私は考えます。
作者が今の新潟県にある弥彦山に旅で寄った時,麓で休んでいる鹿を見て感じたことを(最後の七文字)も付け加えたくて作ったのでしょう。「そういえば鹿だから角もあったことも入れないとね」といった具合に。
最後に紹介するのは,大伴池主が越中で,大伴家持から贈り物としてもらった針袋に対して返答した短歌の1首です。

針袋帯び続け乍ら里ごとに照らさひ歩けど人も咎めず(18-4130)
<はりぶくろおびつつけながら さとごとにてらさひあるけど ひともとがめず>
<<針袋を腰につけたままいろいろ里を歩いてみましたが,誰も取り立てて話しかけてくれませんでしたよ>>

この短歌は,非常に難解だと私は感じます。
大伴池主と家持との間柄は,通常の親戚との付き合いではなく,特殊な関係があったかもしれないと感じるからです。
池主が家持からもらった針袋(旅のときに携帯するためのものの一つ)について,返答の歌を贈っていであることは分かりますが,それにしては,あまり有難さを伝えようとした感じがありません。
「私は越中にいるが家持殿と違い現地の人からまだ受け入れられず,旅の途中の人とみられているから,旅の用具を身につけても何も里人から変に思われない」ということか?
将又(はたまた)「家持殿からこれを贈られたのは,『早く旅立って京に帰れ』という指示で,里人もそのことを知っており,私が旅の携帯品の針袋を持って歩いていても,何も言わない」ということか?
いずれにしても,この二人の関係は儀礼的な感謝の気持ちを返すだけの関係でなかったことだけは確かでしょう。
(続難読漢字シリーズ(35)につづく)

2018年8月4日土曜日

続難読漢字シリーズ(33)…響む(とよむ)

今回は「響(とよ)む」について万葉集をみていきます。大きな音を発して,うるさい状況を表す意味です。現在では「ひびく」と読みますが,万葉時代は「とよむ」という言葉が多く使われていたようです。。
「とよむ」はその後「どよめく」という言葉に変化していったのかもと私は想像します。
万葉集で「響む」の代表格は「霍公鳥(ほととぎす)」がうるさく鳴く表現が12首ほどに出てきます。今回は「霍公鳥」の鳴き声の「響む」は取り上げず,その他の音に関する「響む」について詠まれているものを取り上げます。
最初は,大きな音ではないのに「響む」を使った女性作の短歌です。

敷栲の枕響みて寐ねらえず物思ふ今夜早も明けぬかも(11-2593)
<しきたへのまくらとよみて いねらえず ものもふこよひはやもあけぬかも>
<<あなたの枕が大きな音を立て寝られない。物思いにふけった今夜も もうじき朝になるのね>>

「枕が大きな音を立てる」というのはどう解釈すればよいのでしょうか。
私の勝手な解釈ですが,夫の妻問いを待つため,夫用の枕を自分の枕の横に用意しているけれど,一向に夫は来ない。
使われていない夫用の枕(当時は木製?)を,うつらうつらしている間に誤って触って倒すと大きな音がする。その音に目が覚め,その後は「なぜ夫は来ないのか」と物思いにふけっていると,夜が明けてしまいそうだという情景です。
さて,次に紹介するのは,波の潮騒が響くことを詠んだ,これも女性作の短歌とされるものです。

牛窓の波の潮騒島響み寄そりし君は逢はずかもあらむ(11-2731)
<うしまどのなみのしほさゐ しまとよみよそりしきみは あはずかもあらむ>
<<牛窓の波の潮騒が島全体に響くように周囲が騒がしいようです。寄りそうあなた様としばらく逢えないかもしれません>>

牛窓は,瀬戸内海に面した今の岡山県牛窓町付近とされているようです。
牛窓には前島などいくつかの島がすぐ前にあり,島間の海流が激しく,潮騒の音が大きく響くことで京にも知られた場所だったのかもしれません。
この短歌の作者がここを訪れたわけではなく,牛窓の瀬の地域情報を序詞に引用して作歌したと私は思います。それにしても,どれだけ二人は関係は騒がれたのでしょうか。
最後に紹介するのは,東歌です。

植ゑ竹の本さへ響み出でて去なばいづし向きてか妹が嘆かむ(14-3474)
<うゑだけのもとさへとよみ いでていなばいづしむきてか いもがなげかむ>
<<竹林の根元まで響くように大騒ぎして私が旅立った後,どこを居ても妻は嘆くことだろう>>

おそらくですが,作者(夫)が徴兵か徴用で遠くへ旅立つ際の見送りのとき,近所の人たちが集まり,みんなで旅の無事や引き立てられた仕事の活躍と幸運を祈り,チャンスが来たことを祝い,盛大に見送ったのでしょう。
見送る側は,作者の名前を連呼し,飛び上がってバンザイのようなことをしたのかも知れません。その見送り時の人が飛び跳ねる音は,竹林も揺るがすような大きな音だったと作者は感じたのです。
しかし,妻だけは,そんな大騒ぎの陰で自分が居なくなったことに悲しみ暮れるだろうと思われることがツライ。そんな気持ちが伝わってきます。
日本人は「響む」ような大きい音に対して,その反対の静けさをも大切にする割と少数の民族かもしれないと私は感じます。場所にもよりますが,お隣の韓国や中国の人々は大声で話をするほうがポジティブに感じるようです。しかし,日本人は周りに気を遣い,空気を読んで静かに話すほうがポジティブに感じる人が多いのではないでしょうか。
日本人が静けさを大切にするのは,実はさまざまな小さな「音」(例:笹の葉が微風に揺らされ擦れ合う音,池に小さなカエルが跳び込む音,小川のせせらぎの音など)に対して,繊細で敏感な感性を持っているからかも知れません。そのヒントが万葉集を分析すれば分かるかもしれませんが,今後の課題ですね。
(続難読漢字シリーズ(34)につづく)

2018年7月17日火曜日

続難読漢字シリーズ(32)…艫(とも)

今回は「艫(とも)」について万葉集をみていきます。船の後方,船尾の意味です。船の前方である船首は舳先(または単に舳)といいます。舳先(へさき)は,今でもよく使いますので,読める人は多いかもしれませんが,艫はさすがに難読でしょうね。
最初に紹介するのは,船の前後にどんな波が寄せてくることを序詞に詠んだ詠み人しらずの短歌です。

大船の艫にも舳にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに(11-2740)
<おほぶねのともにもへにも よするなみよすともわれは きみがまにまに>
<<大船の船首や船尾にも波は打ち寄せる波のように嫌な噂が大きく立っていますが,私はあなたの想いのままに従います>>

万葉時代大きい船といっても,今の外洋船に比べたら,ごく小さな船だったでしょうね。
転覆しないように,船は波の線の垂直方向に向かって進まないと,横波を受けて簡単に沈没する恐れが高くなります。
波に垂直に向かって進むことが安全とはいえ,波が大きいと船の先端や後尾は大きく上下に揺れます。この短歌の作者は,そんな荒れた海で船旅をしたことがあるのでしょうか。
さて,次に紹介するのは,最初に紹介した短歌とよく似ているように見えますが,東歌です。

大船を舳ゆも艫ゆも堅めてし許曽の里人あらはさめかも(14-3559)
<おほぶねを へゆもともゆもかためてし こそのさとびとあらはさめかも>
<<大船を船首や船尾も綱で固く結んであるように,地元の里人も見ない振りをしてくれるだろうよ>>

恋の歌を示すものはどこにも出てこないのですが,この短歌は一つ前の女性作と思われる短歌への返歌と考えられます。二人の仲がしっかり結ばれていることを相手に伝えたい思いからの作でしょうね。

逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ船に君も逢はぬかも(14-3558)
<あはずしてゆかばをしけむ まくらがのこがこぐふねに きみもあはぬかも>
<<遭わないで都に行ってしまわれるのは残念です。まだ,枕香が残る古河を行く船でお逢いできないものでしょうか>>

最後に紹介するのは,天平5年に遣唐使が航路の安全を難波の住吉の神に祈願したと伝承された長歌の一部です。

~ 住吉の我が大御神 船の舳に領きいまし 船艫にみ立たしまして さし寄らむ礒の崎々 漕ぎ泊てむ泊り泊りに 荒き風波にあはせず 平けく率て帰りませ もとの朝廷に(19-4245)
<~ すみのえのわがおほみかみ ふなのへにうしはきいまし ふなともにみたたしまして さしよらむいそのさきざき こぎはてむとまりとまりに あらきかぜなみにあはせず たひらけくゐてかへりませ もとのみかどに>
<<~ 住吉の我らの大御神様,船の舳先をなすがままにされるべく艫に立たれ,立ち寄る磯の崎々へすべて無事に着き,停泊ができますように。停泊する崎々で暴風や荒波に遇うことなく,どうか平穏に帰れますように,もとの朝廷に>>

遣唐使は大阪の南にある住吉津(すみのえのつ)にあった港から出港し,出港の前には奈良の京から大勢の人が大和川を下って見送りに来て,航海の安全を祈願するために建てられたであろう住吉神社(現:住吉大社)に,皆で海路の安全を祈願に詣で,旅立つ人を盛大に見送ったのだろうと想像できます。
住吉津は,古墳時代から国内外の多くの人や荷物を扱う港として大いに繁栄したと考えられます。その豊かさで,百舌鳥(もづ)古墳群や黒姫山古墳のような古墳群を作る財力と,人力が集まったのだと私は思います。
後の堺(さかい)という都市の大きな発展は,こういった地の利の良さも大きな要因だと私は考えてしまいます。
(続難読漢字シリーズ(33)につづく)

2018年7月3日火曜日

続難読漢字シリーズ(31)…常滑(とこなめ)

今回は「常滑(とこなめ)」について万葉集をみていきます。常滑焼という陶器を知っている人や愛知県常滑市をご存知の方にはすぐ読める漢字でしょうね。
早速,最初に紹介するのは,柿本人麻呂が,何度か行われた持統天皇の吉野行幸のうちで詠んだといわれる有名な短歌(長歌の反歌)です。

見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む(1-37)
<みれどあかぬよしののかはの とこなめのたゆることなく またかへりみむ>
<<見飽きることのない吉野の川底が常に滑らかであるように、絶えることなくまた見ましょう>>

奈良盆地の川は,吉野の川に比べて,川床に泥が堆積し,草木も生えて「常滑」とはいえなかったのでしょう。
その点,天武天皇ゆかりの地で,避暑地で別荘地の吉野の川は,激しい水流に洗われた川床や岩は「常滑」にふさわしいものだったとこの短歌からは読み取れます。
さて,次に紹介するのは,柿本人麻呂歌集から転載されたという短歌です。

妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも(9-1695)
<いもがかど いりいづみがはのとこなめに みゆきのこれりいまだふゆかも>
<<妻の家の門を入って出る(いず)という泉川の常滑の石の上には,雪が解けずに残っているので,このあたりの季節はまだ私の心のように寒い冬なんだなあ>>

作者は,奈良の京から旅に出て,木津川あたりでこの短歌を詠んだとされています。
木津川あたりにまで来ると,これから人家の少ない心細い道を行くことになるため,少しのことで寒さを感じたのでしょうか。
最後も,二番目に紹介した短歌とは別の巻に出てきますが,柿本人麻呂歌集から転載されたという短歌です。

こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ(11-2511)
<こもりくのとよはつせぢは とこなめのかしこきみちぞ こふらくはゆめ>
<<山に囲まれたが立派な泊瀬街道は,初瀬川を渡る箇所が多くあり,水の上に出た岩の上は滑りやすいので,渡るときは注意が必要な道です。恋の道も渡る時も(滑りやすいので)油断しないことが肝要>>

なかなか教訓的な短歌ですね。「万葉集教訓歌」という本を出すと選ばれそうな気がします。
私が初瀬街道を歩いた経験と写真を2015年7月28日投稿しています。この短歌も載せていますが,その時感じた新鮮さで訳しています。今回はその奥にある教訓めいた部分を強調するために,背景的な訳も入れて訳してみました。
以上3首のように,万葉時代「常滑」の状態というのは,いつも清水に洗われているツルツルした岩をイメージしていたのでしょう。
また,そんないつもきれいに磨き上げられた表面に万葉人は憧れていたと私は想像します。常滑の岩以外にも,磨き上げられた手鏡や仏像,大黒柱や床柱,琴の板や太鼓の胴,磁器やガラス器,漆塗りの箱や厨子,宝石でできた玉や瓶など,表面が「常滑」に感じられるものの価値は高かったのかも知れません。
(続難読漢字シリーズ(32)につづく)

2018年6月24日日曜日

続難読漢字シリーズ(30)…常磐(ときは)

今回は「常磐(ときは)」について万葉集をみていきます。現代では,常磐は「ときわ」または音読みで単に「じょうばん」と読み,意味として,常陸の国と磐城の国の併称,福島県いわき市,その地域の施設(常磐公園=偕楽園)や史跡(常磐神社=偕楽園内にある水戸光圀を祀る神社)を指す言葉として使われているようです。
しかし,万葉集では別のいくつかの意味で詠まれています。
最初に紹介するのは,山上憶良が世の無常を神亀5(728)年7月21日に太宰府で詠んだとされる短歌です。

常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも(5-805)
<ときはなすかくしもがもと おもへども よのことなればとどみかねつも>
<<大きな岩のようにいつまでも変わらずにいて欲しいと思いたいが,世の中のことはひと時も変わらないことがない>>

憶良は仏教の無常観から「無常」の反対語として「常磐」という言葉を使い,この短歌を詠んだのだろうと私は思います。
人間は「常磐」のように絶対的に変化しない状態(真実は一つ)がいつまでも続いてほしいと願うものである。その絶対的なものにすがることが安心・安寧な幸せな人生だと考える人が多いが,世の中は「生老病死」という苦悩が常にいろいろな形で予断無くやってきて,それを許してくれないと。
ところで,万葉時代は「生老病死」の苦悩の中でも「老病死」の比率が高かったと想像できます。ただ,今の時代では「生きる」の苦悩の比率が高いのかも知れません。
人間関係の悪化,他人との比較での落胆,人生の目的や夢の喪失,仕事のスキルアンマッチなどにより,社会の中で「生きる」こと自体が苦しいと感じ,場合によっては精神疾患になる人が少なくない現代社会になっているような気がします。
「これだけをやっておけば大丈夫」というもの(宣伝文句によく使われる?)を求め,面倒なことを避けたり,今やるべきことを先送りしていた結果,あるとき「こんなはずではなかった」と気が付いてしまうのです。その失敗を繰り返し,(悪いのは他人だと思いつつも)失敗の後悔が重なることで「生きる」苦悩が強くなり,「生きている今の自分」を「その自分」が責め,苦しめることになってしまうのです。そして,自殺を選んだ人の中にはそんな「生きている自分」に対し,自分自身が作る苦悩に耐えられなくなった人も多いのでしょうか。
私は,世の中は無常(常に変化するもの)が前提と考え,常に状況の変化を注視し,先の変化を的確に予測できる能力を磨いていく努力が,「生きる」苦悩を乗り越え,「生きる」楽しさを得る有効な道の一つだと考えています。
さて,次に紹介するのは,常緑樹の橘の葉を形容として「常磐」を使い,大伴家持が高岡で元正(げんしやう)上皇崩御を悼み,その後見役の橘諸兄(たちばなのもろえ)に期待する短歌です。

大君は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして(18-4064)
<おほきみはときはにまさむ たちばなのとののたちばな ひたてりにして>
<<太上天皇は常磐の橘の葉ようにそのお力は不変です。橘様の橘もいつも照り輝き続けています>>

京では藤原仲麻呂(ふぢはらのなかまろ)の力が増大し,強引なやり方をセーブする役割として諸兄にいつまでも(常磐に)期待している家持の気持ちが表れた短歌だと私は感じます。
最後に紹介するのは,同じく家持が天平宝字2(758)年2月に式部大輔(しきぷのたいふ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろあそみ)宅の宴で,変わらぬ結束の誓いを詠んだ短歌です。

八千種の花は移ろふ常盤なる松のさ枝を我れは結ばな(20-4501)
<やちくさのはなはうつろふ ときはなるまつのさえだを われはむすばな>
<<いろんな花がありますが,みないずれ色あせてしまいますが,いつまでも変わらぬ色の葉を持つ松の枝のように私たちは友情を結び合いましょう>>

家持より10歳以上年上だが将来は大臣になると目される清麻呂との関係を強く持ちたいという家持の思いがこの短歌から読み取れます。この10年余り後,家持が光仁朝になって昇進を速めるのですが,その当時清麻呂は右大臣に昇進していたのです。家持の期待通り,清麻呂と家持の関係は比較的良かったのではないかと私は思います。
ところで,広辞苑で「常磐」を引いてみると,この3首が3つの意味の違いの用例として出ているのです。約1300年前に「ときは」という言葉が,どのような異なる意味で使われていたかを万葉集はそれぞれ別用例で示してくれているのです。
万葉集は,五十音順などの並び順でないことを気にしなければ,まるで当時の日本語(ヤマト言葉)の辞書か文法書のような目的で編纂されたのではないかと感じてしまう私がいます。
(続難読漢字シリーズ(31)につづく)

2018年6月14日木曜日

続難読漢字シリーズ(29)…黄楊(つげ)

今回は「黄楊(つげ)」について万葉集をみていきます。「黄楊」は植物の名前です。小さな丸みのある葉の常緑樹で。丸い形に剪定して庭木などにします。私の庭にもまだ幼木ですが植えています。
ツゲは漢字で「柘植」とも書きますが,万葉集の万葉仮名ではツゲを詠んだすべての和歌で「黄楊」が使われています。「柘植」は三重県などに地名としてありますので読める人も結構いらっしゃるかも知れませんが,「黄楊」はなかなかの難読漢字でしょうか。
さて,最初に紹介するのは,播磨地方(今の兵庫県)に着任していた役人の石川大夫が京に選任され(帰任),地元を離れるときに地元の娘子が別れを惜しんで贈ったされる短歌です。

君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず(9-1777)
<きみなくはなぞみよそはむ くしげなるつげのをぐしも とらむともおもはず>
<<あなた様が京に帰られたたら,私は身を装いましょうか。化粧箱の黄楊の櫛を取ろうとさえ思いませんわ>>

黄楊の幹は非常に硬く,櫛の歯のような細い切り込み加工をしても,歯が折れたりすることがすくなく,万葉時代から櫛の材料として非常に重宝されていたのです。高級なツゲの櫛ももう使う必要なくなりましたという歌意でしょう。
なお,今でも国産のツゲの木で作った櫛は,最高級品で2万円以上していそうですが,それでも購入して利用する人がいるようです。
次に紹介するのは,柿本人麻呂歌集に出ていたという,黄楊の枕を詠んだ短歌です。

夕されば床の辺去らぬ黄楊枕何しか汝れが主待ちかたき(11-2503)
<ゆふさればとこのへさらぬ つげまくらなにしかなれが ぬしまちかたき>
<<夕方になると夜床の傍らから離しはしないぞ黄楊の枕よ。何か彼女を夢に見させておくれ>>

黄楊の木を細かくしたものの角を削り丸くしたチップを枕に入れると,頭に当てて寝返りをするとサラサラと音がして気持ちが良かったのかも知れませんね。今でも,木片やプラスチックのチップ,そば殻などを枕の中に入れたものが売られています。
最後に紹介するのは,やはり黄楊の櫛に関するものですが,黄楊の産地が分かるものです。

朝月の日向黄楊櫛古りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ(11-2500)
<あさづきのひむかつげくし ふりぬれどなにしかきみが みれどあかざらむ>
<<日向の黄楊櫛は使い古して古くなりましたが,どうしてあなたはいつ見ても見飽きないのでしょう>>

日向(ひむか)はどこの場所か私は知りませんが,良い櫛の材料となる黄楊の木がたくさん生えていて,日向黄楊櫛は万葉時代長持ちする櫛の高級ブランドだったのかも知れません。
(続難読漢字シリーズ(30)につづく)

2018年6月6日水曜日

続難読漢字シリーズ(28)…搗く(つく)

今回は「搗く(つく)」について万葉集をみていきます。意味は杵(きね)や棒の先で打って押しつぶす動作です。「餅を杵で搗く」「戦時中の疎開先で,一升瓶に入れた玄米を棒で搗いて白米にした」といった使い方をします。
最初に紹介するのは東歌で「搗く」がでくるものです。

おしていなと稲は搗かねど波の穂のいたぶらしもよ昨夜ひとり寝て(14-3550)
<おしていなといねはつかねど なみのほのいたぶらしもよ きぞひとりねて>
<<強いて嫌だと思って稲を搗いてあなたを待っていたのではないのよ。せっかく搗いたのに搗く前の稲穂が揺れるように心が不安定になっているの。昨夜はひとりで寝ることになってしまったから>>

何もしないで彼が来るのを待っているのは,時間の流れが遅いので,辛い力仕事だけど稲を搗いて待っていた彼女たけれど,結局来てくれなくて昨晩は一人で寝ることになった。搗く前の稲穂のように心がゆれ「待っている時間にやっていた稲を搗いた作業が無駄になったのよ」という彼女の気持ちが私には伝わってきますね。
次に紹介するのは,過去のブログでも何回か紹介している短歌です。

醤酢に蒜搗きかてて鯛願ふ我れにな見えそ水葱の羹(16-3829)
<ひしほすにひるつきかてて たひねがふわれになみえそ なぎのあつもの>
<<醤に酢を入れ,蒜を潰して和えた鯛の膾(なます)を食べたいと願っている私に,頼むからミズアオイの葉っぱしか入っていない熱い吸い物を見せないでくれよ>>

この短歌の説明は2009年11月15日の投稿をご覧ください。前半の部分は「なめろう」のような料理をイメージしている料理だったのでしょうか。期待していたその料理が出ずに,〆の吸い物が出そうなので,作者は非常に残念がっている表現力に私は感心します。
さて,最後に紹介するのは,長歌の一部です。

~ 天照るや日の異に干し さひづるや韓臼に搗き 庭に立つ手臼に搗き ~(16-3886)
<~ あまてるやひのけにほし さひづるやからうすにつき にはにたつてうすにつき ~>
<<~ 日ごとに干して,韓臼で搗き,庭に据えた手臼で搗いて粉にし ~>>

干した蟹を粉々にするために搗く部分です。なんでそんなことをするのかは,2015年3月1日の投稿で詳しく私の考察を述べています。
この長歌全体を是非見てほしいと私はお薦めします。
(続難読漢字シリーズ(29)につづく)