今回は「常磐(ときは)」について万葉集をみていきます。現代では,常磐は「ときわ」または音読みで単に「じょうばん」と読み,意味として,常陸の国と磐城の国の併称,福島県いわき市,その地域の施設(常磐公園=偕楽園)や史跡(常磐神社=偕楽園内にある水戸光圀を祀る神社)を指す言葉として使われているようです。
しかし,万葉集では別のいくつかの意味で詠まれています。
最初に紹介するのは,山上憶良が世の無常を神亀5(728)年7月21日に太宰府で詠んだとされる短歌です。
常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも(5-805)
<ときはなすかくしもがもと おもへども よのことなればとどみかねつも>
<<大きな岩のようにいつまでも変わらずにいて欲しいと思いたいが,世の中のことはひと時も変わらないことがない>>
憶良は仏教の無常観から「無常」の反対語として「常磐」という言葉を使い,この短歌を詠んだのだろうと私は思います。
人間は「常磐」のように絶対的に変化しない状態(真実は一つ)がいつまでも続いてほしいと願うものである。その絶対的なものにすがることが安心・安寧な幸せな人生だと考える人が多いが,世の中は「生老病死」という苦悩が常にいろいろな形で予断無くやってきて,それを許してくれないと。
ところで,万葉時代は「生老病死」の苦悩の中でも「老病死」の比率が高かったと想像できます。ただ,今の時代では「生きる」の苦悩の比率が高いのかも知れません。
人間関係の悪化,他人との比較での落胆,人生の目的や夢の喪失,仕事のスキルアンマッチなどにより,社会の中で「生きる」こと自体が苦しいと感じ,場合によっては精神疾患になる人が少なくない現代社会になっているような気がします。
「これだけをやっておけば大丈夫」というもの(宣伝文句によく使われる?)を求め,面倒なことを避けたり,今やるべきことを先送りしていた結果,あるとき「こんなはずではなかった」と気が付いてしまうのです。その失敗を繰り返し,(悪いのは他人だと思いつつも)失敗の後悔が重なることで「生きる」苦悩が強くなり,「生きている今の自分」を「その自分」が責め,苦しめることになってしまうのです。そして,自殺を選んだ人の中にはそんな「生きている自分」に対し,自分自身が作る苦悩に耐えられなくなった人も多いのでしょうか。
私は,世の中は無常(常に変化するもの)が前提と考え,常に状況の変化を注視し,先の変化を的確に予測できる能力を磨いていく努力が,「生きる」苦悩を乗り越え,「生きる」楽しさを得る有効な道の一つだと考えています。
さて,次に紹介するのは,常緑樹の橘の葉を形容として「常磐」を使い,大伴家持が高岡で元正(げんしやう)上皇崩御を悼み,その後見役の橘諸兄(たちばなのもろえ)に期待する短歌です。
大君は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして(18-4064)
<おほきみはときはにまさむ たちばなのとののたちばな ひたてりにして>
<<太上天皇は常磐の橘の葉ようにそのお力は不変です。橘様の橘もいつも照り輝き続けています>>
京では藤原仲麻呂(ふぢはらのなかまろ)の力が増大し,強引なやり方をセーブする役割として諸兄にいつまでも(常磐に)期待している家持の気持ちが表れた短歌だと私は感じます。
最後に紹介するのは,同じく家持が天平宝字2(758)年2月に式部大輔(しきぷのたいふ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろあそみ)宅の宴で,変わらぬ結束の誓いを詠んだ短歌です。
八千種の花は移ろふ常盤なる松のさ枝を我れは結ばな(20-4501)
<やちくさのはなはうつろふ ときはなるまつのさえだを われはむすばな>
<<いろんな花がありますが,みないずれ色あせてしまいますが,いつまでも変わらぬ色の葉を持つ松の枝のように私たちは友情を結び合いましょう>>
家持より10歳以上年上だが将来は大臣になると目される清麻呂との関係を強く持ちたいという家持の思いがこの短歌から読み取れます。この10年余り後,家持が光仁朝になって昇進を速めるのですが,その当時清麻呂は右大臣に昇進していたのです。家持の期待通り,清麻呂と家持の関係は比較的良かったのではないかと私は思います。
ところで,広辞苑で「常磐」を引いてみると,この3首が3つの意味の違いの用例として出ているのです。約1300年前に「ときは」という言葉が,どのような異なる意味で使われていたかを万葉集はそれぞれ別用例で示してくれているのです。
万葉集は,五十音順などの並び順でないことを気にしなければ,まるで当時の日本語(ヤマト言葉)の辞書か文法書のような目的で編纂されたのではないかと感じてしまう私がいます。
(続難読漢字シリーズ(31)につづく)
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