2009年10月12日月曜日

投稿50回記念-社会システムの激変・万葉時代と今の時代

今年2月にこのブログを始めて以来,今回で50回目の投稿です。何とか,目標の週1回以上のペースで投稿でき,内容はともかく,満足をしています。
今回は,50回の節目として万葉集から万葉時代にあった社会システムの激変を想像し,今の社会システムの激変について私なりに考えて見てみました。

1.万葉時代の急速な社会システムの変革
日本初の女性天皇推古天皇の時代(6世紀末~7世紀初め),当時の諸外国に負けない近代的な国家にするため,中国の律令制導入を国家として本格的に検討し始めたようです。中国からさまざまな制度や思想を学びとるため,遣隋使が何度か派遣されました。また,多くの渡来人も移住してきて,それまでの島国にはない新しい技術・文化・言葉(外来語)・宗教・思想・慣習などが急速に入ってきたようです。その成果は聖徳太子(厩戸皇子)らによってまとめられたと言われています。
その後,遣唐使の継続的な派遣,いわゆる大化の改新,天智天皇の近江令,壬申の乱を経て天武天皇が推進した飛鳥浄御原令,そして平城京遷都の少し前(701年)に完成した大宝律令で日本の律令制度は頂点に達したと私は想像します。
飛鳥時代から天平時代に至る万葉時代は,当時としては近代的な律令制度が整備され,その強力な実施によって,それまでの日本の仕組みが大きく変わった時代だったと私は考えます。実は,この間約100年ですが,当時の時の流れや伝達の速度が今に比べ何倍もゆったりだったのを考えれば,律令制度導入は非常に急激な変革だったのです。
こういった新しい社会システムを急速に導入するには,従来の社会システムによって長年培われてきた仕組み(地方の豪族がそれぞれの地域を守っていた非中央集権国家)を破壊することが最初に求められます。
従来の社会システムのメリット(良い面)の中に無くなってしまうものが多数出てきます。
一方,新しい社会システムの効果(工業技術や商業の発展,農業の効率化などによるマクロ経済の拡大を経て,富の再配分による民衆の豊かさの実感など)が現れてくるのに一定のタイムラグが必要です。また,その効果は現れても極一部の人たちだけのものである状態が長く続きます。そのため,庶民を中心とした多くの人たちが長い間新しい社会システム導入の影の部分にに戸惑い,苦しむのです。
権力闘争,身分社会,富の集中,貧富の格差拡大,規則に縛られた不自由な社会,重課税負担,徴兵などで大半の人々は塗炭の苦しみを味わった。万葉集の時代はまさにそんな時代だったと私は考えます。

2.現代の急速な社会システムの変革
現代は地球規模で,今までの歴史の中でもっとも急激に社会システムが変わろうとしていると私は感じます。その激変をもたらしている要因はいわゆるIT化です。コンピュータによる今までにない超効率的な社会を目指して,各国や各企業は血眼になってIT化を推進(研究開発)しています。しかし,それができるのは極限られた国(一応日本も含まれますが)だけです。多くの国はIT化に後れをとっています。IT化が進んでいる国とそうでない国との国力の格差は開く一方なのです。
例えば,IT化先進国のファンド会社は,巨額の年金資金(今まで儲けてきたお金)を原資にIT(金融工学)を駆使した金融商品の取引きでさらに巨額の利益を上げようとしました。その利益(①)はいったいどこからくるのでしょう。それは国(国債)や企業(社債,株式,その他証券)の信用からです。信用とは将来一定の利益(②)を産み出すだろうという予測です。金融商品の取引はその信用を先取りして利益(①)を得る行為です。当然,利益(②)は思惑通りに得られるとは限りません。昨年のサブプライムローン破たんのように利益ではなく大きな損失を被ることがあり得ます。
実は利益の①と②はまったく性質の異なるものです。②はモノ(農作物,製造物,ソフトウェア等)を作るときや価値を付加するときの売価とコストの差です。金融商品は,生産現場で②の利益が将来出ることを見越して投資します。投資された側(経営者)は,より利益を出して投資家に株式の配当,分割,さらなる信用増大による株の値上がりで還元し,次の投資を呼び込もうとします。
しかし,その利益は,途上国の貧困や貧富の格差によりもたらされる部分が少なくないと私は感じています。貧しい国や人がいることによって,極めて低賃金や劣悪環境で生産が使え,コストが抑えられる。そのコスト低減で利益が出て,金を持っているが何も生産しない人に利益を還元していることになります。
端的にいうと金融商品で中長期に大きな利益が出せるのは,貧しい生活を強いられている人たちの存在によって成り立っていると私は考えるのです。
今サブプライムローンで信用力を失った企業は,さらにコストを下げるために社内のリストラを行い,そしてさらにはより貧しい国での生産や価格が低い輸入を模索しています。

3.万葉時代と現代の類似点
万葉時代は,律令制度側が,その立場を盤石にするため,貧しい人たちにさらに追い打ちを掛けるように重税を課した(天平文化はそのおかげで開花?)。また,朝鮮半島や蝦夷地からの防衛のため,やみくもに軍事費に莫大な金を掛け,多くの農民を強制的に防人として九州に,蝦夷征伐にとして東国に兵力を配置したと私は考えます。
一方,現代は地球全体規模で,(IT化による)新しい社会システムの変革が行われようとしています。その変革によって,大きく勢力を伸ばしている国々の主導権争いが,今後ますます激しくなるでしょう。ちょうど,飛鳥時代から天平時代にかけての氏間の権力争いのようにです。また,IT化の主導権争いによって,IT化に取り残された人たち(国)の中に翻弄され,犠牲になる国や人々がこれから地球規模でもっと起こるような気がします。
歴史の大きな変化(流れ)を逆廻りさせることはできません。もしかしたら,今の激変の流れは地球規模の中央集権化が達成されるまで続くのかも知れません。かといって,大きな流れを推進する側の視点だけの記録しか残らないとすると,犠牲になった人たちは救われません。

4.万葉集の独自性
こんな時代だからこそ,私は万葉集を編纂した人たちに共感を感じます。万葉集が当時の最大権力者(藤原氏)にとって反逆書として扱われ,編纂者が処罰を受けるかもしれないという相当なリスク覚悟で編纂されたのだろうと私は想像します。
新しい社会システムを導入する側は,その影の部分を隠そうとするだけでなく,歴史書(日本書紀,古事記等)の記述も自らの正当化のため偏らせることも考えられます。本当は,苦しめられる側の歴史書があって公平性が保たれるはずですが,そういう苦しい立場の人たちは歴史書を編纂するお金も能力も持ち合わせていません。どうしても記録書として歴史に残るものには,当時の為政者側(勝ち組)を正当化する偏った資料になってしまうと私は考えます。
ところが,万葉集の防人の歌や東歌の中に「敵(朝鮮半島,蝦夷)が攻めてきたら撃退してやるぞ!」という勇ましいものはありません。為政者側が自分たちを正当化するのであれば「国のために頑張るぞ!」という歌がもう少し選ばれてもよさそうです。
もちろん万葉集には為政者の象徴である天皇礼賛の和歌は確かに多くあります。ただ,律令制度の推進者としてではないように思います。逆に,律令制度が導入される前,地方豪族の長としての天皇中心でもっと平和だった(権力闘争による犠牲者はこんなにひどくなかった)という懐かしみを込めた視点と私には感じられるのです。

5.このブログのこれから
さて,一市民である私は,この時代の変革の流れに対して,具体的に何もできないかもしれません。ただ,IT業界にいるものの一人として,これからこのブログで万葉集を通しつつも,今の新しい社会システムの変革がもたらすデメリットの部分についても積極的に発信し,記録に残していこうと考えています。

2009年10月5日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(と~)

引き続き,「と」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)。

栂(とが)…ツガ(植物)と同意。
咎む(とがむ)…取り立てて言う。責める。非難する。
非時香菓(ときじくのかくのこのみ)…橘(タチバナ)の古称。
常磐(ときは)…常に変わらない岩。永久不変なこと。常緑であること。
鳥座(とぐら)…鳥のねぐら。
常滑(とこなめ)…岩にいつも生えている水苔。水苔でいつも滑らかな岩床。
常処女(とこをとめ)…とこしえに若い女。いつも変らぬ若々しい少女。
刀自(とじ)…家事をつかさどる女性。
離宮(とつのみや)…離宮(りきゅう)、外宮(げくう)。
舎人(とねり)…下級官人。
侍宿,宿直(とのゐ)…宮中・役所などに泊まり込みで勤務・警戒すること。
鳥総(とぶさ)…きこりが木を切った時、伐った梢をその株に立てて山神を祭ったもの。
跡見(とみ)…鳥獣が通った跡を見て獲物の居場所を考えること。
尋む(とむ)…たずねる。たずね求める。
艫(とも)…船の最後尾。
鞆(とも)…弓を射る時に,左手内側につけ,弦が釧などに触れるのを防ぐ丸い皮製の具。
乏し、羨し(ともし)…めずらしくて心が引かれる。
響む(とよむ)…鳴り響く、鳴り渡る。
撓らふ(とよらふ)…揺れ動く。揺れる。

この中から,非時香菓(ときじくのかくのこのみ),常磐(ときは)が出てくる大伴家持が越中で詠んだ長歌(18-4111)を紹介します。
長歌は長いので,ストーリとこの言葉が引用されている前後を紹介することにとどめます。
<長歌ストーリ>
天皇が神であった時代,田道間守(たぢまもり)という人が,常世の国に渡り,いつも芳しい香りがする木の実(橘)をお持ち帰られ,日本の国狭しと生え栄えている。
春には新芽が萌え,花が咲く夏にはその花を娘たちにプレゼントし,娘たちは花が枯れるまでその香りを満喫する。こぼれ落ちた若い実は玉として紐を通して手首に巻いても飽きない。秋の冷たい時雨の時にも黄色に熟した橘の実は明るく見える。冬になっても,葉は枯れず緑のままで盛んに繁っている。そのため,橘のことをいつも芳しい香りがする木の実と名付けなさったに違いない。
<言葉の引用箇所>

~八桙持ち参ゐ出来し時 非時香菓を 畏くも残したまへれ~
<~やほこもちまゐでこしとき ときじくのかくのこのみを かしこくものこしたまへれ~>
<<~多くの矛持って天皇に参上なさった時,いつも芳しい香がする実がなる木(橘)をお遺しになったので~>>

~霜置けどもその葉も枯れず 常磐なすいや栄生えに~
<~しもおけどそのはもかれず ときはなすいやさかはえに~>
<<~霜が降りてもその葉は枯れることはなく,常に緑で何と盛んに生えている状態で~>>

~この橘を 非時香菓と 名付けけらしも
<~このたちばなを ときじくのかくのこのみと なづけけらしも>
<<~この橘の実を「いつも芳しい香りのする木の実」とお名づけになったに違いない>>

この長歌の後,家持は次の短歌を詠んでいます。

橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し(18-4412)
<たちばなははなにもみにもみつれども いやときじくになほしみがほし>
<<橘は花も実も見ているが、いよいよいつまでも見ていたいものだ>>

天皇家の親族である葛城王が母の縣犬養三千代の姓(元明天皇から授かった)である橘氏を名乗り(天平8年:736年),葛城王自身も橘諸兄と改名しました。ここから奈良時代から平安中期まで名家といわれた橘氏が始まったようです(諸兄は後に正一位,左大臣まで昇進)。
家持が詠んだこの和歌二首は,親交が厚かったといわれている橘諸兄に橘氏の名乗りを受け「橘の和歌」と題して送ったのかも知れません。
この和歌のどこにも明確には書いていませんが「橘氏と末永くこれまで以上にお付き合いをしたい」というメッセージが込められているようにも取れそうです。
藤原氏の権力集中を思わしく考えていなかった家持が諸兄に接近するのは当然なのですが,その接近が後に藤原氏(仲麻呂)の標的になったかもしれません(諸兄の息子が起こした橘奈良麻呂の乱で関係の深い大伴池主が連座)。

しかし,そういった生臭い政争の歴史を背景にこの和歌を解釈するのではなく,純粋に和歌として解釈するとまた違った見方ができるのではないでしょうか。
すなわち,この和歌は橘を丁寧に解説しているという見方です。
この和歌から当時の橘について分かることは,「非時香菓」という古称がある,他国から持ち込まれという言い伝えがある,日本のあちこちに繁茂している,花は可憐で香が良く娘たちに人気がある,小さな実は瑞々しい緑から鮮やかな黄色に熟する,いつも青々とした常緑樹,いつ見ても飽きない風情があるなど。
まるで橘の苗を売っている業者のパンフレットのような和歌ですね。

私は,このブログ開始にあたって「万葉集が大和ことばの用例提示や解説を目的で編纂されたのかも知れない」と書いたのは,この和歌のようにさまざまなことば(動植物の名前,地名,一般名詞,冠位,動詞,形容詞,感嘆詞など)の使い方や解説を含んだ和歌がたくさん出てくるからなのです。
家持が越中赴任時にこの和歌を作った当時の目的は政治的なものも含まれていたかもしれません。しかし,家持が晩年万葉集を編纂する際にこの和歌を選んだ理由は別(橘という木はどんなものかの紹介?)だったと私は思うのです。(次回難読シリーズは休み。投稿50回記念特集の予定)

2009年9月27日日曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(ち~,つ~)

引き続き,「ち」「つ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)。

茅(ちがや)…イネ科の多年草。萱の一種。屋根を葺くのに用いる。
千尋(ちひろ)…非常に長い(深い)こと。尋は両手を広げた両手先間の長さ。
街,衢,巷,岐(ちまた)…道の分かれるところ。街路。
束(つか)…握ったときの4本の指の幅ほどの長さ。短いことの例えにも使われる。
墓(つか)…土を高く盛って築いた墓所。
栂(つが)…マツ科ツガ属の常緑高木。
官(つかさ)…役所,官庁。
机(つき)…つくえ。
杯(つき)…飲食物を盛る(注ぐ)のに用いた椀形の器。
調(つき)…貢。年貢。
搗く(つく)…杵や棒の先で打って押しつぶす。
黄楊,柘植(つげ)…ツゲ科の常緑小高木。
蔦(つた)…キヅタ,ツタウルシなど蔦性木本の総称。
嘰ろふ(つつしろふ)…少しずつ少しずつ食べる。
慎、障、恙(つつみ)…さしつかえ。障害。病気。
苞苴,苞(づと)…携えてゆくその地の産物,土産。
鯯(つなし)…コノシロ(鰶)の幼魚でコハダ(小鰭)より大きい頃の魚。
燕(つばめ)…ツバメ。
委曲(つばら)…くわしいさま。つまびらか。
躓く(つまづく)…けつまずく。
柧手(つまで)…そまひと(杣人)が荒造りした材木。角材。
柘(つみ)…ヤマグワ(山桑)の異称。
旋毛(つむじ)…つむじ風の略。
弦(つら)…弓のつる。
橡(つるはみ)…クヌギ(椚)の古名。ドングリのかさを煮て溶かした染料の色。

では,この中から委曲(つばら)が詠まれている大伴旅人の短歌を紹介します。

浅茅原委曲委曲にもの思へば 古りにし里し思ほゆるかも(3-333)
<あさぢはらつばらつばらにものほへば ふりにしさとにおもほゆるかも>
<<細かいことをあれこれ考えていると昔の故郷のことが思い出されるなあ>>

この短歌は,大伴旅人が太宰府の長官になって筑紫に5年間赴任中に,奈良の都に対する望郷の思い詠んだ五首の短歌の一つです(「浅茅原」は委曲にかかる枕詞と言われている)。
この五首は,旅人が60歳を過ぎている頃に作られたと思われる一連の和歌です。
当時の太宰府は,博多湾に繋がってる御笠川が近くを通っていて,水運による物資の輸送は比較的活発な場所だったと思われます。それでも,海から20Km以上離れた内陸の地です。奈良の都のようなにぎやかさは望むべくもありません。
赴任直後に妻を亡くし,また奈良の都のようにさまざまな知人との交流もままならない旅人の寂しさは,堪えがたいものがあっただろうと想像します。
彼は,その寂しさを山上憶良たちと和歌を詠むことで癒したのだと私は思います。それらの和歌は筑紫歌壇として万葉集の一角を形作っています。

私は1年余りある都市で単身赴任に近い生活をした経験をしました。旅人やもっと長期間単身赴任している人に比べたら,私の場合比較にならないほど楽でしょうが,それでも旅人の気持が少しわかった気がします。

  天の川「そのときやったら,たびとはんはいろんなお店に行って楽しんではったよう...」

し~っ。 天の川君! それ以上は内緒にしておこうね!(「と」で始まる難読漢字に続く)

2009年9月21日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(た~)

引き続き,「た」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることば(多いです)で拾ってみました(地名は除きます)。

違ふ(たがふ)…一致しなくなる。相違する。背き外れる。
沈鳧(たかべ)…コガモの古名。
手柄(たかみ)…剣のつか。
激つ(たぎつ)…たぎる。
綰く(たく)…髪をかき上げる。手綱を操る。舟を漕ぐ。
栲綱の(たくづのの)…しら、しろ、新羅にかかる枕詞。
栲領巾(たくひれ)…楮(こうぞ)の繊維で作ったひれ(女性用マフラのような服飾具)。
栲衾(たくぶすま)…白にかかる枕詞。
襷(たすき)…衣服の袖をたくし上げるために肩から脇にかけて結ぶ紐。
佇む(たたずむ)…しばらくその場に立っている。立ち止まる。
畳薦(たたみこも)…隔て,へにかかる枕詞。
忽ちに(たちまちに)…すぐに、急に。
手束(たつか)…手に握り持つこと。
方便(たづき,たどき)…手かがり。手段。
携ふ(たづさふ)…互いに手を取る。連れ立つ。同伴する。
尋ぬ(たづぬ)…探し求める。探り求める。問い聞く。訪問する。
楯(たて)…戦陣で手に持ちまたは前方に立て,敵の矢,槍,剣などを防ぐための武器。
経緯(たてぬき)…機の経糸(たていと)と経糸(ぬきいと)。
織女(たなばた,たなばたつめ)…はたを織る女。秋さり姫。織女星。機織姫。
谷蟆(たにくぐ)…ヒキガエルの古名。
檀越(だにおち)…布施をする人。だんな。
戯れ(たはむれ)…遊び興ずること。
賜る(たばる)…たまわる。いただく。
度多し、度遍し(たびまねし)…多い。絶え間ない。
褌(たふさき)…ふんどし。
狂る(たぶる)…常軌を逸する。
妙(たへ)…不思議なまでに優れていること。
栲(たへ)…布。
手巻、環,手纏(たまき)…ひじに纏った輪形の装飾品。
廻む(たむ)…めぐる、まわる。
拱く(たむだく)…両手を組む。こまねく。
徘徊る(たもとほる)…同じ場所をぐるぐる廻る。行ったり来たりする。
揺蕩(たゆたひ)…彼方こなたへゆらゆらと動いて定まらないこと。
撓む(たわむ)…つかれていやになる。気力がなくなる。
手弱女(たわやめ)…たわやかな女性。なよなよした女。
手童(たわらは)…幼い子供。
撓(たをり)…山の尾根の低くくぼんだ所。鞍部。

中には比較的易しいと感じる難読文字も含まれているかもしれません。たくさん出現した理由は,もともと「た」で始まる言葉が多いためです。
この中の襷(たすき),戯れ(たはむれ),妙(たえ),方便(たどき)の四つが登場し,亡くした男の子のことを嘆き悲しむ山上憶良の長歌(5-904)があります。
長いので全部の紹介はやめて,ストーリと出現部分の紹介にとどめます。

<この長歌ストーリ>
七宝などに変えられないほど大切で可愛いわが子「古日」は,朝は私の床を離れず,いつも私と一緒に遊び,夕方になると私と妻の間で寝たいと可愛く言う。良くも悪くもこれから愛情を掛けて育てていこうとしたが,急に容態が悪くなった。白い布で作った襷を掛け鏡を持って,あらゆる神に祈りを捧げたが,容態が少しも良くならず,日に日に悪くなり,遂に死んでしまった。どんなに泣き叫び,悲嘆に暮れても,わが子は旅立ってしまう。これが世の中というものなのか。

(注)この後の短歌二首で「天に旅立つわが子にはお金をいっぱい持たせるから,天までの道にそのお金を布施として置き,天までの道をちゃんと教えてもらうんだよ」と憶良は詠んでいる。

<言葉の引用>
戯れ(たはむれ)
~立てれども 居れども ともに戯れ~
<~たてれども をれども ともにたはむれ~>
<<立っていても座っていても一緒に遊んで>>

方便(たどき)
~為すすべも 方便も知らに~
<~なすすべも だどきもしらに~>
<<行う方法も手かがりも分からず>>

妙(たえ),襷(たすき)
~白妙の 襷を掛け~
<~しろたえの たすきをかけ~>
<<白い布で作った襷を掛けて>>

この和歌から可愛くて仕方がなかった我が子を亡くした憶良の悲しみが今の私にも重く伝わってきます。
奈良時代は,病気の予防ワクチン,有効な抗生物質,効果的な医療技術などほとんどなく,一家に生れた子の内,何人かは成人になるまでに死ぬような時代でした。
しかし,子供が死ぬことが珍しいことではない時代にも関わらず,亡くした子に対する悲しみの感じ方は今と変わらないか,もっと深い部分もあるように私は感じます。
<当たり前に成人になれる現代は幸せか?>
今の日本,医療技術の発達や豊かな社会生活で病気により成人を迎えられずに死ぬ子どもの比率は恐らく奈良時代に比べて極端に少ないはずです。病死してしまう子どもを身近に見ることが少なくなった今,逆に生命の大切さを感じにくくなっている人が増えているのではないか。そのことが私には気になります。
少し誇張した表現ですが,今大多数の人は当たり前のように育ち,当たり前のように健康で,当たり前のように成人となることができる時代だと思います。(当たり前だから)生きていること自体に有難味を感じなくなってしまう人が,生きるか死ぬかの問題に比べたらはるかに些細と思われる理由で,自殺したり,他人を殺めりする傾向が強くなっていないでしょうか。
<亡くなった人を目の当たりにすると?>
水道,電気,ガス,電話などが使えなくなったとき,その有難味を身にしみて感じます。ただ,普段はいつでも使えるのが当たり前だと思い,使えなくなることを想定して有難味や感謝の気持ちで利用している人は少ないかもしれません。
大切な家族や近所の友達が亡くなってしまったり,重い不自由な身なってしまうのを目の当たりにする。そのことで,生命は儚いもので,大切にしなければならないものである。また,儚い自分の生命を大切にして生きていくには,長く生きた人(父母やお年寄り)の知恵に耳を傾けることが重要だと思い,尊敬の念を自然と持つようになっていくのだと私は思います。
<生命の大切さをどう教えるか?>
でも,子どもの死亡率に限らず,死亡率というものは低い方が当然良いはずです。医療技術や安全な社会システムによって当たり前に感じてしまう「無事に生きられている有難味」をどうやって教え,共有して行けばよいのでしょうか。
やはり,生命を大切にすることの重要性を感じている人たちが,障がい者や老人を大切にする,親を大切にする,家族や家族の絆を大切にする,住む処,職場や学校などの近隣の人やその人との繋がりを大切にするなど,一世紀も二世紀も前の人たちが言っていたことを愚直に教える,議論するという社会的な行動を起こす必要があるのかも知れません(例えば,戦前教育で同じことやっていたからという理由だけでステレオタイプにこのような教育の否定をやめて)。
<敬老の日に寄せて>
今日は敬老の日です。最近あるうれしいできごとで知った福山雅治の最新アルバムの中にある「道標」を聞き,さらに検索サイトにアップされた「道標」作成ストーリの映像も見ました。彼の故郷長崎の今は亡くなった祖母をモデルに,生命の大切さ,祖母への敬愛を唄った,心打たれるすばらしい曲だと私は思います。

まだ結構先ですが,私もいずれはお年寄りの仲間に入ります。

さて,どうせお年寄りになるなら,人生の後輩から少しは敬愛されるお年寄りになりたいものだね,天の川君?

天の川「こちらは歳を取りまへん。たびとはんと一緒にせんといてんか!」

みなさん,こういう憎まれ口は絶対にたたかないように注意しょう。(「ち」「つ」で始まる難読漢字に続く)

2009年9月15日火曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(せ~,そ~)

引き続き,「せ」「そ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

堰く、塞く(せく)…相愛の二人を合わせないようにすること。塞き止める。
背向(そがひ)…背中合わせ、後方。
退方(そきへ,そくへ)…遠く離れた方。
背面(そとも)…南に対して北側のこと。
赭、朱(そほ)…赤色の土。その土の色。
杣(そま)…植林して材木をとる山。

あすか川堰くと知りせばあまた夜も率寝て来ましを堰くと知りせば(14-3545)
<あすかがは せくとしりせば あまたよも ゐねてこましを せくとしりせば>
<<明日香川の流れ(二人の仲)が堰き止められる(引き裂かれる)こと知っていたなら幾夜でも共寝をしに来たものを。そうなることを知っていればなあ>>

この短歌は,明日香川という奈良の地名を読んでいますが東歌です。
おそらく,この和歌の二人は,明日香川が堰き止められることはあり得ないほど恋慕は強く,永遠の愛を誓っていた。にもかかわらず,思いの強さとは裏腹に周囲や環境は二人が結ばれることを許さず,別離を迎えることになったのでしょう。
そんなことならもっともっと共寝をして抱き締めたかったのに。本当に心残りだな。そんな感情がストレートに伝わってきますね。
でも,そんな二人の思いを邪魔する(堰を作る)人がいて,結局結ばれることが叶わぬ恋となったとしても,二人の愛は永遠に続くような期待を持たせる和歌と僕は感じます。

今の世の中でも,結果的に結ばれなくても,そんな思いを心の支えして前向きに生きている人もたくさんいるような気がします。
そんな人たちは,例えば「ささやかなこの人生」(伊勢正三作詞作曲)の「♪そして巡る季節よ その愛を拾って終りの無い物語を作れ~♪」のフレーズをこよなく愛して聞いているのかも知れません。

天の川「たびとはん。気持ちよく書いてるけど,何かええことでもあったんか? ちょっとブログの趣旨と違う世界に入ってまへんか?」

天の川君,たまにはロマンチックな気分に浸らせてくれたまえ。(「た」で始まる難読漢字に続く)

2009年9月11日金曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(す~)

引き続き,「す」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

蜾蠃(すがる)…ジガバチの古称。美女の細腰にたとえられる。
双六(すぐろく)…すごろく。
助丁(すけを)…防人で正丁に対する中男または次丁の身分の称。
食薦(すごも)…食膳または机の下に敷く敷物。
啜ろふ(すすろふ)…すする。
集く(すだく)…多く集まって騒ぐ。
漁る(すなどる)…魚や貝をとる。漁をする。
皇祖(すめろき)…天皇。すめらみこと。
陶人(すゑひと)…焼物師。陶工。

今回は,食薦(すごも)を詠んだ短歌を紹介します。

食薦敷き青菜煮て来む 梁に行縢懸けて 休むこの君(16-3825)
<すごもしき あをなにてこむ うつはりに むかばきかけて やすむこのきみ>
<<テーブルクロスを敷いて 青菜を煮て来て進ぜよう 梁に革の腰覆いを掛け(酔いつぶれて)お休みの殿方のために>>

この短歌の作者は,長意吉麻呂(ながのおきまろ)という宴席で出席者の爆笑を誘うような即興による短歌創作を得意とする歌人です。この短歌には,作者が行縢(むかばき),青菜(あおな),食薦(すごも),家の梁(うつはり)の言葉を入れて詠むというお題に対して作ったしたという注釈が題詞についています。
この短歌で出てくる「君」は,結構偉い人で,いつもは礼節にやかましい人なのかも知れません。ただ,この宴席では正装具の行縢(むかばき)を脱いで梁にぶら下げ,相当見苦しい格好で寝ているのでしょう。
そこで青菜を丁寧に煮て,きちっと器に盛り付けて,クロスを敷いた上に置き,召し上がっていただくようにするときっと礼節正しいお姿に戻るのではないか?,いや今はとても無理か?,ちょっとやってみようかい?
こんな雰囲気だったのではないかと私は想像します。

この短歌で,宴席に参加した人たちは酔いつぶれて寝ている偉い人を見て,大いに笑ったのではないかと私は思います。
長意吉麻呂は,さしずめ万葉時代の『有効期限の過ぎた亭主・賞味期限の切れた女房』で知られている「綾小路きみまろ」のような人だったかも?と私は思いたいですね。

さてさて,天の川君に『有効期限の過ぎた”たびと”・賞味期限の切れた”投稿”』と言われないように頑張らねばね。(「せ」「そ」で始まる難読漢字に続く)

2009年9月5日土曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(し~)

引き続き,「し」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

柵(しがらみ)…川の水流をせき止めるための杭。
樒(しきみ)…シキミ科の常緑樹。白い花をつけるが実は猛毒。
時雨(しぐれ)…秋の末から冬の初め頃に,降ったりやんだりする雨。
醜(しこ)…みにくい、見苦しい、ごつごつした、頑固なさま。
獣(しし)…けもの。特に猪、鹿をさす。
肉(しし)…食用の肉。
繁(しじ)…ぎっしりすきまのないこと。
蜆(しじみ)…シジミ。
時(しだ)…~するとき。~しかけ。「寝しな」の「しな」の古語。
細螺(しただみ)…きさご、きしゃご、ぜぜがいなどと呼ばれる食用巻貝。
倭文(しつ)…古代の織物の一つ。穀(かじ)・麻などの緯を青・赤などで染め,乱れ模様に織ったもの。綾布。
垂づ(しづ)…たらす。
撓ふ(しなふ)…しなやかにたわむ。しなる。
小竹(しの)…細くて群がり生える小さい竹。篠。
屡(しばしば)…たびたび。幾度も。
咳く(しばぶく)…咳をする。
癈(しひ)…身体のある器官の作用を失うこと。
鮪(しび)…マグロの成魚。
標(しめ)…しるし。標縄。
笞、楚(しもと)…罪人を打つのに用いる細い木の枝で作ったむちまたは枝。
験(しるし)…効き目。有効なこと。
著し(しるし)…きわだっている。はっきりしている。いちじるしい。
銀(しろがね)…銀(ぎん)。

今回は,この中から,蜆(しじみ)と鮪(しび)を詠った短歌を紹介しましょう。
両方とも当時から美味な魚介類としてたくさん食べられていたようです。

住吉の粉浜の蜆 開けもみず隠りてのみや 恋ひわたりなむ(6-997)
<すみのえのこはまのしじみ あげもせずこもりてのみや こひわたりなむ>
<<住吉の粉浜のシジミがなかなか口を開けて中を見せないように 秘かに隠してばかりが続く私の恋心でしょうか>>

鮪突くと海人の灯せる 漁火の秀にか出ださむ 我が下思ひ(19-4218)
<しびつくとあまのともせる いざりびのほにかいだせむ わがしたおもひを>
<<鮪漁でモリを突くために漁師が灯す漁火のように はっきりと外に出してしまおうか私の秘めたる恋心を>>

両方の短歌(後者は大伴家持作)ともに,シジミやマグロ漁はいわゆるツカミとして使用されているだけで,最終的には恋の感情を表現している短歌です。
万葉集では,この2首のように比喩を使った和歌が多くあります。二つ目の家持の短歌は,先頭から「漁火の」までが序詞と呼ばれる部分です。結局序詞の部分は本体ではなく「漁火のように私の秘かな恋心をはっきり出してしまいたい」と言いたいだけなのです。
一方,最初の詠み人知らずの短歌は明確な序詞ではないですが,やはり「シジミの口が閉まって中が見えないように」という形になっています。
万葉集では序詞やその他の比喩を前置きに使った和歌は少なくとも数百首はあると思われます。家持などの優れた歌人もそういった技法を時として使っていますが,数からいうと大半が東歌,防人歌,詠み人知らずの歌に出てきています。
これは日ごろ和歌を作ったことがない庶民や若者に簡単に和歌を作れるよう短期教育して作られたものが多いからではないかと私は思います。今でいうとカルチャーセンターや市町村の講習会で行われる「短歌手ほどき講座」みたいなものでしょうか。
さて,当時でも「~のような~」「~のように~」の考えで前半は自分の知っている経験や見てきたことを上の句で述べ,それに似た言葉,現象,比喩を使って自分の思いを下の句に入れると比較的簡単に誰でもが和歌が作れたのかもしれません。
これだけの東歌,防人歌,詠み人知らずの和歌が万葉集に出ている事実をみると,和歌の作り方を一般庶民や若者,地方の人たち,防人などの教養や知識のレベルアップのために熱心に教育した人たちがいたはずです。
大伴旅人や家持はそういった和歌創作教育にもっとも熱心だった人たちの一人に違いないと私は強く思います。
次は私が即興で序詞の技法を使い,旅人,家持の熱意の現代への浸透を思い作った短歌です。

山に雨幾年隠り 湧く水の清けく満たす 万葉心(たびと作)
<やまにあめいくとせかくり わくみずのさやけくみたす よろずはこころ>

天の川君から「そのまんまやん!何のひねりもあらへん」という声がすぐ聞こえてきました。
(「す」で始まる難読漢字に続く)