引き続き,「し」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)
柵(しがらみ)…川の水流をせき止めるための杭。
樒(しきみ)…シキミ科の常緑樹。白い花をつけるが実は猛毒。
時雨(しぐれ)…秋の末から冬の初め頃に,降ったりやんだりする雨。
醜(しこ)…みにくい、見苦しい、ごつごつした、頑固なさま。
獣(しし)…けもの。特に猪、鹿をさす。
肉(しし)…食用の肉。
繁(しじ)…ぎっしりすきまのないこと。
蜆(しじみ)…シジミ。
時(しだ)…~するとき。~しかけ。「寝しな」の「しな」の古語。
細螺(しただみ)…きさご、きしゃご、ぜぜがいなどと呼ばれる食用巻貝。
倭文(しつ)…古代の織物の一つ。穀(かじ)・麻などの緯を青・赤などで染め,乱れ模様に織ったもの。綾布。
垂づ(しづ)…たらす。
撓ふ(しなふ)…しなやかにたわむ。しなる。
小竹(しの)…細くて群がり生える小さい竹。篠。
屡(しばしば)…たびたび。幾度も。
咳く(しばぶく)…咳をする。
癈(しひ)…身体のある器官の作用を失うこと。
鮪(しび)…マグロの成魚。
標(しめ)…しるし。標縄。
笞、楚(しもと)…罪人を打つのに用いる細い木の枝で作ったむちまたは枝。
験(しるし)…効き目。有効なこと。
著し(しるし)…きわだっている。はっきりしている。いちじるしい。
銀(しろがね)…銀(ぎん)。
今回は,この中から,蜆(しじみ)と鮪(しび)を詠った短歌を紹介しましょう。
両方とも当時から美味な魚介類としてたくさん食べられていたようです。
住吉の粉浜の蜆 開けもみず隠りてのみや 恋ひわたりなむ(6-997)
<すみのえのこはまのしじみ あげもせずこもりてのみや こひわたりなむ>
<<住吉の粉浜のシジミがなかなか口を開けて中を見せないように 秘かに隠してばかりが続く私の恋心でしょうか>>
鮪突くと海人の灯せる 漁火の秀にか出ださむ 我が下思ひ(19-4218)
<しびつくとあまのともせる いざりびのほにかいだせむ わがしたおもひを>
<<鮪漁でモリを突くために漁師が灯す漁火のように はっきりと外に出してしまおうか私の秘めたる恋心を>>
両方の短歌(後者は大伴家持作)ともに,シジミやマグロ漁はいわゆるツカミとして使用されているだけで,最終的には恋の感情を表現している短歌です。
万葉集では,この2首のように比喩を使った和歌が多くあります。二つ目の家持の短歌は,先頭から「漁火の」までが序詞と呼ばれる部分です。結局序詞の部分は本体ではなく「漁火のように私の秘かな恋心をはっきり出してしまいたい」と言いたいだけなのです。
一方,最初の詠み人知らずの短歌は明確な序詞ではないですが,やはり「シジミの口が閉まって中が見えないように」という形になっています。
万葉集では序詞やその他の比喩を前置きに使った和歌は少なくとも数百首はあると思われます。家持などの優れた歌人もそういった技法を時として使っていますが,数からいうと大半が東歌,防人歌,詠み人知らずの歌に出てきています。
これは日ごろ和歌を作ったことがない庶民や若者に簡単に和歌を作れるよう短期教育して作られたものが多いからではないかと私は思います。今でいうとカルチャーセンターや市町村の講習会で行われる「短歌手ほどき講座」みたいなものでしょうか。
さて,当時でも「~のような~」「~のように~」の考えで前半は自分の知っている経験や見てきたことを上の句で述べ,それに似た言葉,現象,比喩を使って自分の思いを下の句に入れると比較的簡単に誰でもが和歌が作れたのかもしれません。
これだけの東歌,防人歌,詠み人知らずの和歌が万葉集に出ている事実をみると,和歌の作り方を一般庶民や若者,地方の人たち,防人などの教養や知識のレベルアップのために熱心に教育した人たちがいたはずです。
大伴旅人や家持はそういった和歌創作教育にもっとも熱心だった人たちの一人に違いないと私は強く思います。
次は私が即興で序詞の技法を使い,旅人,家持の熱意の現代への浸透を思い作った短歌です。
山に雨幾年隠り 湧く水の清けく満たす 万葉心(たびと作)
<やまにあめいくとせかくり わくみずのさやけくみたす よろずはこころ>
天の川君から「そのまんまやん!何のひねりもあらへん」という声がすぐ聞こえてきました。
(「す」で始まる難読漢字に続く)
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