巻11,巻12の序詞で地名が出て来る万葉集の短歌の紹介を続けます。
今度は兵庫県の有馬を序詞に入れて詠んだ短歌です。
大君の御笠に縫へる有間菅ありつつ見れど事なき我妹(11-2757)
<おほきみのみかさにぬへる ありますげありつつみれどことなきわぎも>
<<大王御用達の菅笠を織るときに使われる有馬のスゲのように,私がいることをはっきりと示せた思ったが,わざと知らない振りをする私の恋人よ>>
有馬は神戸六甲山の北側に位置し,日本書紀には舒明天皇が保養に滞在したとして出てくる有馬温泉がある場所です。当時の有馬は湿地や草原が広がっていて,高品質な菅笠を編むことができるスゲが豊富に採取できる場所だったと私はこの短歌から想像します。
次は,淡路島を序詞の中で詠んだ短歌です。
住吉の岸に向へる淡路島あはれと君を言はぬ日はなし(12-3197)
<すみのえのきしにむかへるあはぢしま あはれときみをいはぬひはなし>
<<住吉の岸の向こうの淡路島の「あは」ではないが,「あはれ」と君を思わぬ日はないのだ>>
「あはれ」は「もののあわれ」と今も使われる「深くしみじみと心をひかれさせる状態」を意味します。
この短歌は万葉仮名でも「淡路嶋」と書いています。大阪の住吉の海岸から見た淡路島は遠く離れて淡く見えたのでしょう。
「淡い」とは「はかない」という意味につながり,なかなかはっきり見えない恋路になぞらえられたのかも知れません。
今回の最後は,兵庫県加古郡稲美町あたりにある印南野の川を序詞に詠んだ短歌です。
明日よりはいなむの川の出でて去なば留まれる我れは恋ひつつやあらむ(12-3198)
<あすよりはいなむのかはのいでていなば とまれるあれはこひつつやあらむ>
<<明日からは印南野の川の水が出ても消えてしまうように,あなたが居なくなれば,あなたへの気持ちが変わらない私はずっと恋焦がれて過ごすことになる>>
環境省のWebページには「印南野は水を通しやすい堆積層の台地で,瀬戸内海気候で雨量が少ない場所」と出ています。そのため,表面の土がすぐ乾いてしまい,川も水量が少なく,表面上は枯れた川のようになってしまうことも多かっただろうと私は想像します。
当時から,印南野は水不足が深刻で,水を確保するのに苦労をしたことが図らずも万葉集の短歌から読み取れます。
地図を見ると印南野には数多くのため池が今も残っているようです。この地域が,農耕等のためにため池が多く必要だったのがよくわかります。
なお,万葉集に「印南野」がこのほかに何首か詠まれていますが,海岸近くを想定した歌が多いです。海岸線が今より奥(山陽本線あたり)にあったと考えても良いかもしれません。
(序詞再発見シリーズ(9)に続く)
2017年2月25日土曜日
2017年2月14日火曜日
序詞再発見シリーズ(7) ‥ 富士山噴火,琵琶湖北端,京人はどう見ていたか?
前回まで,万葉集の東歌で使われる「序詞」を見てきましたが,今回からは巻11,巻12で使われている序詞について見ていきます。
まず,東歌でも分類した「地名」を使った序詞のある短歌(一部旋頭歌)を見ていきましょう。
最初は富士山を詠んだ短歌からです。
天の川 「ちょっと待って~な,たびとはん。富士山は今の静岡県か山梨県とちゃうんか? それ東歌やろ?」
天の川君,やっぱり突っ込みを入れてきたね。良い質問だ。
京(みやこ)人が京で詠んだ和歌だから,東国の現地の人が詠んだ和歌のみが入っている巻14に入れなかったと考えると分かりやすいね。ちなみに,巻14には現地の人が詠んだ富士の歌が4首ほど出ているよ。
天の川 「ということは,万葉時代に富士山は奈良の人にとって超有名やったちゅ~ことかいな?」
その通りさ。山部赤人,高橋蟲麻呂といった,当時すごく有名だったと思われる紀行歌人がその雄大さ,美しさを長歌,短歌(反歌)として残しているだよ。
さて,天の川君とのやり取りはこのくらいにして,巻11で富士山を序詞に使った短歌を紹介します。
我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ(11-2695)
<わぎもこにあふよしをなみ するがなるふじのたかねのもえつつかあらむ>
<<恋人のあの娘に逢う機会が無い。それでも,僕の心は駿河の国にあるという富士の高嶺ように燃え続けていくのだろう>>
平安時代の延暦19~ 21(800~ 802)年に延暦噴火があったというは記録がありますが,万葉時代の噴火記録は明確にはないようです。
ただ,この作歌の内容が本当であれば,「燃えつつ」という表現から近年の噴火情報を意識したものかも知れません。奈良の京人が知っているほど大きな噴火が続いたのか,それとも昔からの富士山噴火の言い伝えを意識した短歌なのか,作者に聞きたいところですね。
天の川君がまたうるさく言うかも知れませんが,次は奈良から東に少し離れている琵琶湖周辺の地名に移ります。
天の川 「ZZ..」
天の川君はつまらないから寝てしまったようですね。琵琶湖北部周辺の地名を使った序詞を含む短歌2首です。
霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに(11-2729)
<あられふり とほつおほうらによするなみ よしもよすともにくくあらなくに>
<<遠くの大浦にまで寄せる波のように,周囲からさらに強く迫られても,あなたのことがいつも大好きなのです>>
あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも(11-2747)
<あぢかまのしほつをさしてこぐふねの なはのりてしをあはざらめやも>
<<塩津の港を目指し漕ぐ船のように ,必死になって名を告白したのですから,逢ってくださいますね>>
塩津港と大浦港は琵琶湖の最北端とその次に北にある入り江のもっとも奥まった場所の港です。
私は,母が入所している琵琶湖の西岸の近江舞子にあるグループホームに母を訪ねて毎年2回自家用車で埼玉から行きます。
名神高速道路の関ケ原ICで降りて,一般道(信号が少ない快適な道)を長浜に向かい,長浜から西北にある塩津を通ります。
過去に1度,JR湖西線の永原駅から大浦港に向かい,湖岸を通って高島に抜けたことがあります。本当に風光明媚に静かな道でした。今年の5月に母を訪ねるときは,また大浦港からの湖岸道を走ってみようかと思っています。
万葉時代,この2港は北陸や琵琶湖北部で採れた物産や,日本海側の敦賀港などに到着した全国各地物産を積んだ船から陸路送られてきた荷物を。琵琶湖南端の大津に運ぶ船に乗せる活気ある港だったのでしょう。
この序詞から想像できることは,琵琶湖は大きいため北端までは非常に遠く,琵琶湖北部の気候はきびしく,時として大きな波も発生する地だという印象が京人に定着していたといえるかも知れません。
次回も琵琶湖近辺地名を序詞に使った歌を見ていきます。
(序詞再発見シリーズ(8)に続く)
まず,東歌でも分類した「地名」を使った序詞のある短歌(一部旋頭歌)を見ていきましょう。
最初は富士山を詠んだ短歌からです。
天の川 「ちょっと待って~な,たびとはん。富士山は今の静岡県か山梨県とちゃうんか? それ東歌やろ?」
天の川君,やっぱり突っ込みを入れてきたね。良い質問だ。
京(みやこ)人が京で詠んだ和歌だから,東国の現地の人が詠んだ和歌のみが入っている巻14に入れなかったと考えると分かりやすいね。ちなみに,巻14には現地の人が詠んだ富士の歌が4首ほど出ているよ。
天の川 「ということは,万葉時代に富士山は奈良の人にとって超有名やったちゅ~ことかいな?」
その通りさ。山部赤人,高橋蟲麻呂といった,当時すごく有名だったと思われる紀行歌人がその雄大さ,美しさを長歌,短歌(反歌)として残しているだよ。
さて,天の川君とのやり取りはこのくらいにして,巻11で富士山を序詞に使った短歌を紹介します。
我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ(11-2695)
<わぎもこにあふよしをなみ するがなるふじのたかねのもえつつかあらむ>
<<恋人のあの娘に逢う機会が無い。それでも,僕の心は駿河の国にあるという富士の高嶺ように燃え続けていくのだろう>>
平安時代の延暦19~ 21(800~ 802)年に延暦噴火があったというは記録がありますが,万葉時代の噴火記録は明確にはないようです。
ただ,この作歌の内容が本当であれば,「燃えつつ」という表現から近年の噴火情報を意識したものかも知れません。奈良の京人が知っているほど大きな噴火が続いたのか,それとも昔からの富士山噴火の言い伝えを意識した短歌なのか,作者に聞きたいところですね。
天の川君がまたうるさく言うかも知れませんが,次は奈良から東に少し離れている琵琶湖周辺の地名に移ります。
天の川 「ZZ..」
天の川君はつまらないから寝てしまったようですね。琵琶湖北部周辺の地名を使った序詞を含む短歌2首です。
霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに(11-2729)
<あられふり とほつおほうらによするなみ よしもよすともにくくあらなくに>
<<遠くの大浦にまで寄せる波のように,周囲からさらに強く迫られても,あなたのことがいつも大好きなのです>>
あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも(11-2747)
<あぢかまのしほつをさしてこぐふねの なはのりてしをあはざらめやも>
<<塩津の港を目指し漕ぐ船のように ,必死になって名を告白したのですから,逢ってくださいますね>>
塩津港と大浦港は琵琶湖の最北端とその次に北にある入り江のもっとも奥まった場所の港です。
私は,母が入所している琵琶湖の西岸の近江舞子にあるグループホームに母を訪ねて毎年2回自家用車で埼玉から行きます。
名神高速道路の関ケ原ICで降りて,一般道(信号が少ない快適な道)を長浜に向かい,長浜から西北にある塩津を通ります。
過去に1度,JR湖西線の永原駅から大浦港に向かい,湖岸を通って高島に抜けたことがあります。本当に風光明媚に静かな道でした。今年の5月に母を訪ねるときは,また大浦港からの湖岸道を走ってみようかと思っています。
万葉時代,この2港は北陸や琵琶湖北部で採れた物産や,日本海側の敦賀港などに到着した全国各地物産を積んだ船から陸路送られてきた荷物を。琵琶湖南端の大津に運ぶ船に乗せる活気ある港だったのでしょう。
この序詞から想像できることは,琵琶湖は大きいため北端までは非常に遠く,琵琶湖北部の気候はきびしく,時として大きな波も発生する地だという印象が京人に定着していたといえるかも知れません。
次回も琵琶湖近辺地名を序詞に使った歌を見ていきます。
(序詞再発見シリーズ(8)に続く)
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