前回は石を踏むでしたが,今回は万葉集で岩を踏むを取り上げます。
現在,岩は大きな石というような意味とされていますが,当時,石と岩とでは意味に大きな違いがあったのではないかと私は考えます。
岩は岩倉(磐座,磐倉)というように,神が宿る場所や岩そのものが神であるという古代信仰があったらしいとの説を受け入れると,岩は単なる石とは大きく異なり,神聖なものとしての認識があったと私は想像します。その岩を「踏む」ことに対しても,通常の石を踏むのとは違う感覚があるのかもしれません。
では,万葉集の訓読で「岩を踏む」が出てくる和歌を見ていきましょう。なお,訓読で「岩」も「石」も万葉仮名では「石」と記されている場合があるようです。これを「いし」と読むか「いは」と読むかは,後代の万葉学者先生による訓読の判断によります。一般的な訓読に従ってみました。
妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る(15-3590)
<いもにあはずあらばすべなみ いはねふむいこまのやまを こえてぞあがくる>
<<君に逢わずにいられないから,岩根を踏んで生駒の山を越えて僕は還って来るよ>>
この短歌は,遣新羅使が詠んだとされています。岩根は根が生えたような大きくて,上がごつごつした岩を意味するようです。生駒山自体,万葉時代には,三輪山などと同様に神の山とされていたようです。その山(神体)の岩根を踏むわけですから,大変です。実際の道の険しさよりも,神の怒りに触れないようにしてまでも彼女のために帰ってくる決意をした短歌だと私は解釈します。
次は柿本人麻呂歌集にあったという彼を待っている女性の短歌です(といっても,上の遣新羅使の短歌とは無関係です)。
来る道は岩踏む山はなくもがも我が待つ君が馬つまづくに(11-2421)
<くるみちはいはふむやまは なくもがもわがまつきみが うまつまづくに>
<<お出でになる道に岩を踏むような険しい山がなければいいのに。私が待つあなたが乗る馬が躓いてしまわないかと>>
実際に彼の家と彼女(この短歌の作者)の家の間に岩だらけの山があったかどうかわかりません。それよりは,彼が通ってくる途中に邪魔が入ったり,障害が起ったりしないことをひたすら祈りながら彼の来るのを待っている気持ちの表れかもしれませんね。
そして,この後に出てくる次の短歌(同じく柿本人麻呂歌集にある歌)は,まさに前の短歌と呼応しているように私には思えます。
岩根踏みへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも(11-2422)
<いはねふみへなれるやまは あらねどもあはぬひまねみ こひわたるかも>
<<岩根を踏むような険しい山は無いのに逢えないでままの日が多いから恋しくい気持ちが募るよ>>
逢えない原因が何であるかいろいろ考えられます。いずれかの親の反対,周囲の目,仕事の忙しさ,金銭的な問題(妻問もタダではできない)などでしょうか。そういった障害がある状態の方がお互いの恋慕の情が高まることが少なくないのは不思議なことです。
いっぽう,障害や反対が無いのに,ちょっとしたことですぐに別れてしまうような関係に逆になりやすいのかもしれません。親の中には,子ども恋愛関係の強さを確かめようと,わざといったん反対のポーズをとる親があります。それは,子どもに対する親の(二人の関係をより強くするための)愛情行動の一つといえるのでしょうか。
さて,最後に同じく「岩を踏む」をテーマに娘子(をとめ)と藤井大成(ふぢゐのおほなり)が別れを惜しみ掛け合う2首を紹介します。
まず,大成が京に帰任することに対して娘子からの短歌です。
明日よりは我れは恋ひむな名欲山岩踏み平し君が越え去なば(9-1778)
<あすよりはあれはこひむな なほりやまいはふみならし きみがこえいなば>
<<明日からは私ともう逢えず寂しくてならないでしょうね。名欲山の岩を踏み均してあなた様が超えていかれた後は>>
それに対して大成が返します。
命をしま幸くもがも名欲山岩踏み平しまたまたも来む(9-1779)
<いのちをしまさきくもがも なほりやまいはふみならし またまたもこむ>
<<どうか達者でな。名欲山の岩を踏み均して,何度もやって来るからな>>
ここに出てくる名欲山は,大分県にある山を指すようです。奈良の京より遠いですが,別府あたりの港から船を利用して,難波港と行き来すれば,以外と楽な行路かもしれません。いずれにしても内容は「またね!」という別れの決まり文句です。
我々は,地方に赴任した大成のことを「地元の娘子とうまいことやったやん」なんて羨ましがってもいけませんよ。偶然かもしれませんが,1300年後も残るお二人の相聞歌を残せたこと自体を羨ましいと思うべきですよね~。まったく。
動きの詞(ことば)シリーズ…踏む(4:まとめ)に続く。
0 件のコメント:
コメントを投稿