2013年2月24日日曜日

今もあるシリーズ「垣(かき)」

<万葉時代には中間所得層が増加した?>
万葉時代は大陸の新しい文化が押し寄せ,京(みやこ)の道路や建物の整備,都市をつなぐ街道(はゆま)の整備,国分寺の建立(こんりゅう),土地の開墾(かいこん),繊維,陶器,刃物,貨幣鋳造(かへいちゅうぞう),製紙,兵器の製造などの新しい産業のための工場設置といった公共投資が積極的に行われた時代で,公共投資の恩恵を受けた現代で言ういわゆる中間層にあたる人たちの数が急速に増えてきたのではないかと私は考えています。
その人たちは,みずからの所得や財産の増加にともない,その豊かさ実感するため,(衣食住で)より高額な消費対象物(ぜいたく品)を求めることが生きがいになってきたと私は想像します。
<自分の家を持ってこそ富裕者の仲間入り?>
その豊かさを本当の意味で実感できるのは,自分の家を持った時ではないでしょうか。
当時の中間層の人たちは,自分の家を持とうと,より多くの所得を得るために,出世を目指す,新しい商売を考える,副業をこなす,将来値が上がると予測されるものに投資するなどをしたかもしれません(現代と同じように)。
その願いが通じ,自分の家を何とか手に入れます。しかし,中間層が手にできる家は限られた広さの土地に建てられたもののはずです。当然,家を建てることに適し,住みやすい土地(高台,川のほとり,街道や市場の近く)は人気があり,小さい区画に建てた家でも買い手はいたのだろうと私は思います。やっと手に入れた小さな土地の我が家と隣の家を隔てるもの,領地を明示するもの,プライバシーを守るものとして,垣(かき)が積極的に作られたのでしょう。
万葉集では,垣が出てくる和歌が40首ほどあります。その中に出てくる垣の種類や熟語は次の通りです。

青垣(あをかき)‥垣のようにめぐっている緑の山を形容する語。
葦垣(あしかき)‥葦で作った垣。
荒垣(あらかき)‥網目の荒い垣。
斎垣(いかき)‥社(やしろ)など神聖な領域にめぐらせた垣。みだりに越えてはならないとれていた。
岩垣(いはかき)‥岩石が自然に垣のようにめぐり続いているもの。
岩垣沼(いはがきぬま)‥岩垣に囲まれた沼。
岩垣淵(いはがきふち)‥岩垣に囲まれた淵。
垣越し(かきごし)‥垣を隔てること。まち,垣を超えてくること。
垣内(かきつ)‥垣根の中。屋敷の中。
垣つ田(かきつた)‥垣根の中にある田。
垣つ柳(かきつやぎ)‥垣根の内にある柳。
垣根(かきね)‥垣の根もと。または垣そのもの。
垣穂なす(かきほなす)‥垣のように取り囲んで。垣のように邪魔をする。
垣間(かきま)‥垣のすき間。
竹垣(たけがき)‥竹で網状に作った垣根。
籬,間垣(まがき)‥竹・柴などを粗く編んで作った垣。
瑞垣(みづがき)‥神霊の宿る山・森などの周囲に木をめぐらした垣。神社の周囲の垣。玉垣。

ところで,垣によって区分けした場合,他人はその中に入ってみたいと思います。恋人がその家にいる場合はなおさらですね。また,プライバシーを守るために,中が見えないように作られた垣があると中をのぞきたくなります。美人の女性がその家にいたとするとなおさらですね。
そんな気持ちを詠んだ詠み人知らずの1首を紹介します。

花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ(11/2565)
はなぐは あしかきごしに ただひとめあひみしこゆゑ ちたびなげきつ
<<花のように美人だったよ。葦の垣根越しにただ一目見つめ合ったあの子のことを千たびも思い返しては嘆くこの頃だ>>

プライバシーを守るために中を見えなくする垣(中を見るためには垣を越えて,見なければ見えない)があるいっぽう,中をわざと見せる垣があります。それが,荒垣,竹垣,籬のような垣です。網目を荒くして作り,中が見えるようになっています。中には入れないのですが,中が見えることで逆に中に入りたいという気持ちを強くさせる効果があります。
たとえば,自慢の庭があった場合,その一部または全部を外から覗けるようにしておくことで,自慢の庭のアピールができます。また,不審な人物が覗いていないか確認するためにも,逆に目の粗い。網状の垣にして,中から見えるほうが不審者排除という意味では良いということもあります。
次の1首は,そんな垣を詠んでいます。

我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも(4-777)
わぎもこがやどのまがきをみにゆかば けだしかどよりかへしてむかも
<<あなたの家の網の目になった垣を見に行っただけで,おそらく門から使いが出てきて「とっとと帰れと」追い返されるのでしょうね>>

この短歌は,大伴家持が若いころ,憧れの紀女郎(きのいらつめ)に贈った5首の中の1首です。若き家持は女郎に嫌われてしまっているのではないかと心配になり,こんな弱気な歌を贈ったのかもしれません。
どうも男女の仲を隔てるもの,障害なるもの,恋心を苦しめるもの,イライラさせるものの代名詞的として垣は万葉集で詠まれていることが多いようです。
わずかですが,男女の仲ではなく,ちょうど今頃の季節を詠んだ家持の垣が出てくる短歌を最後に紹介します。

鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか(19-4287)
うぐひすのなきしかきつに にほへりしうめこのゆきに うつろふらむか
<<ウグイスが鳴いている垣の中で見頃に咲いている梅だが,この雪で花が散ってしまわないだろうか>>

残念ながら今の都会では,庭に鶯が来て,鳴くことを経験できる場所は少ないのかもしれません。家持の家ではそれが可能だったのですね。羨ましい限りです。
<5年目の節目>
さて,このブログも開始して丸4年が経とうとしています。この間,250編以上をこのブログにアップしてきました。今まで,忙しくアップできなかったことはあっても,書く内容が見つからずアップできなかった記憶はありません。
それほど,万葉集は私に多くことを絶え間なく語り,多くの感慨を私に抱かせてくれました。その思いを次々と書き綴ってきたのがこのブログです。万葉集はこれからもまだまだ多くことを私に語ってくれることでしょう。
次回からしばらく,今もあるシリーズを中断し,旅先(海外)から当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ」をお届けします。
実は私は今月末から海外の観光ツアーに参加します(一応旅に出るのです)。その間,羈旅とリーズを何回かに分けてお送りします。
ツアーは日本よりも古い歴史が残されているヨーロッパのある国を周遊するものですが,行き先は到着してから最初の投稿でお知らせします。ツアーに同行するのは長年連れ添った妻,そして連れて行きたくはなかったのですが,どうしてもワインをたらふく飲むためについてくるという天の川君です。
我が家の3匹の猫たちはお留守番です。息子がほぼ毎日面倒を見てくれることになっています。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(1):山部赤人」に続く。

2013年2月14日木曜日

今もあるシリーズ「板(いた)」

万葉時代建物,船,橋などに多くの木の板が使われていたことが万葉集の和歌からわかります。
特に建物の屋根や出入り口の戸は,当時木の板で作られていたことが想像できる(大伴家持紀郎女に贈った)1首を紹介します。

板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む(4-779)
いたぶきのくろきのやねは やまちかしあすのひとりて もちてまゐこむ
<<屋根を葺く板の材料となる黒木(皮付きの板にする原木)は,私が住んでいるところが山に近いので明日にでも取りに行って持ち帰ってきましょう>>

この短歌は紀郎女に贈った5首の1首ですが,「貴女のためなら,木を切り倒す,薄い板に加工する,屋根を葺くまで,なんでやりまっせ」くらいの家持の勢いですね。家持がまだ若いときにかなり年上の紀郎女にお熱をあげた様子が分かります。
さて,次は板でできた戸を詠んだ詠み人知らずの東歌を紹介します。

奥山の真木の板戸をとどとして我が開かむに入り来て寝さね(14-3467)
おくやまのまきのいたとをとどとして わがひらかむにいりきてなさね
<<無垢の木で作った板戸をトントンと合図を送ってくだされば,私は戸を開きますから,入ってきて一緒に寝ましょう>>

夜妻問いのために男性は相手の女性の家に行きます。事前に妻問いすることを歌のやり取りで約束した二人,別の男が来たときは戸を開けないようにお互いの合図を取り決めているような1首ですね。妻問いの作法を教えている歌のようにも思えます。
さて,最後は神を近くに導く板の材料(杉)を題材に恋しく思う気持ちを詠んだ詠み人知らず短歌です。

神なびの神寄せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに(9-1773)
かむなびのかみよせいたにするすぎの おもひもすぎずこひのしげきに
<<神を近くに呼び寄せる板に使われている杉のように,私の思いは「すぎ(杉)去っていないもの」と忘れられずにいます。あまりにも恋しい気持ちが強いため>>

当時,杉の板は神事に使われるほど,良い香りがして,高級な板だったのかもしれません。
さて,板はそのほかにも,さまざまな囲いや仕切りに使われた可能性があります。奈良時代のそういった囲いや仕切りをめぐらした垣(かき)について,万葉集をもとに見ていきましょう。
今もあるシリーズ「垣(かき)」に続く。

2013年2月6日水曜日

今もあるシリーズ「宿(やど)」

現在では「宿」というと旅館,民宿,ホテルなどの宿泊施設を意味することが多いと思いますが,万葉時代では家の戸(屋戸),家の戸の前の庭先(屋外)または家そのものを指すことも多いといえそうです。
ただ,今回は旅の「宿」に関する万葉集の和歌を見ていきます。

君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ(15-3580)
きみがゆくうみへのやどに きりたたばあがたちなげく いきとしりませ
<<あなたが異国に行かれる途中の海辺の宿で霧が立って見通しが悪くなったら,私があまりに寂しくて号泣する息と思ってください>>

遣新羅使の夫に対して妻が贈ったとされる短歌です。遣新羅使ともなれば,宿は野宿ではなく,順調な旅であれば港の近くに宿泊施設を用意したと考えられます。
また,さまざまな事情(天候待ち,修理資材の調達待ち,次の到着地の準備待ち,海賊情報など)で港からの出航が待たされることもたびたびあったかもしれません。その間,遣新羅使たちはあり余る時間を港の宿が手配する遊女と一緒に過ごすことも考えられます。京に残った妻も気が気ではありませんから,こんな短歌も贈りたくなるのかも。
次は,もう少し厳しい旅の状況です。詠み人知らずの1首です。

十月雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし(12-3214)
かむなづき あままもおかずふりにせば いづれのさとのやどかからまし
<< 十月の雨がひっきりなしに降ったとしたらどこの里の宿を借りればよいかな~(今まで考えていなかったよ)>>

旧暦の10月は新暦では11月の頃でしょうから氷雨のような冷たい雨でしょうか。それがひっきりなしに降った場合,旅人が野宿するのは危険です。でも,この作者は宿を借りていません。
この短歌は次の妻から贈られた短歌の返歌です。

十月しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿か借るらむ(12-3213)
かむなづき しぐれのあめにぬれつつか きみがゆくらむやどかかるらむ
<<十月のしぐれの雨に濡れながらあなたは旅路を急いでいるでしょうね。宿を借られているでしょうか>>

妻からの心配に対して,宿を借りるほど大した雨ではないので,心配しないでほしいと夫は返したのです。
最後は高市黒人(たけちのくろひと)が富山に旅をしたときに詠んだとされる1首です。

婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日しかなしく思ほゆ(17-4016)
めひのののすすきおしなべ ふるゆきにやどかるけふし かなしくおもほゆ
<<婦負の野のすすきを押し倒すほど降る雪で,宿を借りることになり(先に進めない),今日という日は本当に悲しく思える>>

この短歌は,越中守であった大伴家持三国真人五百国(みくにのまひといほくに)という人物が黒人が越中を訪れた時に詠んだ短歌として紹介したようです。家持は「羈旅の歌人黒人も越中に冬の季節に訪れたときは苦労したのかな」と想像したのかしれませんね。
いずれにしても,万葉時代は旅人が止まる宿は今のような畳敷きやベッドルームではなく,せいぜい板で囲われた板の間だったと私は想像します。
次回はその「板」について万葉集を見ていきます。
今もあるシリーズ「板(いた)」に続く。