今の世の中,忘年会シーズンですね。いくら不景気とはいえ,今週ボーナスが出る人が多いと思います。きっと,今週末から来週にかけて,あちこちの居酒屋やレストランで多くの人たちが「乾杯」をする姿が見られるのだろうと予想しています。
さて,今「杯」の漢字は訓読みで「さかずき」と読みます。次の万葉集の長歌から万葉時代では,「つき(杯または坏)」は,お酒を入れるためだけではなく,様々な飲み物,食べ物を入れる丸い形をした器を指していたようです。
鹿島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児の刀自 父にあへつや 身女児の刀自(16-3880)
<かしまねのつくゑのしまの しただみをいひりひもちきて いしもちつつきやぶり はやかはにあらひすすぎ からしほにこごともみ たかつきにもりつくゑにたてて ははにあへつやめづこのとじ ちちにあへつやみめこのとじ>
<<鹿島嶺近くの机島でシタダミ(巻貝)を取って帰り,石で殻を割り,早い川の流れで綺麗に洗い,辛塩でよく揉んで,脚付きの器に盛りつけて,机の上に置いて,お母さんに差し上げましたか可愛いお嫁さん,お父さんにご馳走しましたか,愛くるしいお嫁さん>>
この長歌は,今の石川県の能登地方に伝わる歌謡を万葉集で紹介しているようです。
<嫁として嫁いだ先の両親とうまくやる方法>
嫁に行った夫の家で舅,姑とうまくやる(この嫁は気が利くなあと思わせる)にはどうしたらよいか教えてくれているようです。当時,妻問婚が主流だったようですが,庶民(特に漁村)の間では,嫁取り婚の風習がある地方もあったのではないかと私は想像します。当時の都人にとってはなじみのない嫁取り婚で,女性が血のつながりのない義親とどううまくやっていくのか,興味津々でこの長歌を見たのではないでしょうか。
でも,万葉集で杯を詠んだ他の和歌は,酒を注ぐための杯ばかりです。
春日なる御笠の山に月の舟出づ風流士の飲む酒杯に影に見えつつ(7-1295)
<かすがなるみかさのやまにつきのふね いづ みやびをののむさかづきにかげにみえつつ>
<<奈良春日の三笠山に船のような月が出たぞ。風流な人たちが飲む酒杯の中に映っているね>>
この旋頭歌は,月見の宴で出席者が待ち遠しい月がようやく三笠の山に出た瞬間を詠んだものだと私は感じます。出た月を杯の酒に映しながら飲むとまた格別な味がしたのでしょう。こういった趣向を楽しむ風流人が奈良の都にはたくさんいたのかもしれませんね。
さて,最後は酒は花見で一杯が定番ですが,万葉時代では桜の花見ではなく,梅の花見が盛んだったようです。
酒杯に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし(8-1656)
<さかづきにうめのはなうかべ おもふどちのみてののちは ちりぬともよし>
<<酒杯に梅の花を浮かべて友達同士で飲んだ後は,(梅の花が)散ってしまっても構いませんね>>
この短歌は,坂上郎女が詠んだとされています。花見など大勢で行う宴会ではお酒を飲んではいけないという禁酒令が出ている中,少ない人数で風流に梅の花を杯の酒に浮かべて歌でも詠みながら飲みましょう。それが許されるなら,散った後でもお酒を友達飲めますからという意味でしょうか。坂上郎女,その友人もお酒が大好きだったのですね。さすがに大伴旅人の親戚です。
次回は酒の原料である稲について取り上げます。
今もあるシリーズ「稲(いね)」に続く。
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