<従兄の他界>
2012年(平成24年)も後わずかになりました。12月下旬は仕事が予想外に忙しく,本ブログの更新が少し滞ってしまいました。
ようやく,会社も休みに入り,さあこれから,本ブログにたくさんアップしようかと思っていた矢先,私の従兄(いとこ)が亡くなったという知らせが入りました。亡くなった従兄は,滋賀県大津市の京阪電車石山坂本線石山駅の近くで鍼灸院を営んでいた私の父の兄の長男です。享年77歳。
私が小学校高学年から中学校にかけて,近江鉄道の職員から日産自動車の営業マンに転身した従兄は,私の父に会いに頻繁に来てくれて,いろいろ面倒を見てくれたことを覚えています。会社をリタイアした後は,若いころから趣味にしていた絵画(油絵)や木工の仲間達と展覧会を開いたり,展示即売会をしたりして楽しくゆったりと過ごしていたようです。
<万葉集にでてくる笠>
さて,今回は笠をテーマに万葉集をみていきます。
笠とは頭にかぶる帽子の役目(日よけ,雨よけ,虫よけ,風で髪の乱れの防止など)をするものです。今では笠はあまり見かけなくなっていますが,広辞苑の逆引き辞典を見ると「○○笠」がたくさん出てきます。江戸時代までは外出時の日常品としてさまざまな笠が利用されていたようです。
今笠を見たければ,各地の祭り(山形:花笠まつり,徳島:阿波踊り,富山:おわら風の盆など)に行くと,踊り手がかぶっているのを見ることができます。
万葉時代,笠の材料は次の柿本人麻呂歌集に出てくる詠み人知らずの旋頭歌のように菅(すげ)を編んで作っていたことが想像できます。
はしたての倉橋川の川の静菅我が刈りて笠にも編まぬ川の静菅(7-1284)
<はしたてのくらはしがはのかはのしづすげ わがかりてかさにもあまぬかはのしづすげ>
<<倉橋川の川辺にいつも生えている菅を私が刈りました。でも,刈ったままで笠に編まないままにしてあるいつも川に生えている菅なのです>>
解釈がいろいろ考えられますが,幼なじみの二人がなかなか結婚まで行けないことを滑稽に詠ったものだと私は解釈します。なお,静菅は何か特別な菅の種類を指すのではなく,「静」が「動かない」という意味から,いつも生えているという意味にしました。
なお,次の詠み人知らずの短歌のように菅の笠も地域ブランドがあったようです。
おしてる難波菅笠置き古し後は誰が着む笠ならなくに(11-2819)
<おしてるなにはすがかさ おきふるしのちはたがきむ かさならなくに>
<<難波の菅笠であっても使わず放っておいたら誰かが使うでしょうか? そんな(安っぽい)笠ではないのに>>
この短歌もいろいろ解釈ができそうです。私の勝手な解釈ですが,作者は女性で,高級ブランドの難波菅笠(難波には品質の良い菅と優秀な笠職人がたくさんいた?)のようなプライドを持った人ではないでしょうか。この作者「いつまでもたっても通ってきてくれず,放っておいたら古びてしまいますわよ」と言いたげですね。
次の詠み人知らずの短歌から,そのほかにも菅笠の地域ブランドが想像できます。
人皆の笠に縫ふといふ有間菅ありて後にも逢はむとぞ思ふ(12-3064)
<ひとみなのかさにぬふといふ ありますげありてのちにも あはむとぞおもふ>
<<人が皆笠に編むという有間菅。そのように,生きていれば,いつかきっとあなたに逢えると思う>>
有馬温泉がある兵庫県南東部ではきっと良い菅が採れ,その菅を編んで作った菅笠が平城京の西の市,東の市で大量に売られていたのかもしれませんし,有馬温泉のお土産として売られていたのかもしれません。有馬(ありま)は,在り待つ(生きてひたすら待つ)を連想させる言葉だったのでしょうね。
何をやってもなかなか上手くいかないことが多い今の世の中ですが,自分が今できることを着実・地道に行い,チャンスの到来をじっと待つ忍耐力の重要さを私はこの短歌から感じ取ります。
さて,今もあるシリーズはいったんお休みし,来年1月7日までは年末年始スペシャルをお送りします。
年末年始スペシャル「今年を振り返って」に続く。
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