東日本大震災後の電力需要のひっ迫から,街角の照明は少し暗く感じてしまいます。
その暗さにもかなり慣れてきましたが,たまに名古屋に出張に行くと駅や地下街の明るく,東京は名古屋に比べると暗いなあと感じます。
さて,万葉時代は現代のように照明によって夜も昼間と同じ暮らしができる技術が少なかったのはずですが,次のような照明(漁火)を詠んだ遣新羅使による短歌が万葉集にあります。
海原の沖辺に灯し漁る火は明かして灯せ大和島見む(15-3648)
<うなはらの おきへにともし いざるひは あかしてともせ やまとしまみむ>
<<海原の沖に灯す漁火はもっと明るく灯してくれよ,懐かしい大和島を見たいから>>
ただ,「明るさ」の大半は次の詠み人知らずの短歌2首のように,やはり太陽,月によってもたらされるものだったようです。
朝霜の消なば消ぬべく思ひつついかにこの夜を明かしてむかも(11-2458)
<あさしもの けなばけぬべくおもひつつ いかにこのよをあかしてむかも>
<<朝霜が朝日によって次々と消えてしまうように,私の果敢ない期待の気持ちのみでどうして夜を明かすことができるのか>>
今夜の有明月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし(11-2671)
<こよひのありあけつくよありつつも きみをおきてはまつひともなし>
<<今夜の有明の月夜のように朝お日様が出てくるまで夜通し起きてあなたを待つなんて私以外誰もいなのです>>
いっぽう,万葉集の「暗」の用例を見ると,夜が暗いという用例は少なく,日影の暗さを指すことが多かったように想像できます。
次は,大伴家持が初夏になってホトトギスが来て鳴くのを待ち焦がれている1首です。
霍公鳥思はずありき木の暗のかくなるまでに何か来鳴かぬ(8-1487)
<ほととぎすおもはずありき このくれのかくなるまでに なにかきなかぬ>
<<霍公鳥よ私は思いもしなかったよ。葉が繁って木陰が暗さがこんなに増すまで,どうしておまえは来て鳴かないのか>>
ホトトギスは,恋人に「夏になったら逢おうね」と手紙を出したことに対する彼女からの返事のことを例えているのかも知れませんね。
では,万葉集で夜の暗さを表現する言葉は何を使って表現しているのでしょうか。それは「闇」という言葉です。次は詠み人知らずの短歌です。
闇の夜は苦しきものをいつしかと我が待つ月も早も照らぬか(7-1374)
<やみのよはくるしきものを いつしかとわがまつつきも はやもてらぬか>
<<闇夜は苦しいもの。いつなのだろう私が待っている月よ早く出て照らないのかなあ>>
こうやって万葉集を見てみると,明るいことと良いことを結びつけて考えるのは,今も昔もあまり変わらないことが分かる気がします。
<性格の明るさ,暗さ>
それは,人の性格にも当てはまるのではないでしょうか。明るい性格は人に好かれる傾向があり,仕事で人と接することが多い場合も,さまざまな人の協力が得られることが多く,良い結果となることが多いようです。
でも,逆の暗い性格は良くないと断定してしまうのは言いすぎだと私は思います。
性格が暗いという判断は非常に曖昧だと私は思います。実は単に自分は嫌いだから暗いヤツだと感じてしまうこともあるのではないでしょうか。
ユニークな才能を持った人は関心のある視点が多くの人と違っていて,多くの人が楽しいと思うことに対してそう感じないことがあります。
特に考える力に秀でた人は,あるテーマに関して並はずれた集中力で思考している最中,まったく周囲に関心を払わないことがあります。
それから,間違いや矛盾を発見する能力が抜群の人は,間違いを放置することができず,間違いを誰彼となくずばり言ってしまうことがあります。
でも,その人達は一般の人より超越した能力をもっているかもしれないのですが,以前の私は往々にして「何て根が暗い人だ」と思い込んで,距離を置いてしまうことがありました。
その結果,知らない内にその人の心を傷つけていたのかもしれません。
今の私は,もし性格が暗いと感じる人がいたら,その人を暗くさせている原因の一つに自分の接し方や態度がある可能性はないのかまず考えるようにしてます。
そして,その人を明るく感じられるようにするには「私自身」がどうすればよいか考えます。その人に「もう少し明るくなってほしい」などと求めるのではなく。
対語シリーズ「内と外」に続く。
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