2012年1月2日月曜日

私の接した歌枕(13:相馬)

<相馬訪問の思い出>
私が福島県相馬市に行ったのは,今から10年ほど前のGWのとき1回だけです。私が幹事をしているソフトウェア保守や進化を専門に研究する研究会の作業部会で,国際規格の翻訳や規格内容の評価をするため泊まり掛けで作業を行うことにしました。
私は当時その作業部会のリーダをしていた関係で,宿泊先を探す役目がありました。いろいろな会社などに所属するメンバーの都合がGWの真っ只中5月2日,3日しか空いていないため,やむなく5月2日泊で場所を探すことになりました。所属する会社などからの宿泊代補助がそれぞれ限られていることもあり,リーズナブルな宿泊場所がGWでなかなか見つかりません。
メンバーからは私が苦労して探していることも知らず「今まで房総は行ったことがないので房総はどう?」「伊豆で美味しい魚を食いながら研究というのは?」「美味しい魚だったら三浦でマグロも近くて良いんじゃない?」などと勝手なリクエストがどんどん入ってきました。断っておきますが,この私も含め多くの研究員がJIS(日本工業規格)の調査委員会メンバーなったくらいの非常にまじめな研究会なのです。研究内容が国際規格の翻訳と内容の評価ですから,非常に責任ある重い研究テーマのため,食事時くらいリラックスできる場所をリクエストしたくなるのは人情というものです。
<ちょっと遠いがGW中空いている宿がやっと見つかる>
さて,苦労の挙句,インターネットで探す範囲を関東圏から少しずつ外に広げていったら,ようやく相馬市の松川浦に面し,相馬港からもそう遠くない風光明媚と思われる旅館が見つかりました。旅行検索サイトで紹介されている宿泊プラン(お仕事出張プラン:平日のみ)が,1部屋の人数が4人以上ですが1泊2食付き(税・サ込)で一人8.500円というのが見つかったので,検索サイトから予約をすぐしました。
予約が完了し,予約完了メールが届き,一番心配していた宿泊先も何とか確保でき,作業部会メンバーにメールで連絡しました。
メンバーからは「ソウマ?」「どこ?」「どっかの山奥?」などと返信が来ました。場所は遠いが一旦仙台へ新幹線で行き,常磐線を南下すれば相馬駅までそう時間は掛からない,予約した旅館は,研究できる部屋を用意してくれ,また海の近くで,近海でとれたものを出してくれると答えると,「OK。楽しみだ」「よくぞGW中に確保した」などと研究会の目的とは少し違う意味で賛成してくれました。
<まだネット予約に慣れていない旅館の主人>
ところが,1週間ほどして,旅館の主(あるじ)と思われる人から電話があり,「部屋は空いているが,そのプランはGW中はやっていないので,大変申しをないが8,500円でお泊めできない」という内容でした。私は,キツネにつままれたようにキョトンとしました。意味が全く分かりません。「だって,旅行予約サイトでちゃんと予約ができたよ?」と返しました。
そうしたら「当方の設定不慣れで空きがあると予約できるようになっていたためのようです。何とか,GWでも利用できるプラン(同内容で10,000円)でお願いできないでしょうか?」との返事。「でも~」と私が言うと「予約サイトの営業マンが『簡単ですから』というので最近載せてもらいましたが,内容の更新が難しいというか,面倒というか..。つい設定の一部が漏れていまして。」と涙声に近い懇願でした。
<ネット予約サイトの反応>
私は,最悪キャンセルするという選択肢もあるので,一応了解し,予約サイト業者へこの事実を連絡しました。
その返事は「コンテンツや予約設定に関しましては,すべてご契約の宿泊施設様の責任となっておりまして,当方では如何ともしがたいのです。」というもの。私はITの専門家ですから「田舎の旅館の主(ITの非専門家)が間違えるような設定方法に問題があるのでは?どんなチェックや警告メッセージを出すようにしているのですか?」と問いただしました。「実はわたくしもそのへんはあまり詳しくありませんで,大変申し訳ございません」との回答で,話になりませんでした。「貴社のユーザは,片田舎のITに詳しくない人が多いのだから丁寧に説明・指導するか,システムの利用者インターフェース(操作性)を改善しないと,またこんなことが起こりますよ」と私は警告するに留め電話を切りました。
<結局GW価格で了解>
メンバー(私と同じIT専門家)からは「まあ,GWだからね。相馬松川浦は良いところらしいから楽しみ」「会社から補助が出ない分は自腹OK」「ユーザ側(旅館側)に立とうよ」などの意見をもらい,最終的に10,000円で利用することにしました。
当日昼,相馬駅から旅館までタクシーで旅館に乗り付けると予想通り純朴そうな主や女将でが出迎え東北訛りで「この度は大変申し訳ありません」と深々と頭を下げられました。
研究は,国際規格の翻訳を分担したメンバーがほぼ済ませて集まってきたので,用意された部屋でしっかりと内容の評価ができました。
夕食と朝食は見栄えは繊細とは言えませんが,大きなキンキ丸ごとの煮つけ,地魚の刺身,天ぷらなど,たっぷり出してもらいました。メンバーの意気もあがり,夜の規格評価結果の議論,翌朝のまとめも予定通り済ませ,翌日の昼にチェックアウトしました。
<翌日の散策>
すぐに東京へ帰るのはもったいないので,近辺を散策しました。相馬港までの海沿いの通りでは,祝日で出店や鮮魚市がたくさん並んでいて,なかなかの賑わいでした。
一番驚いたのは,毛ガニの小さいものが鮮魚市で売られていました。「この辺で獲れるの?」と聞くと,この辺りは寒流が入り込んでいるため獲れるそうですが,地元以外に出荷できるほどは獲れないとのことでした。
昼食は,近くの食堂で地魚定食を頼み,満腹の腹をこなすため,松川浦大橋の近辺を散策しているとメンバーのひとりが「万葉集の歌碑があるよ」と私に教えてくれました(次の歌)。

まつが浦にさわゑうら立ちま人言思ほすなもろ我が思ほのすも(14-3552)
まつがうらに さわゑうらだち まひとごと おもほすなもろ わがもほのすも
<<松が浦に潮騒が騒ぐように人の噂はうるさいけれどきっとあの方は私のことをお想いになっている。私があなたを想っているように>>

私が万葉集を学生時代少しやっていたことを知っているメンバーが何人かいて「訳してよ」とせがまれましたが,こんな東歌を学生時代みたこともなかった上,「まつが浦」「松川浦」だとも全然しりませんでした。また,非常に難しい上代東国方言も混じっていたので,結局「降参」しました。
このときの悔しさが4年ほど前から万葉集をもう一度やってみようと思う要因の一つになったのも事実です。
<そして,東日本大震災>
昨年3月11日の大震災の津波でこの一帯は壊滅的な被害を受けました。YouTubeに掲載されている相馬港,松川浦の津波の激しさ,津波後の本当にひどい状況を見て,私はその旅館は大丈夫か気になりました。
旅館のホームページを検索すると何とか倒壊は免れ,夏には一部営業を再開しているようです。ただ,相変わらず近海物の魚がまったく手に入らず困っていることが旅館のホームページの掲示板に載っていました。
旅館の主もかなりパソコンの操作に慣れているのか,常連客からの震災被害の状況問合せにもテキパキと答えているようです。
早く,近海の魚が普通に獲れるようになったら,相馬沖で獲れた小さな毛ガニを味噌汁に入れたものを食べに行きたいと考えています。
私の接した歌枕(14:松山)に続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿