年末年始スペシャルも終り,対語シリーズに戻りました。
日本列島も小寒が過ぎ,2月4日の立春まで暦の上では1年の内でもっとも寒い時期となります。暖房器具にお世話になる時期でもありますが,くれぐれも火の取り扱いには注意してください。ただ,火災が1年のうちでもっとも多いのは,2月,3月だそうです。寒暖の差が大きくなる早春は暖房器具に対する注意が散漫(不注意,不始末)になりやすいので,本当は危ないのかもしれませんね。
さて,万葉集の中で「寒」「暖」を見て行くと「暖」は1首のみ,また「暑」も1首のみです。いっぽう「寒」を詠んだ和歌は60首近くもあります。万葉時代は今のような暖かい服装,寒さを通さない断熱材,隙間風を入れない密封構造の家,夏を思わせるような暖房設備などはなかった時代です。今よりも寒さを感じることが多く,寒さを感じたときのつらい気持ちなどを詠んだ歌が万葉集で多くなるのは当然かもしれませんね。
では,まず「暖」を詠んだ短歌から紹介します。
しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ(3-336)
<しらぬひつくしのわたは みにつけていまだはきねど あたたけくみゆ>
<<この筑紫の綿は身に付けてまだ着たことはないけれど暖かそうに見える>>
この短歌は大伴旅人が筑紫の大宰府長官として赴任していた時期に,万葉集に短歌7首を残した沙弥満誓(さみのまんせい)が詠んだ1首です。満誓は元役人でしたが,その後出家し,筑紫に国に造営された観世音寺(くわんぜおんじ)の別当(べったう)の任に付いていたのです。
筑紫で採れる綿の品質が良く,その綿を使って衣を作って着るときっと暖かいでしょうと詠んでいるのですが,この歌は誰に贈っているのでしょう?
私は旅人に向けて詠んだのだと思います。旅人は齢60歳で平城京から遠く離れた大宰府まで左遷され,失意の底にいたのだと思います。満誓は「筑紫にも良いものがたくさんありますよ,その中でも..」と旅人に伝えたかったのかもしれません。
ところで,万葉集で旅人といえばほとんどが筑紫での彼の姿を映しています。しかし,巻9で高橋蟲麻呂(たかはしのむしまろ)歌集として取り上げられているなかに,旅人が夏の筑波山に登ったという長歌が出てきます。
衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば~(9-1753)
<ころもでひたちのくにの ふたならぶつくはのやまを みまくほりきみきませりと あつけくにあせかきなげ このねとりうそぶきのぼり をのうへをきみにみすれば~>
<<常陸の国に二峰が並ぶ筑波の山を見たいとお思いになって貴殿が来られたというので,暑いさなか汗をかくことを嘆きつつ,木の根をつかみ,ふうふう言いながら登って山頂を貴殿にお見せすると~>>
このころ旅人は50歳代後半であったと考えると,夏の暑さの中筑波山(今のようにロープウェイはありません)を登ったとしたら,年齢の割に元気だったのということになりますね。
さて,今度はたくさん詠まれているほうの「寒」について,いくつか紹介しましょう。
旅先で一人で寝るのは,特に寒く感じます。そんな思いを常陸の国から防人(さきもり)に向かう旅路の途中で詠んだ短歌です。
旅衣八重着重ねて寐のれどもなほ肌寒し妹にしあらねば(20-4351)
<たびころもやへきかさねていのれども なほはださむしいもにしあらねば>
<<旅服を何枚着重ねて寝てもまだ肌寒い。その衣は妻ではないので>>
次は逆に妻と一緒に寝るなら,寒さもヘッチャラという詠み人知らずの短歌です。
刈り薦の一重を敷きてさ寝れども君とし寝れば寒けくもなし(11-2520)
<かりこものひとへをしきてさぬれども きみとしぬればさむけくもなし>
<<刈り取って作ったマコモの筵(むしろ)1枚を敷いて寝るような寒い家だけどキミと寝れられるならぜんぜん寒くはないよ>>
寒の入りになると早く春の兆(きざ)しが待ち遠しくなりますね。その兆しとして,よく例に出されるのは梅の便りでしょうか。早く梅には咲いてほしいが,無理はしないでほしいという梅へのいたわりの気持ちを詠んだ詠み人知らずの短歌を紹介して今回の記事を終りにします。
雪寒み咲きには咲かぬ梅の花よしこのころはかくてもあるがね(10-2329)
<ゆきさむみ さきにはさかぬうめのはな よしこのころはかくてもあるがね>
<< 雪がふるほどまだ寒いのでぱっとは咲けない梅の花よ。まだ今のうちはそうしているのが良いですよ>>
対語シリーズ「白と黒」に続く。
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