万葉集で「朝」という漢字が単独であてはめられることがありますが,その仮名読みは「あした」です。
矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも(3-262)
<やつりやま こだちもみえずふりまがふ ゆきにさわけるあしたたのしも>
<<矢釣山の木立も見えないほど降り乱れる雪の朝は皆でこうして集まり騒げて楽しいことですね>>
この短歌は柿本人麻呂が新田部皇子(にひたべのみこ)に献上した長歌の反歌です。八釣山の八釣は,現在の明日香村にある同じ地名の場所(甘樫丘の東側)だろうとのことで,藤原京に仕える皇族の邸宅があったところのようです。
当時でも飛鳥地方でひと冬に大雪が降ることは,日本海側ではないため,数回ある程度だったと思われます。積もるような大雪となった朝は宮廷は休みとなり,雪が止んだ後,家族や近所の人々と庭の木々や家の屋根に積もった美しい光景を楽しもうと考えたのかもしれません。特に,子供にとっては雪の上を走りまわったり,雪の家(かまくら)を作ったりして,日頃とは違う遊びができたのでしょう。
「あさ」と読む場合は,次のような熟語で使われているときです。
「朝寝<あさい>」「朝影<<朝,鏡や水に映った姿や景色>>」「朝霞」「朝風」「朝川<<朝渡る川>>」「朝顔<<桔梗のことか?>>」「朝烏<<朝鳴くカラス>>」「朝狩<<朝行う狩>>」「朝霧」「朝曇り」「朝明<あさけ><<明け方>>」「朝漕ぎ<<朝,舟を漕ぐこと>>」「朝東風<<朝に吹く春風>>」「朝言<<朝一番に発せられる言葉>>」「朝越ゆ<<朝に山や峠を越えて行く>>」「朝去らず<<毎朝欠かさず>>」「朝月夜<あさつくよ><<有明の月>>」「朝露」「朝戸<あさと><<朝起きて開ける戸>>」「朝床<あさとこ><<朝まだ起きていないでいる寝床>>」「朝戸出<あさとで><<朝,戸を開けて出ること⇒一夜明けて女性のもとを去ること>>」「朝菜<<朝食のおかずの野菜,海藻など>>」「朝な朝な<<毎朝>>」「朝凪ぎ<あさなぎ><<朝,海風と陸風が変わるため無風になる時間>>」「朝な夕な<あさなゆふな><<いつも>>」「朝に日に<あさにけに><<いつも>>」「朝寝髪<あさねがみ><<寝起きで乱れたままの髪>>」「朝羽振る<あさはふる><<朝,鳥が羽を振るように風や波が立つ形容>>」「朝日」「朝日影<<朝日の光>>」「朝開き<<朝の船出>>」「朝守り<<朝の宮門の守護>>」「朝宮<<朝の宮仕え>>」「朝行く<<朝出発する>>」「朝宵<あさよひ><<いつも>>」
この中から「朝戸出」を詠んだ旋頭歌を紹介しましょう。
朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな(11-2357)
<あさとでのきみがあゆひをぬらすつゆはら はやくおきいでつつわれももすそぬらさな>
<<朝戸を出てゆくあなたの足結を濡らす露が降りた原。私も早く起きてそこに出てあなたと同じように裳の裾を濡らしましょう>>
妻問いを終えて帰る男性との別れを惜しむ妻(女性)の作です。妻問いでは女性は外まで出て見送ることはしません。しかし,妻は夫を恋慕う気持ちがおさまらず「早起きして一緒に外に出てお互いの足元を朝露で濡らせましょう」と詠んだ。こんな歌を贈られた男性は,またすぐ妻問いに来る気持ちになったに違いなかったと私は想像します。
さて,反対の今度は「夕」の漢字をあてる場合ですが,「夕」単独では「ゆふへ」の仮名読みが多く出てきます。
我が背子が宿なる萩の花咲かむ秋の夕は我れを偲はせ(20-4444)
<わがせこが やどなるはぎのはなさかむ あきのゆふへはわれをしのはせ>
<<あなた様の家の庭の萩(はぎ)の花が咲いた秋の夕にも私を偲んでください>>
この短歌は,天平勝寶7(755)年の5月,奈良の大伴家持の自宅で開かれた宴席で,参加者の大原今城(おほはらのいまき)が詠んだとさせれているものです。この前の短歌で,主人の家持が今城に対して,撫子(なでしこ)の初花を見ると貴殿(今城)のことが思い出されるでしょうと詠んだのです。そのお返しとして,撫子は大伴家の花,私は秋の夕方に地味に咲く萩の花を見たときに偲んでくだされば結構ですと詠んだと私は解釈します。
ところで,「夕(ゆふ)」を使った熟語も「朝」ほどではないですが,出てきます。
「夕占<ゆふうら,ゆふけ><<夕方に行う占い>>」「夕影<<夕方,物の影になるところ>>」「夕影草<<夕方の光に照らされている草>>」「夕かたまけて<<夕方になって>>」「夕川<<夕方渡る川>>」「夕狩<<夕方に行う狩>>」「夕霧」「夕越え<<夕方山や峠を越えること>>」「夕懲り<ゆふこり><<夕方になって,霜や雪が固まること>>」「夕去らず<<毎夕>>」「夕さる<<夕方になる>>」「夕潮<<夕方満ちてくる潮>>」「夕月」「夕月夜<ゆふづくよ><<夕方の月>>」「夕星<ゆふづつ><<宵の明星>>」「夕露」「夕凪」「夕波」「夕の守り<<夕方宮門の守護をすること>>」「夕羽振る<ゆうはふる><<上記「朝羽振る」参照>>」「夕宮<<夕方の御殿>>」「夕闇」
この中で「夕占」を詠んだ短歌を紹介しましょう。
夕占問ふ我が袖に置く白露を君に見せむと取れば消につつ(11-2686)
<ゆふけとふ わがそでにおくしらつゆを きみにみせむととればけにつつ>
<<夕方であなた様が逢いにに来てくださるのか占ってみました。わたしの袖に置いた白玉の露をあなた様に見せようとそっと何かに取っておけば消えないでしょうか>>
この短歌は,妻問いを待つ女性が露を自分の袖に振りかけて,その露が袖に吸い込まれて消えてしまわなければ逢えるという占いだったかも知れません。逢いたい一心で,何かの器に露を取って置けば,露は消えず,相手が来てくれて逢えるに違いないという願望が私には伝わってきます。
このように「朝と夕」を題材にした万葉集の和歌を見てきましたが,皆さんには万葉人の「朝と夕」の感じ方について少しでも伝わりましたでしょうか。
対語シリーズ「老と若」に続く。
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