私は今年奈良県明日香村の「みかんの1本木オーナー」(http://yume9200.jp/ippongi.htm)になっています。
7月下旬,摘果(生育の悪い実や傷の付いた実を取る作業)のため,1泊2日をかけて契約農園を訪れました。お金の節約と学生時代に長距離の列車旅行を追体験したいとの気持ちで,何と埼玉県の自宅から奈良までの往復は「青春18きっぷ」を使い普通列車で移動しました。
写真はJR西日本「万葉まほろば線」香久山駅駅近くの踏切から線路を撮ったものです。真直ぐ延びる鉄道は,ローカル線といえども,やはり近代産業で形成された人工物の象徴のように感じてしまいます。
いっぽう,もう一つの写真はその日に撮った飛鳥寺近くの整備されていない道です。真直ぐではなく曲がっています。昔のこのあたりの道も真直ぐな道は少なく,曲がっていたのだろうと想像します。
古来日本では道を自然の地形,起伏に合わせたり,川や湖沼を避けたり,形の良い目印になる木を残すために迂回したりして作られるから曲がるのではないかと思います。何かを作るとき効率さを最大限求めた場合は,一般に直線や真円をベースに設計するのがベストでしょう。しかし,それは往々にして自然の形と相反することがあります。
その時,自然の形に刃向って(自然を変形させても)作るのか,自然と調和させて作るのか,それを利用する人達の考え方や暮らし方に依存するのだろうと私は考えます。
<万葉集の話>
さて,万葉集では「直」の漢字をあてる言葉として「直(ただ)」があります。「直(ただ)」は「真直ぐ」という意味のほか「直接(ちょくせつ)」という意味も万葉集では使われています。
対語が「曲」または「隈」という「まがる」という意味ですので,今回は「真直ぐ」という意味の「直」を見て行きます。
直越のこの道にしておしてるや難波の海と名付けけらしも(6-977)
<ただこえのこのみちにして おしてるやなにはのうみとなづけけらしも>
<<難波へまっすぐに越えたこの路から見て「おしてるや難波の海」と名づけられたのか>>
この短歌は神社老麻呂(かみこそのおゆまろ)が草香山(生駒山の西側)の峠を越えたときに詠んだとされる2首の内の1首です。この峠越えは大和盆地(奈良)から難波(大阪)に通じる一番短い(真直ぐな)道で,そのためこの峠を越えて双方の国に行くこと「直越(ただごえ)」と呼んでいたのでしょう。「おしてるや」は難波に掛かる枕詞(まくらことば)です。当時「おしてるや難波」は決まり文句だった私は想像しますが,作者は決まり文句になった理由がわからなかったのです。
しかし,実際に峠から難波の方面を見たところ,太陽に光って反射する海,潟,沼,田などがまさに「押し照る」(一面に照りつける)様子を見て,納得したとのでしょう。
なお,枕詞については,2009年5月24日から4回にわたって,私の考えを述べていますので,よかったら見てください。
さて,「真直ぐ」の対語は「曲がっている」です。万葉集では「曲(まがる・くま)」「隈(くま)」という漢字があてられています。
真直ぐなところは見通しが良いのですが,曲がっているところは見通しが悪く,物陰ができます。また,複雑に入り組んでいると方向が分からなくなるため,目印をつけることが必要になります。
次の成句からもその状況が読み取れます。
川隈(かはくま)‥川の折れ曲がっている所
隈処(くまと)‥物陰
隈廻(くまみ)‥曲がり角
隈も置かず‥曲がり角ごとに
隈も落ちず‥曲がり角ごとに
水隈(みぐま)‥水流が入りくんだところ
道の隈‥道の曲がった角
百隈(ももくま)‥多くの曲がり角
八十隈(やそくま)‥多くの曲がり角
その中で,次の短歌を紹介します。
後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背(2-115)
<おくれゐてこひつつあらずは おひしかむ みちのくまみにしめゆへわがせ>
<<一人残されて遠く恋しく想っているよりは追いかけて参りますから,道の角ごとに標(しるし)をつけてください,私のあなたさま>>
許されない恋いだからこそ燃え,引き離されようとするほど恋しい想いは募る,その気持ちの揺れがまさに「隈」という表現にぴったりなのかも知れませんね。
さて,「直」と「隈」の対比を的確に伝えるにはもっと用例(万葉集の歌)をたくさん紹介した方が良いとは思いますが,長くなるので,まずはこのくらいにしましょう。
対語シリーズ「夢と現(うつつ)」に続く。
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