2011年9月14日水曜日

対語シリーズ「夢と現(うつつ)」‥直(じか)に逢えないなら夢で逢いましょう

万葉集で,寝ている時に見る夢について,約100首詠われています。
その多くが恋人が夢に出てきたり,恋人に夢で逢えたりすることを詠っています。
本当は直に逢いたい。でも,それが叶わないから夢で逢えたらいいなあ。また,夢で逢えたけれど心は苦しいままだなどと辛い恋の歌が多いようです。
起きている(覚めている)時を万葉時代は「現(うつつ)」と呼んでいました。そして,寝ている時の「夢」と起きている時の「現」の対語をいっしょに詠んだ和歌が万葉集には17首も出てきます。

現には逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ(5-807)
うつつには あふよしもなし ぬばたまの よるのいめにを つぎてみえこそ
<<現実には逢うのは無理だってわかってるの。だったらせめて私の夢に出てきてよお願いだから毎晩夢に出てきて>>

万葉時代は新しい階級制度,さまざまな格差,新しい文化の流行,都会的風習などが広がっていこうとした時代だったのではないかと私は想像します。
さまざまな出会い,ふれあう機会が増えてきたのかもしれません。そんな時代に男女は恋をし,その恋がさまざまな障害(噂,告げ口,妨害,非難。家柄など)によって思うようにならない苦しさを味わうようになったのかもしれません。
結果として,万葉集に現れる恋の歌の多くが恋の苦しさを表現するものになったのは,そのような時代背景があったためかと私は思うのです。
そして,「現(うつつ)」でうまくいかない苦しさを「夢」で癒そうとしたのが,まさにこの短歌だと私は感じます。
次は「現」が使われた成句を詠んだ詠み人しらずの短歌を紹介します。

玉の緒の現し心や八十楫懸け漕ぎ出む船に後れて居らむ(12-3211)
たまのをの うつしこころや やそかかけ こぎでむふねに おくれてをらむ
<<確かな覚めた心で数多くの楫(かじ)を装着して漕ぎ出ようとするあなたの船を残って見送る私です>>

「現し心」とは「夢見心」の反対で,しっかりと覚めた心でという意味です。
去っていく恋人を心の乱れを必死にコントロールしつつ,眺めている女性の心理がこの短歌から強く私には伝わってきます。
いっぽう,「夢」に対して強い願いを訴えたこれも詠み人しらずの短歌を紹介します。

ぬばたまの夜を長みかも我が背子が夢に夢にし見えかへるらむ(12-2890)
ぬばたまの よをながみかも わがせこが いめにいめにし みえかへるらむ
<<長い夜はねえ,僕の恋人は繰り返し繰り返し夢の中で逢いにくるのさ>>

この男性,強がっているようにも思えますが,夜一人になると彼女のことが頭から離れない様子が手に取るように分かりますね。
<小学校の頃の話>
ところで,私が小学生の頃NHKのテレビ番組「夢であいましょう」を家族と一緒に見ていました。夜遅い番組で,当時としては少し成人向けのウィットもあり,小学生の私には刺激が強かった部分もありました。
でも,梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」,ジェリー藤尾の「遠くに行きたい」,日本航空ジャンボジェット機墜落事故でその後亡くなった若き日の坂本九の「上を向いて歩こう」など,後のスタンダードナンバーになった歌。そして,黒柳徹子,永六輔,中村八大,三木のり平,谷幹一などの軽妙なおしゃべりやコントが心に残っています。
この番組が放送されると眠さも宿題も忘れて「現(うつつ)」で見ていた小学生の私がいたのです。番組で演奏される歌の歌詞の良さ,コントの巧さなどは,大人になってから日本語に対する興味を私に強く持たせる原動力になったのかも知れませんね。
対語シリーズ「朝と夕」に続く。

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