歌心のあった家持は美しく豊かな越中の地で自然,人情,美味しい食べ物を満喫し,多くの和歌を万葉集に残しました。
家持は,越中時代取り分け鷹狩りに熱中したようです。
鷹狩りは,野外で身体を使う高度な知的で人気のスポーツだったのでしょう。
鷹との相性,獲物の習性やいる場所の推測,獲物に悟られない俊敏な行動,競争相手との駆け引きなど,家持のような知的官僚が熱中しそうな要素が多々ありそうです。
そのため,越中の家持は一番お気に入りの大黒と名付けた矢形尾を持つ鷹がいなくなってしまったときの嘆きと鷹に帰ってきてほしい気持ちを詠った長歌を万葉集に残しています。
~照る鏡 倭文に取り添へ 祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし ~(17-4011)
<~てるかがみ しつにとりそへ こひのみて あがまつときに をとめらが いめにつぐらく ながこふる そのほつたかは まつだえの はまゆきくらし~ >
<<~美しい鏡を高級な綾布に添えて鷹の帰りを神に祈って私が待つと,若い乙女たちが夢の中で私に告げた。「あなたが待ち焦がれているその優れた鷹は松田江の浜に行って暮していますよ」~>>
結局,最高の布に最高の鏡を添えて,鷹が無事帰ってくるようにと家持の願いもむなしく鷹は帰ってこなかったようです。
実は,この鷹を山田君麻呂という年配の人物が家持と一番気があっている鷹を勝手に狩に出し,逃げられてしまった。家持はこの長歌の中ほどで山田翁に対し「狂れたる 醜つ翁の」というくらい怒りをぶつけています。
また,その後の短歌で次のように山田爺の実名を挙げて,さらに一撃を加えています。
松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ(17-4014)
<まつがへり しひにてあれかも さやまだの をぢがそのひに もとめあはずけむ>
<<ボケてしも~たか? 山田の爺さん「その日に探したけどおらん」と言っているそうだが>>
もちろん,家持は山田爺を懲らしめたりはしなかったでしょう。
家持は自分の残念な気持ちを和歌に表わすことで,気持ちの整理や切り替えをするきっかけにしたのではないでしょうか。
逆に,実名を短歌に入れるほど,山田爺と家持の関係が鷹狩りの場で気の置けない関係だろうと私は推測しています。
<また,中国出張の話>
ところで,5月下旬の中国遼寧省に出張に行った際の話をまたします。現地パートナー社員と話をしている中で,中国も少子化が進み,将来日本以上に高齢化が進むことに対する危惧を国全体が感じているようだという話が出ました。
そのためか,中国の一人っ子政策は少し緩和されているそうです。たとえば,夫婦ともに一人っ子の場合は2人まで子どもを持つことができるとか,また,小数民族は一人っ子でなくてもよいとか。
遼寧省は朝鮮族出身者も多く,私が初めて会った若手パートナー社員に朝鮮族出身者がいましたが,朝鮮族は中国では少数民族に分類されるので,一人っ子政策対象外とのことでした。
<少子高齢化で個々が分断?>
さて,今の日本では,少子化に歯止めがかからず,少ない子供に対して早いうちから子供部屋を宛がう家も多いようです。このような状況で育った人は,個人でいることを好み,いろいろな人と寄り添って(協力して)人生を生きようとしなくなる傾向にあるのかも知れません。
私は,人の心と心がもっと添いあえ,気軽に何でもお互いが言いあえる社会になるために何が必要か考え続けています。しかし,残念ながら明確な道筋に沿った良い案がなかなか思い浮かびません。
染む(1)に続く。
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