「染む」には影響するとか感化するといった意味もあります。
この場合の読みは「そむ」だけでなく「しむ」と読む場合があります。英語の同義語ではinfectが近いかもしれません。
1986年(昭和61年)にテレサ・テン(鄧麗君)が唄って大ヒットした「時の流れに身をまかせ」の歌詞(作詞:三木たかし)の中に
♪時の流れに身をまかせ あなたの色に染められ
というフレーズがあります。この「色に染められ」に私は日本語の奥深さを感じます。
「染められ」のイメージは穏やかな感じですが,よく考えると実は「大好きなあなたの虜(とりこ)になって」というくらいの強い感じさえ与えます。
さらに,「色」を「心」の反対語として「からだ」の意味にするともっときわどい意味を感じさせてしまいそうですね。
万葉集にも虜になるという意味で「染む」が使われている有名な短歌があります。
なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ(3-343)
<なかなかに ひととあらずは さかつぼに なりにてしかも さけにしみなむ>
<<いっそのこと人間ではなく酒壷なってしまいたい。そうすればいつも酒と一緒に居られるから>>
これは大伴旅人の酒を讃(ほ)める歌13首のなかの1首です。
酒が好きで酒の虜になっていた旅人の気持ちを思い切った表現で書いています。
当時,公の場での飲酒を禁ずる令が何度も出されていたそうです。
でも,好きな酒とはいつも一緒にいたい旅人は,大宰府の長官という立場を超えて「いっそ酒壷になりたい」という大胆な表現を使い詠んでいることに私は愛着を感じてしまいます。
私自身,さほど多く飲みませんが,酒(アルコール飲料)は嫌いな方ではありません。
以前は割とビール派でした。でも最近は出された料理やそのときの季節や飲み仲間に応じて何でも嗜むようになりました。
日本酒,ビール系,ワイン,ウィスキー,焼酎,老酒,白酒(バイチュウ),カクテルなどです。
天の川 「たびとは~ん。壱岐にある天の川酒造の麦焼酎『天の川』が飲みたいなあ~。今度壱岐に連れってくれへんか?」
天の川君,交通費が大変だよ。また,道中,しゃべってばかりで君はやかましいからね。今インターネットで注文したよ。次回は君ではなく焼酎「天の川」を飲んだ感想でも書きますか。
染む(3;まとめ)に続く。
2010年6月26日土曜日
2010年6月20日日曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…染む(1)
今回から「染む」について万葉集を見ていきます。
万葉集では「染める」という意味の「染む」とその名詞形などが出てくる和歌は20首余りあります。
当時,朝鮮半島などから高度な染色技術が次々導入され,また国内でも染色技術が高度化していったと私は思います。その結果,万葉時代の都人が着る衣服がどんどんカラフルになっていったのだろうと想像できます。
これら20首余りの和歌には,染める色が何種類か出てきます。紅(くれない),紫(むらさき),藤(ふじ)色,桃(もも)色,浅緑(あさみどり),黄(き)色などです。
その中でも紅が一番多く,好んで詠まれていたようです。
紅とはベニバナから取れる染料で染めた色を指し,当時はベニバナで紅に染めた衣服を身につけることがもっともファッショナブルだったのかもしれません。
人々は色に対する感性が洗練され,次の短歌のように紅の染め色の濃さ,薄さまでもファッションの一要素だったようです。
紅の濃染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも(11-2828)
<くれなゐの こそめのきぬを したにきば ひとのみらくに にほひいでむかも>
<<色濃く染めた紅の衣を下着として着たが、他人が見て紅色が透けて見えはしないだろうか>>
この詠み人知らずの短歌は,相手に対する気持ちの強さを紅の染め色の濃さに譬えています。他人に気づかれないように相手への思いを隠そうとするが,濃く染めた下着の色が上着から透けて見えそうになるように,表に出て気づかれてしまうかもしれない。相手に対して,恋する思いがそれほど強いことを伝えようとしている短歌だと私は思います。
紅の薄染め衣浅らかに相見し人に恋ふるころかも (12-2966)
<くれなゐの うすそめころも あさらかに あひみしひとに こふるころかも>
<<これまで薄く染めた紅の衣のようにそれほどあなたを意識せず見ていたのですが,今はあなたに恋してしまったようです>>
これも詠み人知らずの短歌ですが,最初の短歌に比べて分かりやすい内容かもしれません。ただ,ぱっと見気づかないけれどよく見ると紅の染色が薄く施されているような繊細な染色技術が当時すでに確立されていたことがこの短歌から見て取れます。この2首からは,恋する気持ちを詠んでいるようですが,最新ファッションを着ている自分を自慢しているようにも思えます。
<最新半導体工場の見学談>
さて,数年前私は仕事の関係で当時最新の半導体工場の内部見学が許されるという貴重な機会を得ました。
半導体とはコンピュータなど電子機器の制御をするマイクロコンピュータやUSBメモリなどのデジタルデータの記憶装置に使われる素子です。非常に精密な半導体の製造(1ミリの十万分の一の精度で加工が必要)は,高レベルのクリーンな空気の中で行う必要があります。まさに「塵ひとつない」との例えのような空気清浄を高度に施した環境(クリーンルーム)です。
塵の大きさは1ミリの十万分の一の大きさよりもずっと大きく,そんな塵が邪魔をするようでは精密な加工は到底できないわけです。見学のとき,私は特殊な防塵服と手袋を身にまとい,エアー洗浄を受けて中に入りました。花粉症の私にとっては中は結構快適な環境に思えましたが,空気以外にも特殊な作業環境があり,そこで作業をする人たちにとってはいろいろ苦労があるようです。
たとえば,ある製造工程では紫外線の影響を完全に排除する必要があり,紫外線を一切出さない照明の下で作業します。人は紫外線をまったく浴びないと気分が高揚しなくなる傾向があるようで,作業者の健康管理に気を使う必要があるとのことでした。
紫外線は目に見えない色(?)ですが,それでも人に影響があるくらいですから,目に見える衣の色での濃い・薄いの差が,敏感な人に与える影響は決して少なくないのかもしれませんね。
染む(2)に続く。
万葉集では「染める」という意味の「染む」とその名詞形などが出てくる和歌は20首余りあります。
当時,朝鮮半島などから高度な染色技術が次々導入され,また国内でも染色技術が高度化していったと私は思います。その結果,万葉時代の都人が着る衣服がどんどんカラフルになっていったのだろうと想像できます。
これら20首余りの和歌には,染める色が何種類か出てきます。紅(くれない),紫(むらさき),藤(ふじ)色,桃(もも)色,浅緑(あさみどり),黄(き)色などです。
その中でも紅が一番多く,好んで詠まれていたようです。
紅とはベニバナから取れる染料で染めた色を指し,当時はベニバナで紅に染めた衣服を身につけることがもっともファッショナブルだったのかもしれません。
人々は色に対する感性が洗練され,次の短歌のように紅の染め色の濃さ,薄さまでもファッションの一要素だったようです。
紅の濃染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも(11-2828)
<くれなゐの こそめのきぬを したにきば ひとのみらくに にほひいでむかも>
<<色濃く染めた紅の衣を下着として着たが、他人が見て紅色が透けて見えはしないだろうか>>
この詠み人知らずの短歌は,相手に対する気持ちの強さを紅の染め色の濃さに譬えています。他人に気づかれないように相手への思いを隠そうとするが,濃く染めた下着の色が上着から透けて見えそうになるように,表に出て気づかれてしまうかもしれない。相手に対して,恋する思いがそれほど強いことを伝えようとしている短歌だと私は思います。
紅の薄染め衣浅らかに相見し人に恋ふるころかも (12-2966)
<くれなゐの うすそめころも あさらかに あひみしひとに こふるころかも>
<<これまで薄く染めた紅の衣のようにそれほどあなたを意識せず見ていたのですが,今はあなたに恋してしまったようです>>
これも詠み人知らずの短歌ですが,最初の短歌に比べて分かりやすい内容かもしれません。ただ,ぱっと見気づかないけれどよく見ると紅の染色が薄く施されているような繊細な染色技術が当時すでに確立されていたことがこの短歌から見て取れます。この2首からは,恋する気持ちを詠んでいるようですが,最新ファッションを着ている自分を自慢しているようにも思えます。
<最新半導体工場の見学談>
さて,数年前私は仕事の関係で当時最新の半導体工場の内部見学が許されるという貴重な機会を得ました。
半導体とはコンピュータなど電子機器の制御をするマイクロコンピュータやUSBメモリなどのデジタルデータの記憶装置に使われる素子です。非常に精密な半導体の製造(1ミリの十万分の一の精度で加工が必要)は,高レベルのクリーンな空気の中で行う必要があります。まさに「塵ひとつない」との例えのような空気清浄を高度に施した環境(クリーンルーム)です。
塵の大きさは1ミリの十万分の一の大きさよりもずっと大きく,そんな塵が邪魔をするようでは精密な加工は到底できないわけです。見学のとき,私は特殊な防塵服と手袋を身にまとい,エアー洗浄を受けて中に入りました。花粉症の私にとっては中は結構快適な環境に思えましたが,空気以外にも特殊な作業環境があり,そこで作業をする人たちにとってはいろいろ苦労があるようです。
たとえば,ある製造工程では紫外線の影響を完全に排除する必要があり,紫外線を一切出さない照明の下で作業します。人は紫外線をまったく浴びないと気分が高揚しなくなる傾向があるようで,作業者の健康管理に気を使う必要があるとのことでした。
紫外線は目に見えない色(?)ですが,それでも人に影響があるくらいですから,目に見える衣の色での濃い・薄いの差が,敏感な人に与える影響は決して少なくないのかもしれませんね。
染む(2)に続く。
2010年6月13日日曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…添ふ(3:まとめ)
28歳になった大伴家持は越中に赴任します。
歌心のあった家持は美しく豊かな越中の地で自然,人情,美味しい食べ物を満喫し,多くの和歌を万葉集に残しました。
家持は,越中時代取り分け鷹狩りに熱中したようです。
鷹狩りは,野外で身体を使う高度な知的で人気のスポーツだったのでしょう。
鷹との相性,獲物の習性やいる場所の推測,獲物に悟られない俊敏な行動,競争相手との駆け引きなど,家持のような知的官僚が熱中しそうな要素が多々ありそうです。
そのため,越中の家持は一番お気に入りの大黒と名付けた矢形尾を持つ鷹がいなくなってしまったときの嘆きと鷹に帰ってきてほしい気持ちを詠った長歌を万葉集に残しています。
~照る鏡 倭文に取り添へ 祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし ~(17-4011)
<~てるかがみ しつにとりそへ こひのみて あがまつときに をとめらが いめにつぐらく ながこふる そのほつたかは まつだえの はまゆきくらし~ >
<<~美しい鏡を高級な綾布に添えて鷹の帰りを神に祈って私が待つと,若い乙女たちが夢の中で私に告げた。「あなたが待ち焦がれているその優れた鷹は松田江の浜に行って暮していますよ」~>>
結局,最高の布に最高の鏡を添えて,鷹が無事帰ってくるようにと家持の願いもむなしく鷹は帰ってこなかったようです。
実は,この鷹を山田君麻呂という年配の人物が家持と一番気があっている鷹を勝手に狩に出し,逃げられてしまった。家持はこの長歌の中ほどで山田翁に対し「狂れたる 醜つ翁の」というくらい怒りをぶつけています。
また,その後の短歌で次のように山田爺の実名を挙げて,さらに一撃を加えています。
松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ(17-4014)
<まつがへり しひにてあれかも さやまだの をぢがそのひに もとめあはずけむ>
<<ボケてしも~たか? 山田の爺さん「その日に探したけどおらん」と言っているそうだが>>
もちろん,家持は山田爺を懲らしめたりはしなかったでしょう。
家持は自分の残念な気持ちを和歌に表わすことで,気持ちの整理や切り替えをするきっかけにしたのではないでしょうか。
逆に,実名を短歌に入れるほど,山田爺と家持の関係が鷹狩りの場で気の置けない関係だろうと私は推測しています。
<また,中国出張の話>
ところで,5月下旬の中国遼寧省に出張に行った際の話をまたします。現地パートナー社員と話をしている中で,中国も少子化が進み,将来日本以上に高齢化が進むことに対する危惧を国全体が感じているようだという話が出ました。
そのためか,中国の一人っ子政策は少し緩和されているそうです。たとえば,夫婦ともに一人っ子の場合は2人まで子どもを持つことができるとか,また,小数民族は一人っ子でなくてもよいとか。
遼寧省は朝鮮族出身者も多く,私が初めて会った若手パートナー社員に朝鮮族出身者がいましたが,朝鮮族は中国では少数民族に分類されるので,一人っ子政策対象外とのことでした。
<少子高齢化で個々が分断?>
さて,今の日本では,少子化に歯止めがかからず,少ない子供に対して早いうちから子供部屋を宛がう家も多いようです。このような状況で育った人は,個人でいることを好み,いろいろな人と寄り添って(協力して)人生を生きようとしなくなる傾向にあるのかも知れません。
私は,人の心と心がもっと添いあえ,気軽に何でもお互いが言いあえる社会になるために何が必要か考え続けています。しかし,残念ながら明確な道筋に沿った良い案がなかなか思い浮かびません。
染む(1)に続く。
歌心のあった家持は美しく豊かな越中の地で自然,人情,美味しい食べ物を満喫し,多くの和歌を万葉集に残しました。
家持は,越中時代取り分け鷹狩りに熱中したようです。
鷹狩りは,野外で身体を使う高度な知的で人気のスポーツだったのでしょう。
鷹との相性,獲物の習性やいる場所の推測,獲物に悟られない俊敏な行動,競争相手との駆け引きなど,家持のような知的官僚が熱中しそうな要素が多々ありそうです。
そのため,越中の家持は一番お気に入りの大黒と名付けた矢形尾を持つ鷹がいなくなってしまったときの嘆きと鷹に帰ってきてほしい気持ちを詠った長歌を万葉集に残しています。
~照る鏡 倭文に取り添へ 祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし ~(17-4011)
<~てるかがみ しつにとりそへ こひのみて あがまつときに をとめらが いめにつぐらく ながこふる そのほつたかは まつだえの はまゆきくらし~ >
<<~美しい鏡を高級な綾布に添えて鷹の帰りを神に祈って私が待つと,若い乙女たちが夢の中で私に告げた。「あなたが待ち焦がれているその優れた鷹は松田江の浜に行って暮していますよ」~>>
結局,最高の布に最高の鏡を添えて,鷹が無事帰ってくるようにと家持の願いもむなしく鷹は帰ってこなかったようです。
実は,この鷹を山田君麻呂という年配の人物が家持と一番気があっている鷹を勝手に狩に出し,逃げられてしまった。家持はこの長歌の中ほどで山田翁に対し「狂れたる 醜つ翁の」というくらい怒りをぶつけています。
また,その後の短歌で次のように山田爺の実名を挙げて,さらに一撃を加えています。
松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ(17-4014)
<まつがへり しひにてあれかも さやまだの をぢがそのひに もとめあはずけむ>
<<ボケてしも~たか? 山田の爺さん「その日に探したけどおらん」と言っているそうだが>>
もちろん,家持は山田爺を懲らしめたりはしなかったでしょう。
家持は自分の残念な気持ちを和歌に表わすことで,気持ちの整理や切り替えをするきっかけにしたのではないでしょうか。
逆に,実名を短歌に入れるほど,山田爺と家持の関係が鷹狩りの場で気の置けない関係だろうと私は推測しています。
<また,中国出張の話>
ところで,5月下旬の中国遼寧省に出張に行った際の話をまたします。現地パートナー社員と話をしている中で,中国も少子化が進み,将来日本以上に高齢化が進むことに対する危惧を国全体が感じているようだという話が出ました。
そのためか,中国の一人っ子政策は少し緩和されているそうです。たとえば,夫婦ともに一人っ子の場合は2人まで子どもを持つことができるとか,また,小数民族は一人っ子でなくてもよいとか。
遼寧省は朝鮮族出身者も多く,私が初めて会った若手パートナー社員に朝鮮族出身者がいましたが,朝鮮族は中国では少数民族に分類されるので,一人っ子政策対象外とのことでした。
<少子高齢化で個々が分断?>
さて,今の日本では,少子化に歯止めがかからず,少ない子供に対して早いうちから子供部屋を宛がう家も多いようです。このような状況で育った人は,個人でいることを好み,いろいろな人と寄り添って(協力して)人生を生きようとしなくなる傾向にあるのかも知れません。
私は,人の心と心がもっと添いあえ,気軽に何でもお互いが言いあえる社会になるために何が必要か考え続けています。しかし,残念ながら明確な道筋に沿った良い案がなかなか思い浮かびません。
染む(1)に続く。
2010年6月6日日曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…添ふ(2)
「添ふ」には,人が「寄添う」という意味のほかに,モノを「添える」という意味で詠まれた万葉集の和歌があります。
次の短歌は,詠み人知らずの秋の花に寄せる相聞歌です。
秋津野の尾花刈り添へ秋萩の花を葺かさね君が仮廬に(10-2292)
<あきづのの をばなかりそへ あきはぎの はなをふかさね きみがかりほに>
<<吉野の秋津野のススキを刈って,添えた秋萩の花を葺いてさしあげましょう,あなたのお住まいに>>
恋人の家の屋根に葺かれたカヤなどが傷んでいるのを,綺麗なススキを刈って,さらに秋萩の花を添えて葺いてあげましょうと詠んだのでしょう。
もちろん,これは比喩表現で,私には「好きなあなたの心を明るく(秋萩の花),幸せに(ススキの束)してあげたいと思っていますよ」という意味と解釈します。
とても分かりやすい相聞歌かもしれませんね。
もう一つの短歌は,山上憶良が筑紫で詠んだまたは編集したと伝えられる短歌です。
大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも(16-3869)
<おほぶねに をぶねひきそへ かづくとも しかのあらをに かづきあはめやも>
<<大きい船に小舟を引き添えて海に出て,地元の海人が潜ってみても,志賀島の漁師荒雄に海中で会えることができるだろうか>>
この短歌は,志賀島の漁師である荒雄という人物が対馬の防人に物資を運ぶ役目の途中,遭難して帰らぬ人になったことに対する鎮魂の短歌10首の最後に出てくる歌です。
この10首のうち7首に,この短歌のように荒雄という漁師個人の名前が出てきます。
ただ,この短歌以外の6首は「荒雄ら」となっていて,荒雄とその船員を指しているようですが,この短歌だけは荒雄個人を意味しているようです。
荒雄を捜索するのに,小舟だけで玄界灘に出るのは危険が伴うため,大船の船体に太縄で繋ぎ添わせて海原に出て,遭難したと思われる地点で小舟に海人が乗り移り,潜って捜索を試みたのかも知れません。
大船だけ出したのでは,海人が海に潜った後,摑まるところがなかったり,大船の甲板と水面を行き来するだけで体力を消耗してしまいます。
この2首に出てくる「添ふ」は,ともにあるモノに付加価値(前の短歌は「秋萩の花」,後の短歌は「小舟」)を加え(添え)ることによって,元の一つのモノでは効果が限られているものをカバーする意味を示していると思います。
ヒトは何かの課題に直面したとき,ただ一つの解決策のみを見つけようとしがちではないでしょうか。
しかし,一つの解決策のみでは,メリットのほかデメリットも出てくる可能性があります。
いくつかの解決策を組み合わせることによって,それぞれのデメリットをカバーし,またメリットを相乗させることができる可能性があります。
たとえば,ウィスキーはいくつかの樽や製法の原酒をプレンドの達人と呼ばれる人がブレンドすることで,比較的まろやかで多くの人に受け入れられる味わいの製品ができるとのことです。
いっぽう,英国スコットランドアイラ島で製造されるシングルモルトウィスキーのように非常に個性的な味わいのものも作られ販売されていますが,日常的に水割りやハイボールとして飲む一般的なウィスキーの風味と大きく異なります。
別の例の話をします。
何かの目標に向かって進むチームやグループのリーダーは,同じ経験,考え,能力の人だけによる構成の方が管理が楽と思うようです。そのため,同じような人ばかり集めるか,各メンバーに同じ考え方や能力を発揮することを強制しがちです。
ただ,その場合,人数分の成果を達成するのが最大効果だが,異なる経験,考え方,能力を持つ人が加わっていると,結果として大きな相乗効果を発揮する場合があるといわれています。
本当に優秀なリーダーは,異なる経験,考え方,能力のメンバーの適材適所を考え,チームやグループとしてさらに大きな能力を発揮できるメンバー配置の能力に長けていると私は思います。ウィスキーのブレンドの達人のように。
天の川 「たびとはん。僕がたびとはんに添うことで相乗効果は抜群やろ?」
そのうち,天の川君にブレンドも失敗することが多々あることを教えないとね。 添ふ(3:まとめ)に続く。
次の短歌は,詠み人知らずの秋の花に寄せる相聞歌です。
秋津野の尾花刈り添へ秋萩の花を葺かさね君が仮廬に(10-2292)
<あきづのの をばなかりそへ あきはぎの はなをふかさね きみがかりほに>
<<吉野の秋津野のススキを刈って,添えた秋萩の花を葺いてさしあげましょう,あなたのお住まいに>>
恋人の家の屋根に葺かれたカヤなどが傷んでいるのを,綺麗なススキを刈って,さらに秋萩の花を添えて葺いてあげましょうと詠んだのでしょう。
もちろん,これは比喩表現で,私には「好きなあなたの心を明るく(秋萩の花),幸せに(ススキの束)してあげたいと思っていますよ」という意味と解釈します。
とても分かりやすい相聞歌かもしれませんね。
もう一つの短歌は,山上憶良が筑紫で詠んだまたは編集したと伝えられる短歌です。
大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも(16-3869)
<おほぶねに をぶねひきそへ かづくとも しかのあらをに かづきあはめやも>
<<大きい船に小舟を引き添えて海に出て,地元の海人が潜ってみても,志賀島の漁師荒雄に海中で会えることができるだろうか>>
この短歌は,志賀島の漁師である荒雄という人物が対馬の防人に物資を運ぶ役目の途中,遭難して帰らぬ人になったことに対する鎮魂の短歌10首の最後に出てくる歌です。
この10首のうち7首に,この短歌のように荒雄という漁師個人の名前が出てきます。
ただ,この短歌以外の6首は「荒雄ら」となっていて,荒雄とその船員を指しているようですが,この短歌だけは荒雄個人を意味しているようです。
荒雄を捜索するのに,小舟だけで玄界灘に出るのは危険が伴うため,大船の船体に太縄で繋ぎ添わせて海原に出て,遭難したと思われる地点で小舟に海人が乗り移り,潜って捜索を試みたのかも知れません。
大船だけ出したのでは,海人が海に潜った後,摑まるところがなかったり,大船の甲板と水面を行き来するだけで体力を消耗してしまいます。
この2首に出てくる「添ふ」は,ともにあるモノに付加価値(前の短歌は「秋萩の花」,後の短歌は「小舟」)を加え(添え)ることによって,元の一つのモノでは効果が限られているものをカバーする意味を示していると思います。
ヒトは何かの課題に直面したとき,ただ一つの解決策のみを見つけようとしがちではないでしょうか。
しかし,一つの解決策のみでは,メリットのほかデメリットも出てくる可能性があります。
いくつかの解決策を組み合わせることによって,それぞれのデメリットをカバーし,またメリットを相乗させることができる可能性があります。
たとえば,ウィスキーはいくつかの樽や製法の原酒をプレンドの達人と呼ばれる人がブレンドすることで,比較的まろやかで多くの人に受け入れられる味わいの製品ができるとのことです。
いっぽう,英国スコットランドアイラ島で製造されるシングルモルトウィスキーのように非常に個性的な味わいのものも作られ販売されていますが,日常的に水割りやハイボールとして飲む一般的なウィスキーの風味と大きく異なります。
別の例の話をします。
何かの目標に向かって進むチームやグループのリーダーは,同じ経験,考え,能力の人だけによる構成の方が管理が楽と思うようです。そのため,同じような人ばかり集めるか,各メンバーに同じ考え方や能力を発揮することを強制しがちです。
ただ,その場合,人数分の成果を達成するのが最大効果だが,異なる経験,考え方,能力を持つ人が加わっていると,結果として大きな相乗効果を発揮する場合があるといわれています。
本当に優秀なリーダーは,異なる経験,考え方,能力のメンバーの適材適所を考え,チームやグループとしてさらに大きな能力を発揮できるメンバー配置の能力に長けていると私は思います。ウィスキーのブレンドの達人のように。
天の川 「たびとはん。僕がたびとはんに添うことで相乗効果は抜群やろ?」
そのうち,天の川君にブレンドも失敗することが多々あることを教えないとね。 添ふ(3:まとめ)に続く。
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