2009年12月30日水曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(や~)

引き続き,「や」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

漸漸(やくやく)…ようやく,次第に。
八尺(やさか)…長いさま。
八入(やしほ)…幾度も染汁に浸して濃く染めること。
社(やしろ)…神の降下する所。神をいわい祭った斎場。
八十(やそ)…80。数の多いこと。
八衢(やちまた)…道が八つに分かれた所。道がいくつも分かれた所。迷いやすい例えにも使う。
梁(やな)…川の瀬などで魚を取るための仕掛け。
八百日(やほか)…きわめて多くの日にち。
遣る(やる)…向かわせる。

今回は,八百日(やほか)が出てくる情熱の女性歌人笠女郎の短歌を紹介します。

八百日行く浜の真砂も我が恋にあにまさらじか沖つ島守(4-596)
やほかゆく はまのまなごも あがこひに あにまさらじか おきつしまもり
<<端から端まで行くのに八百日もかかるような長い浜の真砂を全部合わせても私の恋する気持ちの果てしなさに勝ることはないと沖の島の島守(貴方)も思うはずですよ>>

この短歌は,笠女郎が大伴家持に贈った恋の短歌24首(4-587~610)の内の1首です。
この短歌について改めて説明はいらないと思いますが,自分の恋心をこんなにも大胆に表現できた女性歌人は万葉集のなかでもあまりいないかも知れません。
私は,この短歌を英語に直訳し,そのままで日本文学をまったく知らない英語圏の人たちに見せても,その表現の凄さや意味が十分通じる気がします。
こんな短歌を24首も贈った笠女郎(笠氏は恐らく大伴氏に比べて家柄がかなり低かったのでしょう)。何としても家持に自分の思いを伝え,もっと振り向かせかったのでしょうね。
ただ,この24首の最後の方では,家持には正妻たるべき人がいることを意識してか,笠女郎は自らの思いが片思いである悔しさを次のように痛烈に詠っています。

相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後方に額つくごとし(4-608)
あひおもはぬひとをおもふは おほてらのがきのしりへにぬかつくごとし
<<片思いの相手をひたすら思い続けるのは、まるで大寺の餓鬼像を後ろから額づいて拝むようなものですね(何の御利益もありません)>>

家持からは,そろそろ関係を断ち切りたいという意図が感じられる次の2首(坂上郎女あたりが指南?)の返歌しか万葉集にはありません。

今更に妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくあるらむ(4-611)
いまさらに いもにあはめやと おもへかも ここだあがむね いぶせくあるらむ
<<もうこの上あなたに逢えないと思うからだろうか、これほど私の胸がはれないのは>>

中々は黙もあらましを何すとか相見そめけむ遂げざらまくに(4-612)
なかなかに もだもあらましを なにすとか あひみそめけむ とげざらまくに
<<いっそのこと黙ってなにもしなければよかった。どんなつもりで逢いはじめたのだろう、思いを遂げることなど出来はしないのに>>

けれども,後の和歌集では万葉集の笠女郎の情熱的な和歌を意識し詠まれた和歌がたんくさんあるようです(*)。
和歌対決,結局若き家持ではなく笠女郎に軍配が上がったといえるかもしれませんね。

(*)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kasaira2.html

(「ゆ」で始まる難読漢字に続く)

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