特定の言葉の前に付く枕詞は何のために考え出された修飾語でしょうか?
私は,和歌を覚えやすく(忘れにくく)するためにあったのではないかと考えています。
私自身「枕詞が記憶を助けるための道具かも?」と考える理由を簡潔に述べる文章力を持ち合せていません。そのため,さまざまな状況説明を長々と続けて説明することになります。
それを数回の投稿に分けて順に説明していきます。
1.万葉時代の記憶の重要性
万葉時代,情報を文字として残す方法は,たとえば万葉仮名のように一部にはなされていますが,まだまだ一般的ではなかったと思います。
そうすると,和歌に限らず,いろいろな契約,約束事,規則,しきたり等はすべて口頭で伝えられ(伝承され)ます。その情報共有は,口頭により情報を受け取った関係者の記憶を唯一の手段とするしかなかったのです。
万葉時代の人たちが意識していたかどうかは別にして,文字を一般的に使う現代人に比べて記憶の重要性は非常に高かったのだろうと容易に想像できます。
万葉人の中には,超人的に正確かつ大容量の記憶力を持ち,その能力で飯を食っていた人もいたのだと思います。
そのような人の中には,官僚に登用され,得意分野ごとに,さまざな制度,事件・事故・災害の履歴,解決した人・仕方・結果などをすべて正確に記憶していて,必要な時に関係者に伝えていたのかもしれません。まさに人間データベースシステムです。
学術的な検証はまったくしていませんが,人麻呂,赤人,憶良,黒人等の歌人,そして家持も実はそういう人たちだったかもと感じています。その理由は「万葉集の謎」テーマでいずれ書きます。
2.コンピュータ技術の発展で人間の記憶力は退化の一途?
話が万葉集からちょっと別の世界の話により道します。
文字が発明され,それまですべて記憶に頼っていたものが,たとえ忘れても文字を見れば思い出せるようになり,重要なことや細かいことは文字に残すようになりました。
その結果,人間はすべてを記憶に頼る必要はなくなったのです。
その後長い間,文字の多くは紙に書かれ(または印刷され)てきました。その量が膨大になると,整理して保管しないと検索性が劣るため,文書に目次や索引を付けるなど検索性を向上させる工夫をしてきたのです。
ただ,紙に書いた文字の世界だけでは記憶力の重要性がまだ必要な分野があります。
例えば,緊急を要する交渉に一々ページをめくって確認しながらでは時間が掛かってしょうがない。相手からは矢継ぎ早に責め立てられます。
弁護士等の法律の専門家は,法律や裁判所の判例を正確かつより多く記憶しておくことで,相手と交渉する場合にやはり優位に立てるようです。
ところが,最近はコンピュータの発達によって様相はガラッと変わってきました。
今交渉の場や会議の場で,パソコンやスマホを持参して臨むことが少なくありません。
「当方の要求は当然であり受け入れないなら損害賠償だ」と相手が言っても,「○○月○○日○○時○○分のメールであなた自身がその要求は本委託の範囲外にする」と書いているじゃありませんか?というような証拠を即座に提示できる時代です。
記憶力がまったく不要とは言いませんが,詳細な情報や正確さを要求する情報はすべてコンピュータに覚えさせておけば,何時でも取り出せる時代なのです。
また,この情報すべてを自分のパソコン(または携帯端末)に入れておく必要はありません。
関係者で共有する強力なサーバコンピュータに記憶させておけば,ネットワーク経由で自分のパソコンとほぼ変わらず検索できます。
また,インターネット上のプロバイダのブログやSNSといった公開サイトに蓄積したり,他人が蓄積した情報を検索することも可能です。
相手も同様の環境を持つようになると交渉における記憶力の重要性がますます少なくなっていきます。
さて,そのようなことで,コンピュータを駆使して仕事をしている技術者の端くれ(私)は最近記憶力が劇的に退化し始めています。
え? 違うよ。それは歳のせいだよ!って? 否定できないのがつらい。(その2に続く)
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