2016年4月30日土曜日

改めて枕詞シリーズ…うつせみの(3:まとめ) 他人はあなたの普段と違う行動を見ている?

2016年もGWに入りましたね。忙しくでなかなかゆっくりする時間がなかったのですが,少しだけ羽を伸ばしています。
さて,枕詞「うつせみの」の最後は,人の噂に関する万葉集の和歌を集めてみました。
特に若い男女の仲の噂です。貴族たちがそういった和歌を詠み,たしなんだのは,幼少のときから正しい日本語(やまと言葉)を身に着けるための教育手段として作歌を教えられていた可能性があると私は感じます。
東歌防人の歌をみれば分かりますが,地方の若い人たちも上手い/下手はあったとしても和歌が詠めるのであれば,和歌の作歌教育は受けている可能性が高いと思われます。
万葉集は,上は天皇から下は乞食までの和歌が治められているということは,和歌に対する教育が多くの階層の人たちに行われていたことに私は注目したいのです。
そして,その作歌教育の内容における最低ラインは基本的に貴賤の隔てがないとすると,共通的に教育が行なわれていたのでしょう。
その教育の結果として,万葉集を編むことができたとしたら,歴史には残っていないどんな人がその教育を考え,実行に移したのか,その背景に大きな興味をもつのです。
私はオリンピックなど大きなイベントの素晴らしい演出やエンターテインメントを見て感動することも当然あります。
ただ,目に見える部分ではないところでどんなスタッフが本番の支援や準備段階で動いているかがいつも気になるのです。彼らの多くは公式記録には残らないかもしれません。
そんなスタッフたちの優秀な働きがなければ,いくら有名タレントを担ぎ出しても高度なイベントの成功は難しいかもですね。
さて,最初は詠み人知らずの短歌です。

うつせみの人目を繁み逢はずして年の経ぬれば生けりともなし(12-3107)
うつせみのひとめをしげみ あはずしてとしのへぬれば いけりともなし
<<(世の中の)人目が多くあり,お逢いしないようにして年が過ぎていくことは生きている意味を感じないくらいだ>>

今で言えば有名タレントの男女が人目を避けて付き合っているような状況でしょうか。
これがいわゆる不倫となれば,ますます人目を避けなければいけないのかもですね。よくわかりませんが..。
次の詠み人知らずの短歌などはもっと危ない間柄でしょうか。

心には燃えて思へどうつせみの人目を繁み妹に逢はぬかも(12-2932)
こころにはもえておもへど うつせみのひとめをしげみ いもにあはぬかも
<<心が燃えるほどあの人を恋しているのに,(世の)人目がいっぱいで,いつまでも逢えないままでいるのか>>

なかなか逢えないほど逢いたいと思うのは,無粋な話ですが,私が大学で専攻した経済学でいう稀少価値の原理ですね。
<希少性に価値がある>
レアなほど価値を感じる。なかなか逢えないから逢うことに対し大きな価値を感じる。
逆に,スマホでお互いの声が聞けたり,お互いの動画がいつでも見られる状況では,恋人同士でもただ逢うだけというのば価値が下がってしまっているのかもしれませんね。
だから昔の方が良かったなんて言うつもりはありません。ただ,そんなコミュニケーション手段が高度化した今でも孤独感に陥る人は多いと聞きます。
結局,人が孤独感から解放される状態とは,楽しいと感じる時間を共に過ごせる人がたくさんいることが必要なのかもしれません。
最後に紹介するのは,相手の言葉がどこまで本心か(自分のことを恋しいと思っているのか)を確かめようとする詠み人知らず女性が詠んだ短歌1首です。

うつせみの常のことばと思へども継ぎてし聞けば心惑ひぬ(12-2961)
うつせみのつねのことばと おもへどもつぎてしきけば こころまどひぬ
<<世の中のどなたに対しても普通に仰る言葉と分かってはおりますが,何ども「好きだ」と仰られるのを聞けば,心が乱れてしまいます>>

こうやって,この短歌の作者は相手の男性の気持ちを探ろうとしているのでしょう。
さて,今は男女平等の世の中です。相手の女性の本心がどうなのか,探る手立てを男性も熟練するためにいろいろ練習してみる必要があるのではないでしょうか。
女心が分からないと何もしないで待っているだけでは良い女性は見つかりません。一発で決める事ばかり考えず,いろいろ試しにウィットに富んだ問いかけをしてみませんか?
改めて枕詞シリーズ…あしひきの(1)に続く。

2016年4月26日火曜日

改めて枕詞シリーズ…うつせみの(2) ずっと一緒にいたい気持ちは世の中が許さない?

仕事の期初の忙しさやソフトウェア保守関連の所属学会の活動が忙しく,アップがしばらく滞ってしまいました。
<世の中の変化に無頓着な人>
最近の話ですが,世の中の大きな変化に気づかず,自分の考え方が世の中の実態から大きく遊離してしまっていることにまったく無頓着な人がまだまだいることを改めて知る事態に遭遇しました。
そういう人たちは世の中に何か絶対的なモノがあることを期待し,それを信じて生きたいと思う人なのかもしれません。しかし,今の激変の世の中では,サーフィン(波乗り)のようにさまざまな世の中の変化を予測し柔軟に対応できる柔らかい頭と能力が必要なのだと私は思うのです。
頭の固く,気が付いた時には変化の影響をまともに受け,苦労している人が多いのが本当に残念です。何とか気づかせてあげたいと考えるのですが,ご本人の高いプライドがそれを許さないようでなかなかうまく行きません。
<本題>
さて,枕詞「うつせみの」の2回目です。
前回の最後の短歌は大伴家持の側室が亡くなったことを悲しむものでしたが,今回の最初は家持の正室となる坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)が家持に贈った短歌からです。

玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし(4-729)
たまならばてにもまかむを うつせみのよのひとなれば てにまきかたし
<<玉だったら手に巻いてもいいけど,でもこの世の人だとね,(うるさく詮索するので)手に巻く(あなたのことを言う)わけにもいかない>>

この「うつせみの」は「世の人」に掛かると考えられます。
<万葉時代は情報戦の時代?>
「世の人」は何を見ていて,何を言うか分からない。意外と万葉時代は情報が大きな価値を持つ時代だったのかもしれません。
男女関係も含め,他人より早く,誰も知らない情報を入手し,しかるべき人に伝えて手柄を得ることができたのは,今とあまり変わらないように思います。
実は,情報というものは隠せば隠すほど,その価値は上がる。逆に,多くの人に知られれば知られるほど情報の価値は下がる。世の中が平和で無用な競争社会ではないと情報は隠されません。
江戸時代,旅の旅籠の部屋は襖(ふすま)で仕切られただけでした(鍵もありません)。
また,襖の上にある欄間(らんま)は通気性をよくするために彫で開けられ,欄間から隣の部屋の音や寝息がよく聞こえる状態でした。
こんな状態では安心して寝ることもできなかったかというとそうでもないようで,隣の部屋の人が危害を加えたり,強盗をしたりすることがないという安心感が双方にあれば何の問題もなかったのかもしれません。
山小屋のような雑魚寝よりはマシだったのでしょう。
次は家持が大嬢に返した短歌です。

うつせみの世やも二行く何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む(4-733)
うつせみのよやもふたゆく なにすとかいもにあはずて わがひとりねむ
<<この世は再びということはあるのだろうか? どうしてあなたに逢わずに一人寝られましょう>>

この世に再び生まれてくることはできない。だから,すぐにでも逢いたいという気持ち表れでしょうね。大嬢はこの短歌を受取って,どう思ったのでしょうか。結果は,二人はめでたく結ばれるのです。
次は詠み人知らずの女性が蝦夷征伐に出陣する夫との別れを詠んだ短歌です。

うつせみの命を長くありこそと留まれる我れは斎ひて待たむ(13-3292)
うつせみのいのちをながく ありこそととまれるわれは いはひてまたむ
<<あなたの命が長くあってほしいと京に留まる私は神に祈ってあなたの無事な帰りを待っております>>

京から辺鄙な蝦夷に出兵して帰ってこなかった人の噂もたくさんあったのでしょう。何もできない妻としては,ただただ祈るしかないのです。
<今も変わらない派遣自衛隊員の家族の祈り>
さて,日本の今の自衛隊も国際貢献という名のもとに海外派遣がこれから多くなるとともに,その任務もますます危険と隣り合わせなものになる可能性があります。
それが日本の国を間接的に守ることになることは分かっていても,派遣される隊員の奥さんの気持ちにはこの短歌と似たものがあるのかもしれません。
どんなに危険レベルの情報とそれを防ぐ情報(手立て)が整備されても,どのようにも対応のしようがない人(家族など)がいます。
ひたすら無事を祈り続ける行為は,たとえ世の中が「うつせみ」(無常)ではなくなり,非常に確定した状態となったとしても,不要とはならないのだろうと私は思います。
改めて枕詞シリーズ…うつせみの(3:まとめ)に続く。