武蔵野は武蔵の国にある野(平地)のことですから,武蔵の国がどこにあったかが武蔵野と呼ばれる範囲を理解する助けになります。
武蔵国の範囲は,歴史辞典などを見ればわかりますが,その広さをより明確にイメージするために,武蔵(略称含む)がついた鉄道会社名,路線名,駅名を探したてみました。
まず,鉄道会社名,路線名からです。
・東武鉄道‥武蔵の東部を路線に含む鉄道会社
・西武鉄道‥武蔵の西部を路線に含む鉄道会社
・JR東日本南武線‥武蔵の南部を走る鉄道路線
・JR東日本武蔵野線‥武蔵の平野部分を走る鉄道路線
次は「武蔵」と武蔵国の別名「武州」の付く首都圏の駅名です。JR東日本の駅名の場合,会社名を省略し,路線名は通称です。
・武蔵五日市(五日市線:東京都あきる野市)
・武蔵浦和(埼京線,武蔵野線:さいたま市南区)
・武蔵小金井(中央線:東京都小金井市)
・武蔵小杉(横須賀線,湘南新宿ライン,南武線,東急東横線:川崎市中原区)
・武蔵小山(東急目黒線:東京都品川区)
・武蔵境(中央線:東京都武蔵野市)
・武蔵白石(鶴見線:川崎市川崎区)
・武蔵新城(南武線:川崎市中原区)
・武蔵砂川(西武拝島線:東京都立川市)
・武蔵関(西武新宿線:東京都練馬区)
・武蔵高萩(川越線:埼玉県日高市)
・武蔵中原(南武線:川崎市中原区)
・武蔵新田(東急多摩川線:東京都大田区)
・武蔵野台(京王本線:東京都府中市)
・武蔵引田(五日市線:東京都あきる野市)
・武蔵藤沢(西武池袋線:埼玉県入間市)
・武蔵増戸(五日市線:東京都あきる野市)
・武蔵溝ノ口(南武線:川崎市高津区)
・武蔵大和(西武多摩湖線:東京都東村山市)
・武蔵横手(西武秩父線:埼玉県日高市)
・武州荒木(秩父鉄道:埼玉県行田市)
・武州唐沢(東武越生線:埼玉県越生町)
・武州中川(秩父鉄道:埼玉県秩父市)
・武州長瀬(東武越生線:埼玉県毛呂山町)
・武州日野(秩父鉄道:埼玉県秩父市)
これを見ると武蔵の国は,東京,神奈川,埼玉にまたがる(今の都県の区切りとは関係の少ない)地域であることがわかるでしょう。
今回は万葉集から東京,神奈川,埼玉に関係する短歌を3首紹介します。
赤駒を山野にはがし捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ(20-4417)
<あかごまをやまのにはがし とりかにてたまのよこやま かしゆかやらむ>
<<赤毛の馬を山野に放しておきましたが捕えかね,あなたに多摩の横山を歩いて行かせることになるのだろうか>>
この防人歌は,今の東京都豊島区あたりに住む女性が,夫が防人に行くとき赤毛の馬を渡せず徒歩で多摩の横山(今の東京・神奈川にまたがる多摩丘陵あたりか?)を歩いて越えさせてしまったことを悔いた1首です。
多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子のここだ愛しき(14-3373)
<たまかはにさらすたづくり さらさらになにぞこのこの ここだかなしき>
<<多摩川にさらす手織りの布がさらにさらにきれいになるように,どうしてあの娘がこんなに愛おしいのだろう>>
この有名な東歌は多摩川の北側(東京側)とも考えられますが,同様に多摩川の南側(神奈川側)とも考えられます。
武蔵嶺の小峰見隠し忘れ行く君が名懸けて我を音し泣くる(14-3362)
<むざしねのをみねみかくし わすれゆく きみがなかけて あをねしなくる>
<<武蔵峰の小さな尾根をあえて見ずに里を発ったが,忘れてしまうかもしれない妻の名を叫んでしまい私は声をあげて泣いた>>
この東歌に出てくる「武蔵嶺」は秩父にある武甲山らしいとのことです。
こう見てくると武蔵の国には,武蔵野ような平野,多摩の横山のような丘陵地帯,多摩川のような大きな川,武蔵嶺のような急峻な山といろいろな地形が備わった国だったのでしょう。
その中でも広い平野である武蔵野は,万葉時代においても畑作,牧畜,川や湖沼の漁業,手工業(製糸・縫製・染色・製陶など)が盛んで人々の生活を豊かにする可能性を秘めた土地だったのだろうと私は想像します。
次回はそんな豊かな当時の武蔵野を万葉集や遺跡から感じてみましょう。
2013年GWスペシャル「武蔵野シリーズ(3)」に続く。
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