今回は万葉集に出てくる「琴」について取り上げます。
琴の音色といえば,元旦の朝,NHKなどで放送される尺八(正確には尺八より小ぶりな一尺六寸管)との合奏で有名な「春の海」(作曲:宮城道雄)ではないでしょうか?
今の琴は胴体を桐の木を削り作るそうで,琴の生産高日本一は広島県福山市とのことです。宮城道雄のお父さんが万葉集の歌枕のひとつでもある福山市の「鞆の浦」出身です。琴奏者が福山市には昔からたくさんいたため,琴の需要が多く,生産技術も発達し,生産高日本一になったのかもしれません。
<琴をさらに調べる>
琴について調べてみると,琴には2種類あって,ギターのように絃の抑える場所によって音を出すための絃の長さを変えて音程を変える「琴(きん)」と,絃と胴の間に柱(じ)を立て,その位置を変えることによって絃の音程を変える「箏(そう)」とがあることが分かりました。
冒頭に示した今の琴は自体は「箏」という部類になります。いっぽう,「琴(きん)」の部類に入るものの現代の代表格はなんといって「大正琴」ですね。
一般的に「筝」は柱を動的に動かしにくいため絃の本数が多くなり,「琴(きん)」は絃を抑える位置を柔軟に変えられるため,少ない絃の本数で済みます。ちなみに,現代の琴(筝)は13絃以上で20絃のものもあるようです。大正琴はたった2絃のものからあります。
では,万葉集で琴をどう詠んでいるのか,大伴旅人が大宰府から京の参議であり,強い政治的影響力を持っていた藤原北家の藤原房前(ふぢはらのふささき)に琴を送った際に書面に付けた短歌2首を紹介します。
いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ(5-810)
<いかにあらむひのときにかも こゑしらむひとのひざのへ わがまくらかむ>
<<いつになったらこの琴の音を知ってくださる人の膝を枕に横になれるのでしょうか>>
言とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし(5-811)
<こととはぬきにはありとも うるはしききみがたなれの ことにしあるべし>
<<口が効けない木であっても、きっとすばらしいお方の寵愛を受ける琴になることができるでしょう>>
1首目が琴の気持ち(材料の桐の木)になり代わって旅人が創作したものです。2首目は旅人が桐の木に答える形で詠んでいます。題詞や左注を含め,物語風にして贈った琴がどれほど高級なものかを房前に伝えたかったのでしょう。この短歌の題詞から,贈った琴は日本独自の筝の一種であろう考えられる「和琴(わごん)」であったようです。
これに対して,房前は旅人への返歌として次を送っています。
言とはぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地に置かめやも(5-812)
<こととはぬきにもありとも わがせこがたなれのみこと つちにおかめやも>
<<口が効けない木であっても,貴殿ご愛用の琴を我が膝の上ではなく地に置くようなことは決していたしません>>
旅人の房前への琴の贈り物はかなり成功したようですね。
次は琴(やまと琴)を譬えて恋人に贈った詠み人知らず短歌です。
膝に伏す玉の小琴の事なくはいたくここだく我れ恋ひめやも(7-1328)
<ひざにふすたまのをごとの ことなくはいたくここだく あれこひめやも>
<<膝に乗せ横たえたきれいでかわいい琴とは異なる容姿のお前だが,こんなに私は恋焦がれてしまったよ>>
こんな風に琴が譬えられているところを見ると,万葉時代では琴を膝に乗せて琴を奏でることは,女性の頭を膝枕にして横に寝かせて愛撫することと共通のイメージがあったのかもしれませんね。
そして,琴の名手の音色は人間をリラックスさせ,感動させるというように考えられていたのが,次の大伴家持の短歌から想像できます。
我が背子が琴取るなへに常人の言ふ嘆きしもいやしき増すも(18-4135)
<わがせこがこととるなへに つねひとのいふなげきしも いやしきますも>
<<あなたが琴を手に奏でるにつれ皆感嘆の気持ちにさせるようですが,私もそれがしきりに増しています>>
万葉時代は中国から多くの楽器が輸入され,正倉院宝物には「金銀平文琴(きんぎんひょうもんきん)」という「筝」ではなく「琴(きん)」が残されているようです。
万葉時代は音楽の分野でも琴を始め豊かで多彩な文化が花開いたのだろうと私は想像します。
今もあるシリーズ「菜(な)」に続く。
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