今ではさまざまな化学繊維をはじめ,「布」の種類は非常に多いのではないでしょうか。さらに,同じ材料の糸から作られる布も,糸の太さ,織り方,染め方で種類は何百,何千通りになるものもあると考えられます。最近では,デニムパンツのように一回新品で作ったものを色褪せをさせたり,穴を開けたり,ほつれさせたりして使い込んだように見せるなんてこともやります。
それに対して,万葉時代は布の種類も今に比べるとはるかに少なかったのだろうと容易に想像できます。当時の材料は,麻,木綿,絹などのほか,草や木の皮の繊維で布を編んでいたようです。
ただ,万葉集を調べると,織り方は手で網目を作るように編んだ布,狭く織った狭織の布,経糸と緯糸を斜めに交差させた綾織の布,色々な色の糸を織り込んで煌びやかな模様仕立てた錦織の布などが結構さまざまな工夫を施したものが見られます。織布の技術は万葉時代,すでにかなり高度なものになっていたのではないでしょうか。
ところで,今日本の代表的現役テニスプレーヤーに錦織圭(にしこり けい)選手がいます。大化の改新前から「錦織部(にしごりべ)」という錦の布を折ることを得意とした民が居たようです。したがって,錦織選手の名前は非常に歴史が古い名前だといえるのかもしれませんね。
さて,万葉集で布を詠った短歌をいくつか紹介しましょう。
荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべをなみ(5-901)
<あらたへのぬのきぬをだに きせかてにかくやなげかむ せむすべをなみ>
<<粗末な布の着物でさえも着させることが出来ない。ただこのように嘆いてばかりいて,なすすべがない>>
この短歌は山上憶良(やまのうへのおくら)が天平5(733)年6月3日,自身が老いた身に重い病気を患い,長年苦しんでいる中,貧しい子供たちを思い詠んだ7首(長歌1首,短歌6首)の中に出てくるものです。貧しい子供たちを何とかしたいが,老齢と重い病に苦しむ自分にとって何ともしがた悔しいい気持ちが私には伝わってきます。これを読んだ後継の人たちが,衣食住について劣悪な布でできた衣さえ着させてもらえない貧しい子供たちを何とか救ってほしいという願いが込められていると私は強く感じます。貧しい国には多くのストリートチルドレンがいると聞きます。現代でも憶良の和歌に心動かされるものがあります。
次は七夕の織姫を喩えに出した詠み人知らずの短歌です。
織女の五百機立てて織る布の秋さり衣誰れか取り見む(10-2034)
<たなばたのいほはたたてて おるぬののあきさりごろも たれかとりみむ>
<<織姫がたくさんの織機を使って織る布が秋の衣になったら誰が手に取ってみることでしょうか>>
この短歌は,おそらく牽牛ひとりにそんなに多くの布を織って作った衣を手に取るのは無理だろうということ詠んだのだと思います。
ただ,織姫一人がたくさんの織機を使うのではなく,大勢の機織(はたおり)娘がいっせいにたくさんの織機を使って機織りをしている姿は,まさに工場で布を大量生産している様子に似ていますね。そうすると,もしや万葉時代にすでに多くの機織娘が働く大規模な機織工場があったのかもと想像したくなります。
次は,そんなことを裏付けるような?東歌です。
筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布乾さるかも(14-3351)
<つくはねにゆきかもふらる いなをかもかなしきころが にのほさるかも>
<<筑波山に雪が降ったのかな? いや,可愛い娘たちが白い布を乾しているからかもね>>
この短歌は,雪が降ったのと見間違うほど大量の布を乾した様子が伺えます。染色のため乾したのか,漂泊のため乾したのかわかりませんが,きっと大量の布を生産する場所が筑波山のふもとにもあったのではないかと私は推測します。
さて,布まで来たら次回は布でつくる衣(ころも)の話題を移ることにします。
今もあるシリーズ「衣(ころも)」に続く。
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