<1度目の訪問>
私が大学時代に万葉集の研究クラブに所属していたことは何度もこのブログで紹介していますが,私は部長も経験しました。
私の2年後輩で私の次に部長となった部員が神奈川県湯河原に親戚がいて,温泉旅館を経営しているということで,その温泉旅館でクラブの合宿を行ったのが最初に湯河原を訪れたときです。
そして,湯河原温泉は万葉集にも詠まれている場所であることをその時初めて知りました。
あしがりの土肥の河内に出づる湯のよにもたよらに子ろが言はなくに(14-3368)
<あしがりのとひのかふちにいづるゆの よにもたよらにころがいはなくに>
<<足柄の土肥の河内に湧き出す湯が川の流れの中にただようようなことをあの娘は言わなかったのに>>
「足柄の土肥の河内」が今の湯河原を指すのだそうです。
いずれにしても今の湯河原に温泉が豊富に湧いていることは万葉時代から知られていたようです。
最初に訪れたときの季節がいつだったかは定かではありませんが,温泉が素晴らしかったのと,クラブメイトと楽しい語らいの時間を過ごしたことを覚えています。
<2度目の訪問の前に事故>
その後(恐らく,最初訪れた2年後の年末),私は就職した会社の部門の忘年会旅行の企画を任され,湯河原の同じ旅館にしました。
金曜日,勤務先(東京都府中市)の仕事を終えてから,参加者が車に分乗して湯河原まで移動することにしました。
幹事の私も車を出すことになっており,朝から勤め先まで車で移動しました。
12月も半ばに入り,気温はそれほど寒くはなかったのですが,みぞれ交じりの雨が降っていました。
後少しで勤め先に到着する場所で信号待ちしていた私の車に灯油を運ぶ小型(8トン級)タンクローリーのトラックが後ろから急速に近づいて来たと思った瞬間,鈍い音がして車体が大きく揺れました。
後ろを振り返るとリアウィンドウの向こうにトランクを覆うボディーがせりあがっていました。
私の車はそのトラックに追突されたのです。車を降りて後ろに回ると完全にトランク潰れた状態でした。幸いなことに,旅行用具はすべて座席に置いていたので無事でした。
トラックはほとんど損傷ないようです。ただ,タイヤを見ると溝がほとんど無いように見えました。シャーベット状の路面で急ブレーキを掛けてしまったようです。
トラックの運転手(50歳代位)は「すみません。御怪我は?」と聞いてきました。車を道路の脇に停め,近くの公衆電話で事故に遭ったことを会社に知らせました。
会社の上司から「念のため,病院でムチ打ち症になっていないか,診てもらった方が良い」と助言があり,ぶつかったトラックに乗り,近くの病院で診てもらことにしました。
その後,警察に行き,事故の説明をして,会社まで送ってもらいました。私の車はトラックを所有する会社がレッカーを呼び,持って行きました。
<遅い時間の宴会>
幹事の車が事故で来れないばかりか,幹事は別の車に載せてもらう破目になりました。
夕方,勤め先を出発しましたが道が渋滞し,着いたのは夜の9時近くなりました。その後の時間からの宴会でしたが旅館の取り計らいでスムーズに実施でき,幹事の荷が下りました。
<その後は頻繁に訪問>
最近湯河原には2~3年に一回は行っています。それは会社の保養所があるからです。
冬は温泉に温まりに,夏はホタルを見に行き,秋は紅葉,春は花を楽しめます。
最近の湯河原にGW近辺に行くと,湯河原サンサン通りのハナミズキの街路樹が非常に綺麗でした。
湯河原以外に,熱海,伊東,北川(ほっかわ),熱川(あたがわ),稲取,下田,石部,堂ヶ島,宇久須,土肥(とい),戸田(へだ)などの伊豆半島を取り巻く温泉地に行った経験がありますが,やはり湯河原にはそれなりの長い歴史を感じます。
私の接した歌枕(16:三輪山)に続く。
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