「太い」「細い」は,木の幹,シャープペンシルの芯,糸や繊維,ラーメンなどの麺といったモノに対して使われるだけでなく,人間の体つきや心の安定度など形容にも使われます。
人間の心については「あいつは図太いやっちゃ」「○○君は線が細いなあ」といった使い方を今もします。
万葉集でも,人間の心が「太い」ことを詠んだ短歌が出てきます。
真木柱太き心はありしかどこの我が心鎮めかねつも(2-190)
<まきばしら ふときこころはありしかど このあがこころしづめかねつも>
<<太く強い心を持っていたのに,この我が心を鎮めることができないでいます>>
この短歌は,草壁皇子(くさかべのみこ)が28歳で亡くなったことに対して,宮中に仕える舎人(とねり)等が詠んだとされるものです。
草壁皇子の父は天武天皇,母は(後の)持統天皇です。草壁皇子は天武天皇の皇太子でしたが,天皇の死後4年目に(即位することなく)28歳の命で他界しました。
そのとき,草壁皇子に仕えていた舎人達の哀しみは大変なものであったはずです。何せ,草壁皇子が即位すれば天皇の仕え人になれたわけですからね。
歴史に「たら」「れば」は無いのですが,もし大津皇子(おほつのこみ)が天武天皇の後継天皇となってい「たら」,歴史は大きく変わったでしょうね。
万葉集では,心が細いという用例はなく,人の身体に関するものが出てきます。
桃の花 紅色に にほひたる 面輪のうちに 青柳の 細き眉根を 笑み曲がり 朝影見つつ 娘子らが 手に取り持てる~ (19-4192)
<もものはなくれなゐいろに にほひたるおもわのうちに あをやぎのほそきまよねを ゑみまがりあさかげみつつ をとめらがてにとりもてる~>
<<桃の花のように紅く色づいた顔の輝きの中で,青柳のように細くしなやかな眉を曲げて微笑み,朝の面立ちを映して見ながら、少女たちが手に持っている~>>
この長歌は,大伴家持が越中で霍公鳥(ホトトギス)を詠んだものの前半部分です。霍公鳥がまったく出てきませんが,理由はこの後続く(手に持つ)鏡,鏡から霍公鳥がいる山の名前を引く序詞の部分だからです。
この歌から,当時は若い女性の眉毛は細い方が良い印象があったことが推測できます。
その若い女性が可愛く微笑むために真直ぐなその細い眉を曲げる練習をしていたのでしょうか(毎朝鏡を見ながら)。
これって,今の女性がしていることとあまり変わらないような気がしますが,どうでしょうか。
今の女性は眉毛ではなくまつ毛のお手入れ(マスカラ)であったり,鏡を見る場所は自宅ではなく通勤途中の電車の中の場合もあるようですが..。
この他に,紹介はしませんが,腰細が女性としては魅力的で美しいと詠まれている長歌があります(9-1738)。
天平時代の美女は脹(ふく)よかな女性のイメージがありましたが,腰はやはり細い方が良かったのかもしれませんね。
身体の全部または一部が痩せていることを「細い」と現代では言いますが,飽食の今痩せて細い体はどちらかというと健康的なイメージを思わせます。
しかし,戦後しばらくの日本でもそうでしたが,万葉時代はやはり身体が痩せていて細いことは,健康的ではなく,良くないイメージのようです。
もしかしたら,痩せていることを嬉しく思える国は限定されていて,またそう思える時代も長い歴史の中では,ごく僅かであるような気がします。
我ろ旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむ我が妻愛しも(20-4343)
<わろたびはたびとおめほど いひにしてこめちやすらむ わがみかなしも>
<<私の旅は旅と思って割り切ってしまうことができるが、家で子どもを抱えて痩せてしまっているだろう妻が愛おしい>>
この短歌は,駿河(するが)の国出身の防人である玉作部廣目(たますりべのひろめ)が詠んだとされる歌です。悲しい歌です。
ちなみに,私のBMI(肥満度係数)は,この前の健康診断結果では22.0で「問題なし」でした。健康体に感謝。
対語シリーズ「浮と沈」に続く。
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