万葉集では「雨」を詠んだ和歌が120首以上出てきます。それに対して「晴」を詠んだものは3首しかありません。その3首も併せて「雨」の文字が入っているのです。
これでは対語関係として勝負にならないですから「晴れ」を間接的に表す「日がさす」「日が照る」を詠んだ歌(枕詞として使われているものは除く)も「晴れ」側の援軍として入れるとすると何とか40首程度にはなります。
まず,「晴」を詠んだ3首の中から詠み人知らずの1首を紹介します。
思はぬに時雨の雨は降りたれど天雲晴れて月夜さやけし(10-2227)
<おもはぬに しぐれのあめはふりたれど あまくもはれてつくよさやけし>
<<思いがけずしぐれが降ったけれど,空を覆っていた雲が晴れて月夜がさわやかだなあ>>
「晴れて」といっても夜の晴れです。雨が降った後の空気が澄んでいるので,作者には雲が取れて出てきた月がさわやかに感じられたのでしょう。
雨で清められた直後の晴れは一層さわやかさが増すように感じるのは,昔より空気がきれいだとは言えないところに住んでいる私にとって全面的に同感する感性ですね。
次に「日がさす」方の1首(東歌)を紹介しましょう。
上つ毛野まぐはし窓に朝日さしまきらはしもなありつつ見れば(14-3407)
<かみつけの まぐはしまどにあさひさし まきらはしもなありつつみれば>
<<この上野(今の群馬県)に住んでいる俺,窓に朝日がさす綺麗な光線のように眩(まばゆ)いなあ。寝床の隣のおまえを見ていると>>
私は以前にも書きましたが,18歳まで京都市内の実家にいました。京都の冬は,太陽が少し顔を出したかと思うとすぐに雲に隠れ,そして時雨(しぐれ)たと思えばまた太陽の薄日がさすような,変わりやすい天気です。
山に囲まれている盆地地形なので太陽の出る時間も平地より少なく,京都の冬は「底冷え」という言葉で表わされるように寒暖計が示す温度よりもずっと寒く感じられます。
その後,私は埼玉県南部にずっと住むようになったのですが,関東平野の冬は雲ひとつない晴れの日が多く,その晴れ方も太陽が地平線から出て沈むまで精いっぱい照ってくれることで,陽だまりでは寒暖計が示す温度に比べ,結構暖かく感じることも多くありました。
この東歌はそのような冬の晴れた朝日が窓から美しいビームのようにさしてきて,目が覚めたら隣で寝ていた妻が眩いことを素直に詠っているように私は感じます。私のように関東平野に住む人には同感しやすい歌ではないかと私は思います。
私は結婚してしばらく埼玉県南部のとある公団住宅の5階に住んでいたのですが,まさにそのような朝日がさしてきたとき,まだ寝ている妻を美しく感じたのは,ただはるか遠い昔のことですね。
天の川 「たびとはん。そんなアカンこと書いて大丈夫かいな?」
おっと,天の川君,お久しぶりだね。今はマンションの1階に住んでいるから大丈夫だよ。
天の川 「たびとはん。何を訳の分らんことを言うてんねん。住んでる階数は関係あらへんやろ。」
さっ,さて,今度は「雨」に移ります。
万葉集でたくさん詠まれている「雨」には,単に「雨」だけでなく,いろんな種類の「雨」が出てきます。
例えば,「時雨(しぐれ)」「小雨(こさめ)」「春雨(はるさめ)」「長雨」「村雨(むらさめ)」「雨霧(あまぎり)」「雨障(あまつつみ,あまさはり)」「雨間(あまま)」「雨夜(あまよ)」「夕立ち」などです。
その中から冒頭の1首とは別の時雨を詠んだ歌の中から次の1首を紹介します。
十月時雨の常か我が背子が宿の黄葉散りぬべく見ゆ(19-4259)
<かむなづきしぐれのつねか わがせこがやどのもみちば ちりぬべくみゆ>
<<10月のしぐれが降ると,いつものように貴殿のお家の色づいた梨の葉がもうすく散りゆくのでしょうね>>
この短歌は,天平勝宝3(751)年10月22日,越中赴任から戻った大伴家持が左大弁(さだいべん)紀飯麻呂(きのいひまろ)宅で行われた宴席で,庭に植えてあった梨の木を見て詠んだとされています。
旧暦の10月22日は現在の11月下旬ですから,一雨ごとに寒さが加わって行く季節です。
紅葉も雨で葉がどんどん落ち行きますが,それも季節の変化の一要素として日本人は受け入れているのかも知れません。
写真は何年か前の11月下旬に京都の銀閣寺を訪れたときに撮ったものです。散った紅葉も美しく見せるため苔を庭の地面に植え付ける庭師のテクニックだと私は思います。
この他に紹介したい万葉集の雨の歌はたくさんあるのですが,いずれ「万葉集の雨歌」特集を企画して,そこでたっぷり紹介することにします。
ところで,万葉集に雨の歌が多いのは,晴れたときは仕事が忙しいので歌を詠む暇がない。けれども雨の日はやることがないので和歌を詠む。当時まさに晴耕雨詠(私の造語)だったのでしょうか。
ただ,Uta-Net というサイト(http://www.uta-net.com/)で「雨」がタイトルの一部となっている歌(10万曲以上の中)を検索すると,なんと1,214曲もありました。一方「晴」をタイトルに含む曲(「素晴らしい」などの天気と無関係なものは除く)のほうは,わずか200曲ほどしかありませんでした。
雨の日が暇かどうかは別にして,日本人にとって「雨」は昔も今も詩歌の題材になりやすいのだなあとつくづく感じます。
対語シリーズ「貸と借」に続く。
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