2011年11月23日水曜日

対語シリーズ「遠と近」‥浜名湖と琵琶湖,どちらが航行しやすい?

万葉集では距離や時の流れに関して「遠」「近」を詠んだ和歌がたくさん出てきます。
交通機関が発達した現代でも「やはり駅の近くに住みたい」とか「わざわざ遠くまでご足労頂きまして,..」とか,結構距離を気にかけることがあります。また,「遠い昔」とか「近い将来」とかの時の流れのなかの「遠」「近」を言うことも多くあります。
万葉時代,距離の「遠」「近」は交通機関が現代に比べ物にならないほど未発達で,生活する上で現代よりもはるかに大きな意味を持っていたのだと私は思います。また,万葉集の和歌の題詞,左註に年月日が多数出てくるように,暦や年号が日常的に使われるようになってきた時代だと私は想像します。そのため,時の流れの「遠」「近」も日数などで比較できるようになり,定量的に意識されるようになっていたのかも知れませんね。
まず,距離の「遠」「近」を詠んだ短歌を紹介します。

遠くあらば侘びてもあらむを里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ(4-757)
とほくあらばわびてもあらむを さとちかくありとききつつ みぬがすべなさ
<<遠くに住んでいるならば寂しく思うだけですが、住む里が近くにあると聞いていてもあなたと会えないなんて芸の無いことですよね>>

この短歌は,今年の1月28日の「動きの詞シリーズ(侘ぶ)」でも紹介した,大伴田村大嬢(たむらのおほをとめ)が,後に大伴家持の正妻になる異母妹の大伴坂上大嬢(さかのうえのおほをとめ)に贈った短歌です。近くに住んでいるのだから,女同士で何とかしてもっと会いましょうという提案の歌ですね。
さて,今度は距離といっても「心の距離」の「遠」「近」を詠んだ短歌を紹介します。

近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ(4-610)
ちかくあればみねどもあるを いやとほくきみがいまさば ありかつましじ
<<あなた様の心が近くにあるときはお目に掛からなくても心安らかでした。でも,私に対する心が本当に遠くなってしまわれたあなた様がいらっしゃる今,私はあなた様とお逢いできないと生きていることができないかもしれません>>

この短歌は笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った歌の中の1首で,家持の気持ちが自分から遠のいてしまったことに対する落ち込んだ気持ちを表現しています。自分への気持ちが遠のいた相手へも歌を贈る笠女郎の作歌意欲に私は以前からあこがれています。
次は,時の流れの「遠」「近」を詠んだ大伴家持が越中の自宅で開かれた宴席で詠んだ1首を紹介します。

今朝の朝明秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも(17-3947)
けさのあさけあきかぜさむし とほつひとかりがきなかむ ときちかみかも
<<今朝も明け方は秋風が寒いので,雁が来て鳴く時が近いからかもしれないよ>>

「遠つ人」は雁に掛かる枕詞と言われています。遠いところからやってくる擬人化した人という「雁」ということらしいのですが,私は「遠い」を場所ではなく,時間がずっと前という意味の方が良いのかなと思います。その理由は,雁が来て鳴くのを待ち遠しい気持ち(冬が終わり雁が去ってからから遠い昔だ)がこの歌から感じ取れるからです。
冬の越中は厳しいですが,雁,鴨,鷺,白鳥,鶴などが平野の稲田,湖沼,河原に多数飛来し,それらを狙う鷹狩りにもってこいの季節なのです。家持は鷹狩りが大好きで,万葉集に自分愛用の鷹を逃がしてしまった侍従に対する怒りを詠んだ長歌(17-4011)を残しているくらいなのです。

さて,万葉集で「遠」「近」を語るとき,是非入れたいのが「遠江(とほつあふみ)」と「近江(あふみ)」です。
どちらも海(大きな湖)を前提としており,その前提は「遠江」が「浜名湖」,「近江」が「琵琶湖」のことといわれています。京(奈良)から見て近いのは琵琶湖で,遠いのが浜名湖だからだそうです。
それぞれを詠んだ短歌を最後に紹介します。両方とも詠み人知らずの歌です。

遠江引佐細江のみをつくし我れを頼めてあさましものを(14-3429)
とほつあふみ いなさほそえのみをつくし あれをたのめてあさましものを
<<遠江の引佐細江(いなさほそえ)のみをつくし(澪標)のように私を頼らせておきながら,結局そちらは意外と軽い気持ちだったのですね>>

近江の海波畏みと風まもり年はや経なむ漕ぐとはなしに(7-1390)
あふみのうみ なみかしこみとかぜまもりとしはやへなむ こぐとはなしに
<<近江の海の波が恐ろしいと風向きをうかがうだけで年が過ぎ行きてしまいました。漕ぎ出すこともなく>>

みをつくし」は座礁しないように船を安全な航路に導く標識です。遠江の浜名湖の奥は,海底の起伏が激しく「みをつくし」に頼って航海する必要があったのでしょう。
いっぽう,比較的深さが一定の近江の琵琶湖は湖とはいえ,風が吹くと波が激しくなり,舟の安全な航行には風のおさまるのを待つしかないこともしばしばあったのかもしれません。
この2首とも浜名湖も琵琶湖も当時航行の難しさを例にしていますが,結局は恋の行方の予測の難しさを詠っているのだと私は感じています。
対語シリーズ「太と細」に続く。

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