今回は,「良しと悪し(良いと悪い)」について万葉集を見ていきます。
<通貨論>
ところで,イギリスの財政家トーマス・グレシャムは「悪貨は良貨を駆逐する」という法則(グレイシャムの法則)を提唱しました。
私はIT系技術者ですが大学では経済学を割と真面目に学びましたので,この程度のことは少し知っています。
今のEU(ヨーロッパ連合)の単一通過ユーロ(€)は,以前に比べて悪貨になりつつあります。すなわち,通貨の価値(信用)はその国の健全な財政によりなりたっているのでずが,EU加盟国ギリシャの国債がディフォルト(債務不履行)のリスクが高まり,そのリスクが現実のものになるとギリシャ国債を大量に保有する他のEU諸国の銀行が経営危機に陥る恐れがあり,ユーロの信用が揺らいでいます。
EU以外の国々の事業者は,価値が下がると予想されるユーロを売って(保持せず),円やドルを買おう(保持しよう)とします。その結果,ユーロはさらに安くなって市場に放出されます。
この悪循環を放置すると,次はEU以外の国々の財政も廻りまわって悪化させ,まさに「悪貨が良貨を駆逐する」状態になってしまうのです。
<万葉集の話を戻す>
経済評論家的な話はこのくらいにしましょう。万葉集で「良し」を見ますと「好し」「淑し」「吉」「よし」「宜(よろ)し」とされる場合もあります。
そんな「よし」を詠った万葉集でもっとも有名なのは次の大海人皇子が詠ったとされる短歌でしょう。
淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見(1-27)
<よきひとのよしとよくみてよしといひし よしのよくみよよきひとよくみ>
<<昔の立派な人が素晴らしい所だと何度も見て,それでも素晴らしい所だと言ったというこの吉野をよく見ると良い。今の善良な人たちもこの地を何度も見てほしい>>
「よし」または「よく」が合わせい8回出てきます。大海人皇子(後の天武天皇)がどれほど吉野をこよなく愛していたことをこの短歌で示そうとしたのでしょうね。
それから「よし」は,次のように枕詞の最後に使われることがあります。
あさもよし‥紀または城に掛かる枕詞
ありねよし‥対馬に掛かる枕詞
あをによし‥奈良に掛かる枕詞
たまもよし‥讃岐に掛かる枕詞
ますげ(が)よし‥宗我に掛かる枕詞
これらは,ほとんど地名に掛かる枕詞です。たとえば「玉藻が良いという」讃岐の地というように,讃岐といえば「玉藻が良い」という決まり文句が当時あったのでしょう。
瀬戸内海に面し鳴門海峡にも近い讃岐産のワカメは品質が良く,京人の間でも評判だったのは間違いないと私は思います。
また,奈良といえば,青色や丹色(あか色)に綺麗に彩られた宮殿,社寺,邸宅,橋がたくさんあったため「青丹よし」が奈良の枕詞になったのだろうと私は思います。
あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも(15-3602)
<あをによしならのみやこに たなびけるあまのしらくも みれどあかぬかも>
<<奈良の都にたなびく白い雲は見ていてもけっして見飽きないものでしよう>>
この短歌は天平8(736)年に遣新羅使の一人が詠んだものとされています。
白い雲がたなびいているのはどの地でも見られると思いますが,青色や丹色に彩られた宮殿や社寺の甍(いらか)の上をたなびく白い雲は,当時平城京以外では見られなかったと想像できます。
いっぽう「悪し」は,かなり偏った作者によって使われています。たとえば,中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野茅上娘子(さののちがみのをとめ)と交わした悲別(宅守が越前に流されたため)の短歌63首の中で4首に出てきます。
宅守が3首,その後娘子が1首で「悪し」を詠んでいます。
宅守は次のように越前へ行く道が「悪し(つらい)」と読んでいます。
愛しと我が思ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ(15-3729)
<うるはしとあがもふいもを おもひつつゆけばかもとな ゆきあしかるらむ>
<<恋しいとあなたのことを思いながら歩くからでしょうか,行きづらくて先に進まないのです>>
娘子は他国はもっと住みづらい「住み悪し」というので早く帰ってきてほしいと伝えます。
他国は住み悪しとぞ言ふ速けく早帰りませ恋ひ死なぬとに(15-3748)
<ひとくにはすみあしとぞいふ すむやけくはやかへりませ こひしなぬとに>
<<異国は住みづらいといいます。すみやかに早く帰って来て下さいませ。私が恋い死にしてしまわないうちに>>
このように万葉時代の「悪し」は主につらいこと,我慢しなければならないことを指していることが多いようです。
勧善懲悪時代劇で悪代官が「○○屋,お主もなかなかの悪者よのう。」「いえいえ,代官様には到底及びませんでございやす。」といった悪者を指して「悪し」とはいっていないように私は思います。
天の川 「たびとはん。あんたさんもいいかげん悪ちゃうか?」
いえいえ,天の川様には到底...。おっと,何を言わせるのだよ天の川君。私は顔と頭は悪いが,善良な一市民だからね。
対語シリーズ「深しと浅し」に続く。
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