その結果,大伴家持と山上憶良以外は作者(含む詠み人知らず)の和歌は,みな「笑」に関する部分の万葉仮名は「咲」という漢字を含む形のようです。
いっぽう,家持の和歌では「咲(笑み)」の万葉仮名も何首かありますが,「咲比(笑ひ)」「咲儛(笑まひ)」「咲容(笑まひ)」「恵麻比(笑まひ)」「恵麻波(笑まは)」「恵美(笑み)」「恵末須(笑まず)」「恵末比(笑まひ)」「恵良恵良(笑ら笑ら)」とさまざまな万葉仮名をあてています。
憶良の長歌では「恵麻比(笑まひ)」を使っています。
このことから,「笑む」またはその名詞形は花が咲くという意味を連想させ「咲」の字で「笑む」などと発音させるのが一般的だったけれども,家持や憶良はある意図を持って「恵麻比」のような音読みの万葉仮名を採用した可能性があります。
~父母を 見れば貴く 妻子見れば かなしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まず もうち嘆き 語りけまくは ~(18-4106)
<~ちちははを みればたふとく めこみれば かなしくめぐし うつせみの よのことわりと かくさまに いひけるものを よのひとの たつることだて ちさのはな さけるさかりに はしきよし そのつまのこと あさよひに ゑみみゑまずも うちなげき かたりけまくは ~>
<<父母を見れば尊敬を感じ,妻子を見れば愛らしく可愛いと感じる。これが今の常識とこのように言われている。人の噂では,チサの花が咲く盛りにいとしく可愛い妻子と朝夕にほほ笑んだり,ときにはほほ笑まないで嘆き語ったかもしれない~>>
この大伴家持作の長歌(抜粋)では「咲ける」「笑み」「笑まず」が含まれていますが,この3単語ともに訓読みの万葉仮名ではどれも「咲」という文字を使うことになる可能性があります。
ところが,家持はこの長歌で「咲ける(佐家流)」「笑み(恵美)」「笑まず(恵末須)」という音読みの万葉仮名をあてています。
「咲」という万葉仮名は,訓読み(意味をやまと言葉で表す)のため,やまと言葉のあたる意味が複数あるといくつかの読み方が可能となってしまいます。そのため,家持は音読みの漢字を敢えて当てて,「咲」を使った場合の読みの混乱を防いだのではないかと私は思います。
<漢字の訓読みと音読み>
訓読みの万葉仮名は,漢文の「読み下し」が得意な人にとって理解が容易だったのだと思います。いっぽう音読み万葉仮名は,漢文を中国語発音で読むのが得意な人にとって理解しやすいと想像できます。
家持は遣唐使経験のある憶良と異なり唐には行った経験はないようですが,この万葉仮名使いから見ると漢文を中国語発音で音読できる程度の中国語の素養があったことが推察されます。
<「笑む」はうれしいときに出るもの>
さて,ここまで万葉集の「笑む」にこだわって書いてきましたが,本当の「笑む」はやはり人との係わりの中で生まれるものだと感じました。人は相手の「笑む」を見て,お互いの人間関係がうまくいっていることを確認し,安心感をもちます。
たとえ,一人でほくそ笑んだとしても,家族や恋人との楽しい思い出に浸ったり,上司や周りの人に評価されことを一人で歓びをかみしめたりと,何か人との関係がうまくいったときに出るものだと思います。
これからも「笑み」を忘れず過ごしたいものだね,天の川君?
天の川 「なるほどな。なるほどなるほどなるほどな。そやけど,FUJIWARAの原西みたいなどぎつい笑いもええなあ。へっ,へっ,屁が出る3秒前。3,2,(ピー)」
天の川君の音声は途中で消しました。「頼む(1)」に続く。