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2012年4月10日火曜日

200号直前特集「これまでを振り返って」

<これまでの投稿を振り返る>
2009年2月28日に投稿を開始したこのブログは,万葉集に出てくる当時使われていた言葉(トークン)に焦点を当てて,その言葉をキーに万葉集を紐解きながら,私の勝手な感想を書いてきました。
3年以上,約200回の投稿ができたのは,万葉集に出てくる言葉がとにかく豊富であり,その言葉の用法(表現の仕方)を万葉集の中で見て行くと,私にとって興味ある発見が続いたからなのです。ただし,「発見」と言っても万葉集研究の専門家でない私にとっての話です。万葉集や国語学を専門に学術研究をなさっている方々にとっては,とっくに分かっていること,否定されていること,採るに足らないことの羅列かも知れません。
ブログという気軽かつ自由に自分の考えを表現できるツールができ,ITを使った関連情報の入手・整理がしやすくなったことが私のような素人でも万葉集に取り組むことができるきっかけになったことは間違いありません。
とはいうものの,多くの方が見る可能性があるブログである以上,何の裏付けも無く勝手な考え方を書くのは良くないことだと私は考えています。
時として,裏付けが乏しいけれど,推測で書きたい場合もあります。また,その推測を仮定として今後裏付けを探していきたい場合もあります。
推測である場合は推測であることをできるだけ示しつつ,表現していくことに心がけていこうとしてきました。
さて,これまで投稿してきた内容を分類すると次のような順序で進めてきました。
①テーマが定まらない時期(2009年2月~6月)
②難読漢字シリーズ(2009年6月~2010年1月)
③動詞シリーズ(2010年2月~2011年7月)
④対語シリーズ(2011年8月~現在進行中)
この間,正月,GW,七夕の時期には「私が接した歌枕シリーズ」「七夕シリーズ」を割り込ませてきました。
また,100回到達,3年目突入などでは,本ブログに関する総括的な投稿をしてきました。
体系的とはとても言えない内容ですが,自分の興味に関する部分を断片的に出すだけでなく,投稿する意図をできるだけ読む人に理解頂けるようシリーズ化して投稿してきたつもりです。
ただ,天の川君がときどきしゃしゃり出て,私の投稿意図を乱してしまうことがありますが,制御不能です。
このブログ,日本が圧倒的に多いですが,日本以外で閲覧数の多い国はアメリカ,ロシア,マレーシア,ドイツ,ラトビア,台湾の順です。アジアが意外と少なく,アフリカや中近東はほとんど閲覧がありません。
なお,ここまでで一番閲覧数が多かった記事は次の記事です。
★2011年 7月 2日(154号):天の川特集(2)‥憶良・家持は「七夕」通?
http://reverse-mannyou.blogspot.com/2011/07/2.html
また,2番目は次の記事です。
★2011年 6月26日(153号):天の川特集(1)‥万葉集は「七夕」を特別扱いしていた?
http://reverse-mannyou.blogspot.com/2010/02/3.html
どちらも昨年の七夕の時期に投稿した記事です。
これらの記事は季節がら瞬間的に閲覧数が多くなることはある程度予想していました。しかし,その後も継続的にアクセスを頂き,過去のトップ2をキープしています。
そのことから七夕という季節的な要因だけでなく,投稿内容そのものに対する興味を持って頂いたのではないかと考えています。
私が,これらの記事で一番言いたかったこと(必ずしも閲覧数が多い要因ではないかも)は,大伴氏(中心は家持)が七夕に関する和歌を利用して,七夕の行事を流行らせ,氏族が運営している製糸業,農業,製酒業,観光業,物品販売などのビジネスを活性化して,氏族の資産を増やそうとしていたのではないかということです。
そして,大伴氏がそのようなビジネスをプロモーション(営業推進)に使った和歌(口承で流行らせようしたもの)が万葉集の一部として残ったのかもしれないと考えたのです。
家持が万葉集最後の短歌の後,歌を詠んでいないように見えるのは,家持が歌を詠むのをやめたというより,和歌を使ってのビジネスプロモーションをしなくなったためではないかと私は推測しています。
だからと言って,万葉集の文学的な素晴らしさを否定するつもりはまったくありません。
紫式部清少納言吉田兼好鴨長明芥川龍之介夏目漱石太宰治志賀直哉も,結局ある種の出版ビジネスを成功させるために作品を書いのがほとんどだと私は思います。
目的はどうあれ,創作された文学作品が優れたものであれば,多くの人に支持され,ずっと歴史に残るものとなるのです。もちろん万葉集もそのひとつです。
200号特集「『のぞみ』車窓の桜」に続く。

2009年2月28日土曜日

万葉集をトークンに分ける

<自己紹介>
私の生業(なりわい)は,ソフトウェアの保守開発です。
仕事では,ときどき10年,20年前に作られ,その後何人もの人により手直しが加えられ,設計書も古いままや修正差分資料しかないソフトウェアをリバース・エンジニアリング(普通のソフトウェア開発と逆の技術手順という意味)することがあります。
その作業では,コンピュータへの命令の羅列であるプログラムから,最初に設計したエンジニアの苦労や考え,スキルレベルの推定が必要になることがあります。また,最初だけでなくその後に手直しした(保守開発をした)エンジニアの苦労や考え,スキルレベルも推定が必要となることもあります。
この推定作業は,分析力,理解力,推理力などを要するものですが,何よりも今までいろいろな技能レベルのエンジニアが作ったプログラムを数多(あまた)見てきた経験を持ち,欠陥の修復だけでなく,より魅力のあるソフトウェアにする作業の経験の多さが必要不可欠な能力の一つです。
これには,箸にも棒にもかからないようなひどいプログラムも読みこなし,限られた予算の中で最適に修正する力が必要となります。「正しいプログラミング教育は最新のプログラム言語でプログラムの作り方を教えることで十分。古くてひどいプログラムを見せる必要がない。」と考えている人たちにはまったく相入れない作業なのかもしれません。
最近,プログラムのリバースエンジニアリングを支援するツールもありますが,このような設計思想や関係技術者のスキルまで推定してくれるものは知りません。
<ようやく万葉集>
さて,この仕事の経験から,学生時代少し嗜(たしな)んだ万葉集をリバース・エンジニアリングしてみよう最近考えるようになり,昨年から少しずつ作業を進めているところです。
この目的は,万葉集は何のために編集されたのかを,私的に勝手に推理することです。万葉集は数多の研究者が過去からさまざまな分析や研究を行っていますが,それらを参考にするのは自分なりの分析が済んだ後にしようと考えています。
なぜなら,この作業は先入観を極力排除することが重要だと考えているからです。まずは,自分のソフトウェア保守開発の経験を主体に万葉集をリバース・エンジニアリングをしてみる。最終的に,それが万葉集の研究定説とどれほど違いがあるのかの検証は後のお楽しみという考えでいるのです。
<お断り>
このブログでは,リバース作業途中で気づいたことを自分勝手にその都度出しますから,次のように研究として見て頂くには堪えないものです。あくまでも単なる読み物とお考えください。
・まったく体系的でない順序で投稿します。
・ごく限られた範囲による調査による想像の羅列です(前言撤回のオンパレードの可能性も)。
・単純な理解不足による間違い・勘違いも一つの作業過程(途中段階)として許容の範囲と考えます。