今回は,畏し(かしこし)について,万葉集を見ていきます。「畏」という漢字は「畏怖(いふ)」で出てきますので,見たことはある人は多いかもしれません。
最初は,羇旅の短歌からです。
大海の波は畏ししかれども神を斎ひて舟出せばいかに(7-1232)
<おほうみのなみはかしこし しかれどもかみをいはひてふなでせばいかに>
<<大海の波は怖ろしいけれど,海神に無事を祈って船出をすればどうだろう>>
作者は,何日も海が凪ぐのを待っている船に乗っている旅人なのでしょう。
待ちくたびれて,海神に祈れば行けるのではとイライラしながら作ったのでしょうか。
次も羇旅の短歌ですが,女性作と言われています。
海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも(12-3199)
<わたのそこおきはかしこし いそみよりこぎたみいませ つきはへぬとも>
<<海の深い沖は恐ろしいので,磯伝いに漕ぎう回してくださいませ。多少月数がかかっても>>
女性らしい危険を避けたい気持ちを素直に詠んだと私は感じます。
スミマセン。「女性らしい」というのは,あくまで私の勝手な感覚です。こんなことに気を付けなければいけない時代になったのですね。
最後は,ガラッと変わって恋愛の短歌です。
妹と言はばなめし畏ししかすがに懸けまく欲しき言にあるかも(12-2915)
<いもといはばなめしかしこし しかすがにかけまくほしき ことにあるかも>
<<彼女を最愛の恋人と言ったら無作法で,恐れ多い。そうはいうものの本当にそう言ってみたいことだ>>
律令制度の階級が違う家間の恋愛には,ハードルがあったかもしれません。
この男性は階級がかなり上の家の女性を好きになったのでしょう。
しょうがないですね。人を好きになるのに家柄などは関係ないですからね。
万葉集は律令制度の良さを認めながらも,制度がもつさまざまな人への影響を見逃さず残しているところに,編集の意図の多様性を強く感じ,また凄さも感じる私です。
(続難読漢字シリーズ(8)につづく)
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