2012年10月28日日曜日

今もあるシリーズ「布(ぬの)」

今ではさまざまな化学繊維をはじめ,「布」の種類は非常に多いのではないでしょうか。さらに,同じ材料の糸から作られる布も,糸の太さ,織り方,染め方で種類は何百,何千通りになるものもあると考えられます。最近では,デニムパンツのように一回新品で作ったものを色褪せをさせたり,穴を開けたり,ほつれさせたりして使い込んだように見せるなんてこともやります。
それに対して,万葉時代は布の種類も今に比べるとはるかに少なかったのだろうと容易に想像できます。当時の材料は,麻,木綿,絹などのほか,草や木の皮の繊維で布を編んでいたようです。
ただ,万葉集を調べると,織り方は手で網目を作るように編んだ布,狭く織った狭織の布,経糸と緯糸を斜めに交差させた綾織の布,色々な色の糸を織り込んで煌びやかな模様仕立てた錦織の布などが結構さまざまな工夫を施したものが見られます。織布の技術は万葉時代,すでにかなり高度なものになっていたのではないでしょうか。
ところで,今日本の代表的現役テニスプレーヤーに錦織圭(にしこり けい)選手がいます。大化の改新前から「錦織部(にしごりべ)」という錦の布を折ることを得意とした民が居たようです。したがって,錦織選手の名前は非常に歴史が古い名前だといえるのかもしれませんね。
さて,万葉集で布を詠った短歌をいくつか紹介しましょう。

荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべをなみ(5-901)
あらたへのぬのきぬをだに きせかてにかくやなげかむ せむすべをなみ
<<粗末な布の着物でさえも着させることが出来ない。ただこのように嘆いてばかりいて,なすすべがない>>

この短歌は山上憶良(やまのうへのおくら)が天平5(733)年6月3日,自身が老いた身に重い病気を患い,長年苦しんでいる中,貧しい子供たちを思い詠んだ7首(長歌1首,短歌6首)の中に出てくるものです。貧しい子供たちを何とかしたいが,老齢と重い病に苦しむ自分にとって何ともしがた悔しいい気持ちが私には伝わってきます。これを読んだ後継の人たちが,衣食住について劣悪な布でできた衣さえ着させてもらえない貧しい子供たちを何とか救ってほしいという願いが込められていると私は強く感じます。貧しい国には多くのストリートチルドレンがいると聞きます。現代でも憶良の和歌に心動かされるものがあります。
次は七夕織姫を喩えに出した詠み人知らずの短歌です。

織女の五百機立てて織る布の秋さり衣誰れか取り見む(10-2034)
たなばたのいほはたたてて おるぬののあきさりごろも たれかとりみむ
<<織姫がたくさんの織機を使って織る布が秋の衣になったら誰が手に取ってみることでしょうか>>

この短歌は,おそらく牽牛ひとりにそんなに多くの布を織って作った衣を手に取るのは無理だろうということ詠んだのだと思います。
ただ,織姫一人がたくさんの織機を使うのではなく,大勢の機織(はたおり)娘がいっせいにたくさんの織機を使って機織りをしている姿は,まさに工場で布を大量生産している様子に似ていますね。そうすると,もしや万葉時代にすでに多くの機織娘が働く大規模な機織工場があったのかもと想像したくなります。
次は,そんなことを裏付けるような?東歌です。

筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布乾さるかも(14-3351)
つくはねにゆきかもふらる いなをかもかなしきころが にのほさるかも
<<筑波山に雪が降ったのかな? いや,可愛い娘たちが白い布を乾しているからかもね>>

この短歌は,雪が降ったのと見間違うほど大量の布を乾した様子が伺えます。染色のため乾したのか,漂泊のため乾したのかわかりませんが,きっと大量の布を生産する場所が筑波山のふもとにもあったのではないかと私は推測します。
さて,布まで来たら次回は布でつくる衣(ころも)の話題を移ることにします。
今もあるシリーズ「衣(ころも)」に続く。

2012年10月11日木曜日

今もあるシリーズ「糸(いと)」

万葉時代,針があったことが万葉集からわかります。針があれば当然縫うための糸が必要となります。万葉集には9首の短歌で糸が出てきます。それらを見ると糸がどのように作られ,どんな色の糸があったかを知ることができます。

我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき(4-516)
わがもてる みつあひによれるいともちて つけてましものいまぞくやしき
<<私が持っている三重によりをかけた糸で縫いつけておけば良かったのを今となってはそうしなかったのが悔しい>>

この短歌は阿部女郎(あべのいらつめ)が中臣東人(なかとみのあづまびと)に贈った短歌です。
当時は切れにくい三つよりの強い糸があったことを示します。

河内女の手染めの糸を繰り返し片糸にあれど絶えむと思へや(7-1316)
かふちめのてそめのいとを くりかへしかたいとにあれど たえむとおもへや
<<河内女が手染めの糸を繰り返し片撚りの糸を縒り合わせる作業は,片縒りの糸が無くならないように絶えることがないと思う>>

<万葉時代の糸の製造工場>
この詠み人知らずの短歌から,今の大阪の河内地方では糸を縒り合わせる女性たちが多く住んでいたことが想像できます。もしかしたら,河内には大きな建物にその女性たちが集まって糸を縒る工場のような場所があったのかもしれませんね。そして,河内女が縒った糸というブランドがあり,奈良の都では高級品として売られていたかもしれません。
糸の製造技術により,片糸(1本の糸)を縒り合わせて,強い糸や,またいろいろな色に染めた糸を混ぜて縒り合わせることで,遠くから見たとき単色の糸では出せない色の糸が各種作られていたのではないかと私は考えます。
さて,糸の材料ですが,木綿,麻,動物の毛,人間の髪の毛などが使われていたのではないかと私は想像します。しかし,何と言っても糸の材料としてもっともきれいで光沢のあるのは絹ではないでしょうか。万葉集に絹の糸を詠んだ歌はありませんが,絹の布や蚕を詠んだ和歌が出てきます。
<鬼怒沼ハイキング>
ところで,絹(きぬ)といえば,今週の月曜日(体育の日)に栃木県にある鬼怒川の源流と言われる鬼怒沼(きぬぬま)の湿原を散策しました。
鬼怒沼は湿原で有名な尾瀬ケ原より標高が600mも高い標高2,000mを超える場所にあり,まさに天空の湿原と言われています。社会人になった頃から一度行ってみたいと考えていた場所ですが,うん十年たってようやく実現しました。
ただし,鬼怒沼までの登山道は8月に富士山八合目まで登ったときと同じくらいつらい登り下りでしたが,幸運にも,秋晴れに恵まれ,高い山の上なのに微風で,沼の周囲では紅葉がはじまり,湿原の草は一面暖かそうな枯草模様が見られ,本当に快適な湿原の散策ができました。
その写真を紹介します。
まず,秋の雲が沼の上に映った写真です。


次は,まさに天空の湿原を思わせる風景です。


最後は沼に映った鬼怒沼山です。


そのほかにも写真をたくさん撮ってきましたが,また機会があれば紹介することにします。
さて,糸と言えば,糸で縫製する対象の布があります。次回は「布」を取り上げます。
今もあるシリーズ「布(ぬの)」に続く。

2012年10月7日日曜日

今もあるシリーズ「針(はり)」

ミシンが発明されるまでは,縫製と言えば針に糸を通して手で縫うのが一般的でした。
私の母は,ミシンもしましたが,和服の仕立てが得意で,前にも書きましたが,振袖,留袖,訪問着,僧侶の袈裟などを仕立てる内職をしていました。
私が中学生位になると,母は老眼が進み,針に糸を通すのに苦労していました。ただ,糸の先と針の孔はよく見えないのに,大概は勘で糸を通していました。
万葉集に次のような針を詠んだ短歌が出てくるのは,もう縫製用の針が一般にも使われていたことが伺えます。

草枕旅の翁と思ほして針ぞ賜へる縫はむ物もが(18-4128)
くさまくらたびのおきなと おもほしてはりぞたまへる ぬはむものもが
<<草を枕にして寝る旅の爺さんとお思いになって(あなたは)針を下さいました。この上は縫うためのもの(布)が欲しいものです>>

針は裁縫用具として重要な道具ですが,先がとがっているため,そのままでは肌に刺さったりして危ないものです。そのため,針を安全に保管したり,持ち運べるように針専用の袋が,上の短歌の次に載せられている短歌からすでにあったことが伺えます。

針袋取り上げ前に置き返さへばおのともおのや裏も継ぎたり(18-4129)
はりぶくろとりあげまへにおき かへさへばおのともおのや うらもつぎたり
<<いただきました縫い針袋を取り出して目の前に置きひっくり返してみたら何とまあご丁寧に裏にまで凝った裏地が継いでありました>>

この2首は,天平勝宝元(749)年11月12日に,国主として越中赴任中の大伴家持の補佐官である大伴池主(おほとものいけぬし)が贈った短歌4首の内の2首です。
この針や針袋などは,家持と池主だけが分かる別の何かを指していると私には思えてなりません。たとえば,針は武器で,針袋はそれを覆い隠して分からなくする船とかです。
家持の返歌が無くなっているとの注釈もあり,この返歌を残すことは家持にとって都合があまり良くなかったのかもしれません。大伴池主は7年後に発生した橘奈良麻呂の乱に加わったため,捕縛され,獄死した可能性があるようです。
最後に女性が針について詠んだ短歌を紹介します。

我が背子が着せる衣の針目おちず入りにけらしも我が心さへ(4-514)
わがせこがけせるころもの はりめおちずいりにけらしも あがこころさへ
<<わたしの愛しているあなたが着る衣の針目はしっかり縫い込みまれたはずよ,わたしの恋しい心も一緒にね>>

このころ,裁縫はすでに女性の嗜みとして,けっこう広まっていたのだろうとこの短歌からも感じます。
それにしても,当時の針はどんな太さで,どのくらい長かったのでしょうか。気になりましたので,Wikipediaで針を調べてみました。そうしたら,昔は木や骨を削って作ってたようです。万葉時代の針は何でできていたか,興味が尽きません。
さて,針と言えば糸が付き物ですね。次は糸について取り上げます。
今もあるシリーズ「糸(いと)」に続く