今回は万葉集に出てくる「春設く」の用例を考えてみます。
春設けてもの悲しきに さ夜更けて羽振き鳴く鴫誰が田にか住む(19-4141)
<はるまけて ものがなしきに さよふけて はぶきなくしぎ たがたにかすむ>
<<春になってもの悲しいのに、夜が更けてから羽を振って鳴くは誰の田に住む鴫だろうか>>
春設けてかく帰るとも 秋風に もみたむ山を越え来ざらめや(19-4145)
<はるまけて かくかへるとも あきかぜに もみたむやまを こえこざらめや>
<<春になって雁はこのように(北へ)帰ってしまうのだが、秋風が吹いて色づく山を越えてまたやって来るだろう>>
↓[Photo by Thermos]
両方とも大伴家持が越中高岡で天平勝宝2年3月に詠んだ越中秀吟とよばれる12首の中の2首ですが,これらから春の明るさはあまり感じられませんね。
家持は,なぜ春なのにもの悲しいと感じたのでしょう。
また,なぜ春になって去っていく雁を見て紅葉の頃きっと帰ってくるに違いないと詠んだのでしょう。
私の推測ですが,越中で春になると雪が消え,気候が都(奈良)に似てきます。
そのため,都への望郷の思いが増してきて,地方にいつまでも左遷されている自分を悲しいと感じたのではないかと思うのです。
家持が鴨や雁という渡り鳥を題材に悲しさや暗い気持ちを表現したのは,鳥ならばちょっと都に飛んで行って帰ってくることもできるのではないかという羨ましさを感じていたのかもしれませんね。
さて,喰い気しか興味のない天の川君だったら「春になると美味しい鴨鍋が食べらへんようになるさかい『悲しい』と言っとるのとちゃう?」と家持の心情を勝手に分析するんじゃないかな。
<平安時代以降使われ出した「春めく」>
ところで,万葉集には出てきませんが,平安時代以降使われるようになった少し似た表現で「春めく」という言葉があります。
「春設く」は下二段活用,「春めく」は四段活用です。
したがって,前者が「春設けて」となると後者は「春めきて」となります(今の口語では「春めいて」と言うようです)。
両者の意味に似たところがあるため「設く」が平安時代に「めく」に転じた可能性があると私は推測しています。ただ,活用が違うのでまったく生まれが別の言葉かも知れませんが。
(注)「前回投稿で天の川君の発言にあった『大日本アカン警察』とは何か?」という問合わせがその後ありましたので,Wikipediaの該当URLを提示しておきます(その後リンク先が無くなっていたらごめんなさい)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E7%AC%91_%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AD%A6%E5%AF%9F
設く(3:まとめ)に続く。
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