2010年10月30日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…設く(3:まとめ)

「設(ま)く」の最終回として旋頭歌を一首紹介します。

夏蔭の妻屋の下に衣裁つ我妹 裏設けて我がため裁たばやや大に裁て(7-1278)
なつかげの つまやのしたに きぬたつわぎも うらまけて あがためたたば ややおほにたて
<<夏の物陰の涼しい妻屋の軒の下で布を裁いている私の君よ 裏地も付けた僕用なら(目立たぬように)少し大きく裁いてよ>>

旋頭歌は古事記日本書紀万葉集に出てくる和歌の形式で,短歌が五七五七七であるのに対して,五七七五七七の形式です。
万葉集では60首余りが旋頭歌の形式で詠まれています。
ほとんどが詠み人知らずの恋の歌です。
上の旋頭歌は男一人が詠んでいる歌のようですが,他の旋頭歌では前の五七七と後ろの五七七を別人(男と女)が詠う内容のものもあります。
旋頭歌は,当時流行りの恋をテーマとしたデュエット曲の歌詞や,「~さんよ。~してよ。」という自分の思いを伝える目的の形式だったのかもしれませんね。

上の旋頭歌でポイントとなるのが,本テーマである「裏設けて」です。
文字通り「裏を施す」で「裏地」となると思うのですが,別に当時「心」を「うら」と発音している関係で,「気持ちを込めた」という意味も表わしていると思います。
結局,「僕のことをもっと愛してほしい」という男心と,恋路の邪魔をする周りに知られないように「少しだけいいから大きく」という微妙な心境も私には感じられます。
<「設く」の広い意味>
さて,ここまで万葉集に表れる「設く」について見てきましたが,「作業の準備や手配をする」,「心の準備をする」,「気持ちを込める」,「季節の動き」,「朝昼夕の変化」など,非常に幅広い意味を持つ言葉であることが分かってきました。
こんな豊かな表現力をもった「設く」という言葉が現在ではほとんど使われていないのが,少し残念な気がします。
ただ,万葉集には,使われなくなった言葉を蘇らせる力があるように思えてなりません。
たとえば,店の名前や番組タイトルに万葉集を参考に「春設く」とか「春設けて」というネーミングをして,それが大変な流行語になれば復活もありえますね。

最近,意を決して焼酎「天の川」の高級品「壱岐づくし」を買いました。すべてが壱岐で栽培している原材料で蒸留している焼酎だそうです。
呑んでみましたが,さらにまろやかな味わいでした。
酒造メーカが原料から蒸留プロセスまでちゃんと「設く」ことによって,この風味が達成できているのかもしれません。
天の川君に気づかれて呑まれてしまう前に私がすぐ呑んでしまいそうです。
立つ(1)に続く。

2010年10月24日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…設く(2)

今回は「設(ま)く」の2回目です。
今回は万葉集に出てくる「春設く」の用例を考えてみます。

春設けてもの悲しきに さ夜更けて羽振き鳴く鴫誰が田にか住む(19-4141)
はるまけて ものがなしきに さよふけて はぶきなくしぎ たがたにかすむ
<<春になってもの悲しいのに、夜が更けてから羽を振って鳴くは誰の田に住む鴫だろうか>>

春設けてかく帰るとも 秋風に もみたむ山を越え来ざらめや(19-4145)
はるまけて かくかへるとも あきかぜに もみたむやまを こえこざらめや
<<春になって雁はこのように(北へ)帰ってしまうのだが、秋風が吹いて色づく山を越えてまたやって来るだろう>>
                              ↓[Photo by Thermos]

両方とも大伴家持越中高岡で天平勝宝2年3月に詠んだ越中秀吟とよばれる12首の中の2首ですが,これらから春の明るさはあまり感じられませんね。
家持は,なぜ春なのにもの悲しいと感じたのでしょう。
また,なぜ春になって去っていく雁を見て紅葉の頃きっと帰ってくるに違いないと詠んだのでしょう。
私の推測ですが,越中で春になると雪が消え,気候が都(奈良)に似てきます。
そのため,都への望郷の思いが増してきて,地方にいつまでも左遷されている自分を悲しいと感じたのではないかと思うのです。
家持が鴨や雁という渡り鳥を題材に悲しさや暗い気持ちを表現したのは,鳥ならばちょっと都に飛んで行って帰ってくることもできるのではないかという羨ましさを感じていたのかもしれませんね。

さて,喰い気しか興味のない天の川君だったら「春になると美味しい鴨鍋が食べらへんようになるさかい『悲しい』と言っとるのとちゃう?」と家持の心情を勝手に分析するんじゃないかな。
<平安時代以降使われ出した「春めく」>
ところで,万葉集には出てきませんが,平安時代以降使われるようになった少し似た表現で「春めく」という言葉があります。
「春設く」は下二段活用,「春めく」は四段活用です。
したがって,前者が「春設けて」となると後者は「春めきて」となります(今の口語では「春めいて」と言うようです)。
両者の意味に似たところがあるため「設く」が平安時代に「めく」に転じた可能性があると私は推測しています。ただ,活用が違うのでまったく生まれが別の言葉かも知れませんが。

(注)「前回投稿で天の川君の発言にあった『大日本アカン警察』とは何か?」という問合わせがその後ありましたので,Wikipediaの該当URLを提示しておきます(その後リンク先が無くなっていたらごめんなさい)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E7%AC%91_%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AD%A6%E5%AF%9F

設く(3:まとめ)に続く。

2010年10月16日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…設く(1)

本シリーズは3回ほどお休みしましたが再開します。
再開最初に取り上げる動詞は「設(ま)く」です。
「設く」の意味は,英語のprepareが非常に近いのではないかと私は思います。
「準備をする」「用意する」という意味ですが,必要なモノが揃う準備だけでなく,心の準備ができているという意味を含む点もprepareと共通点があります。
類義語に「儲(まう)く)」があります。現代の読み方は「もうける」で,「利益を得る」「(子供を)授かる」といった意味で使われています。
しかし,万葉集から推察するに,万葉時代では「儲(まう)く)」は「設(ま)く」と同様に準備するという意味で使われていたようです。
ちゃんと準備をして(儲くして)ものごとを進めれば,その後に良いことが起こり,お宝を得ることができるという経験から,「儲(まう)く)」は「儲(もう)かる」という意味に変化をしていった可能性があると思います。
さて,「設く」に話を戻します。
万葉集では「設く」は「かた設く」という慣用的な使い方がいくつかの和歌で出てきます。
「かた設く」の「かた」はこの場合「大体」という意味で,「かた設く」は「時を待つ。時が近づく,その時になる」といった意味となるようです。
「準備がほぼ整ったので後は心待ちにするだけ」「準備完了で次の段階に達したようだ」という意味に変化ていったのかも知れませんね。

梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かた設けて(5-838)
うめのはな ちりまがひたる をかびには うぐひすなくも はるかたまけて
<<梅の花が散りみだれている岡にウグイスが鳴いていますね。待ち遠しい春も近いです>>

鴬の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かた設けぬ(10-1854)
うぐひすの こづたふうめの うつろへば さくらのはなの ときかたまけぬ
<<ウグイスが木を伝っているウメの花が散り始めるといよいよサクラの花が咲く季節になりますね>>

人は楽しいイベントの準備はいそいそと進めることができます。
その結果,楽しいイベントの日よりずっと前に準備が終わってしまい,待ち遠しくて堪らなくなります。
そんな雰囲気がこの二首の短歌で出てくる「かた設く」の言葉から伝わってきます。

さて,今は景気が停滞し,厳しい世の中だけど,お酒の量も少しずつに我慢して,しばらくは「好景気かた設く」とでも行きますか?

天の川 「たびとはん。10月2日たびとはんがクラブメイトと一緒に呑んだ壱岐の麦焼酎『天の川』やけど。すんまへんな。半分ぐらい残っていたのを全部呑ましてもろたさかい。この焼酎,いつ飲んでも美味いな。」

も~っ! ちょっとしたスキに天の川にまた「天の川」を呑まれてしまった。
まあっ,良いか。「天の川」は成城石井で売っていることが分かったし,今月は珍しく残業代が少し多めに入るから,天の川に見つからないように買って,ゆっくり呑むか?

天の川 「たびとはん。それはアカンやろ! 独り占めはスコイやんか。そんなことしたら大日本アカン警察が逮捕にいくで!」

設く(2)に続く。

2010年10月10日日曜日

初秋の明日香

昨年6月に東京奥高尾でホタルの乱舞を見つつの再会(本ブログでも紹介)続き,先週土曜(10月2日)に万葉のふる里「明日香」近辺を眼下に望む里山の古民家風料亭で大学時代の万葉集研究のクラブメイトと1年3カ月ぶりに再会しました。
今回のイベントも主に私が地元メンバーの協力を得て企画を進めてきました。
天候にも恵まれ,この日を楽しみにしていた参加者は地元で採れた食材をベースとした色合いも鮮やかな会席料理を味わいつつ,お互いの近況報告や昔の思い出を時間を忘れて話し合いました。
実は何十年も前のクラブ創設の日にはキャンパス内にある当時古民家を移設した施設で数十名が集まり盛大に行われました。
その施設には和室が3部屋ほどあり,ふすまをすべてとって大きなひと部屋に全員大きな円形に座ったような記憶があります。
今回再会した人達はその中の一部ですが,これからもこういったイベントを継続開催し,参加者を少しずつ増やしていければと考えています。
次回は再来年の春,万葉集で越中歌壇として大きな存在感を持つ富山でホタルイカ,シロエビ(シラエビ),サヨリなどの近海の春の幸を味わえるのを楽しみに再会しようということになりました。
また,メルマガを定期的に発行することを決め,当日は私の携帯電話からあらかじめ用意していたメルマガ創刊号を登録メンバーに送りました。
早速,今回都合で参加できなかった埼玉のメンバーから「メルマガ創刊おめでとう!」という返事がきました。
料亭での懇親会後は,JR奈良駅へ移動し,カラオケボックスで往年のSongsを唄い盛り上がりました。それにしても関西のカラオケボックスは本当に良心的。またそれも感動でした。
その晩東京から来たメンバーとスーパーホテルロハスJR奈良駅に一泊(天然温泉も満喫)し,翌日は古都奈良市内の散策を地元メンバーのアレンジで行いました。
奈良市内は小学校の遠足で来たときから数えて10回以上私は来ていますが,今回古い奈良,新しい奈良を改めて見て,1300年の歴史の奥深さをまた強く感じることができたのです。

この後メンバーと別れた私は,ひとりで明日香に戻りました。昨日は集団移動で十分見ることができなかった明日香の風景を見るためです。
私が今回のイベントを10月2日にした理由のひとつに,明日香の里ではまだ稲刈りがほとんど行われていない時期で,一面黄金色の稲穂で満たされた稲田の風景を楽しめるのではないかと思ったからです。
そして,明日香に戻ってみると,彼岸に咲き,既に散っているはずのヒガンバナ(マンジュシャゲ)が何とまだ見ごろでした。
今年は猛暑でヒガンバナの開花が遅れたことが幸いしたようで,本当にラッキーでした。
写真は10月3日午後に撮ったものです。

今回の明日香,奈良訪問は本当に充実し,心から楽しく感じられた2日間でした。1年以上かけて準備をしたことが報われた気がします。
忙しい中集まってくれた仲間,手間を惜しまずいろいろアレンジしてくれた仲間,日本の風景を大切に守って暮らしている奈良の人々,そして訪問者を優しく包む奈良の自然に感謝しつつ,私は穏やかな気持ちで万葉のふる里を後にしました。

  里渡る明日香黄金と紅の風 まほらで友ら優しく包む  (たびと2010年10月作)

次回からは,動きの詞(ことば)シリーズに戻り,「設く(1)」に続く。