2010年7月17日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…争ふ(2)

今回は「争ふ」の2回目です。万葉集の和歌に表れる「争ひ兼ねて」という慣用的な表現について触れてみます。
「兼ねる」とは「それはでき兼ねます」「あなたの意見には同意し兼ねます」「私はどうすべきか決め兼ねています」というようなときに使う「できない」という意味を婉曲に表した言葉です。
万葉集で表れる「争ひ兼ねる」は,結局「争うことができない」「勝負にならない」「抵抗できない」「負ける」「押される」「促される」といった意味にとれるようです。

春雨に争ひ兼ねて我が宿の桜の花は咲きそめにけり (10-1869 )
はるさめに あらそひかねて わがやどの さくらのはなは さきそめにけり
<<春雨に抵抗できず我が家の桜の花はついに咲き始めたのです>>

白露に争ひ兼ねて咲ける萩散らば惜しけむ雨な降りそね(10-2116 )
しらつゆに あらそひかねて さけるはぎ ちらばをしけむ あめなふりそね
<<白露に促されてやっと咲いた萩を散らしたら惜しいので雨は降らないでほしいものだ>>

しぐれの雨間なくし降れば真木の葉も争ひ兼ねて色づきにけり(10-2196)
しぐれのあめ まなくしふれば まきのはも あらそひかねて いろづきにけり
<<時雨の雨が間断なく降ると真木の葉もそれに負けて心なしか色づいて来たなあ>>

日本人が持つ季節の変化への非常に繊細な感性があればこそ,このような表現が可能になったと私は強く感じます。
この3首ともに雨や露という水滴が関係しています。
最近各地で浸水や土砂崩れの被害を及ぼしているゲリラ豪雨とは無縁の恵みの小さな水滴です。
これら3首の短歌順に,春の暖かい春雨が花が咲くのを誘う。秋の夜露が秋萩の花を咲かせる。でも,秋の雨は冷たく花を散らせてしまう。
さらに秋も深まり,もっと冷たい時雨が降り続けるようになると杉やヒノキの常緑樹の葉も色づくようだ。
<自然と一体になり,精神的安寧を得る>
季節の変化を「争ひ兼ねて」という擬人的な表現を使うことで自然を人間のように扱い,自身もその中に完全に溶け込み,自然の動きを感じつつ,自身の気持ちが本当に安らいでいるのを感じる。
そんな精神的な安寧を日本人は昔から自然の中に求めてきたのだと私は思うのです。
そして,このように自然に溶け込めたとき,実は日常的なさまざまな争い(競争)に疲れた自分を忘れることがでる。
まさに「争ひ兼ねて」がぴったりの表現だと私は感じます。

うつせみの八十言のへは繁くとも争ひ兼ねて我を言なすな(14-3456)
うつせみの やそことのへは しげくとも あらそひかねて あをことなすな
<<世間の人からいろんなことを言われ煩わしいと思っても,その煩わしさに負けて,つい私との関係を口に出したりしないでね>>

この短歌は,ふたりの関係を世間が詮索するけれど,今のあなたとの恋を続けるために私のことを黙っていてほしいという女性の気持ちを詠った東歌です。
古来,男は自分のモテ具合や恋人の可愛さを第三者に自慢したがる傾向があります。それを聞いた世間の人が恋路の邪魔をするのではないかと心配する女の気持ち。
そんなに男女の傾向は今もそれほど変わらないのかも知れませんね。争ふ(3:まとめ)に続く。

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