2010年7月31日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…遊ぶ(1)

今回は,万葉集に出てくる「遊ぶ」について私の考えを書いてみます。
万葉集には「遊ぶ」を使った和歌が40首近くもあります。
意味は現代の「遊ぶ」とあまり変わらないように感じます。
庭の梅の花を愛でて,屋外(園遊会)や歓送会や友達が集まる宴席で楽しく過ごす。
山に登ったり,川(渓谷)や海に船を浮かべたり,岸を歩いたりして風景・花・動物・紅葉などを眺めて楽しむ。
自分や相手が楽しんでいる状況やもっと楽しんで(遊んで)ほしい希望を詠んだりしています。
今の世の中はもっといろんな遊びがありますが,今でもこのように楽しんで「遊ぶ」ことに特に違和感はないと私は思います。

山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも(15-3618)   詠み人知らず
やまがはの きよきかはせに あそべども ならのみやこは わすれかねつも
<<安芸の国の美しい川瀬で風景を楽しんでも,奈良の都のことを忘れることはできない>>

しなざかる越の君らとかくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ (18-4071) 大伴家持
しなざかる こしのきみらと かくしこそ やなぎかづらき たのしくあそばめ
<<越中の人達とこのようにヤナギの枝を頭に着けたらきっと楽しく過ごせるでしょう>>

また,鳥や子どもが遊んでいる姿を詠んでいる和歌もあります。

鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに (4-711)   丹波大女娘子
かもどりの あそぶこのいけに このはおちて うきたるこころ わがおもはなくに
<<鴨が遊んでいるこの池に木の葉が落ちて浮いているような浮ついた気持ちなど私にはありませんよ>>

ただ,万葉集で「遊ぶ」という言葉を使った和歌の作者は,ほとんどが高級官僚,貴族,またはその家族や恋人のようです。
<庶民たちは?>
東歌や防人の歌に出てくるような下級武士,農業,漁業,林業,小規模な商業でくらしている一般の人々には「遊ぶ」という生活の余裕すらなかった可能性があります。
当時は中国の都をまねた立派な京を造営することが天皇や律令制のトップである右大臣,左大臣が自分力を誇示する上で是非とも目指したいところであったと考えられます。
他国から見て国の成長が遅れていて,貧弱な田舎国家には見られ,大陸から攻めて来られるのを防ぐ意味もあったのかもしれません。
結局その附けは,一般の人々に重税を課したり,過重労働の提供を強要することで実現せざるを得なかったのでしょう。
<高級官僚たちは?>
いっぽうの高級官僚や貴族は,経済的に豊かでも心に余裕のある暮らしであるとは言えなかったのだろうと私は思います。
彼等は権力闘争に明け暮れ,密告や策略の罠に引っ掛からないように常に緊張し続けなければならない時代のだろうと私は想像するのです。
そんな中で,ひと時の宴席,花見,旅行の「遊び」は心をいやす良い機会となったのかも知れません。
また,鳥が花の中を優雅に飛びまわったり,水面にゆったり浮いている姿を羨ましく思い,人間の「遊ぶ」に当てはめたのかもしれません。
日ごろの緊張を忘れ「遊ぶ」ことに対して強い思い入れがあったのでしょう。
「遊ぶ」を使った自作の和歌を9首万葉集に載せている大伴家持は特に心を癒すための「遊ぶ」に対するこだわりがかなり強かったのではないかと私は感じるのです。
遊ぶ(2)に続く。

2010年7月24日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…争ふ(3:まとめ)

何回か前の投稿で触れましたが,我が家の近くの街路樹の百日紅の花が咲き競っています。
猛暑でかなりつらいこの夏ですが,この花の勢いある咲き具合と爽やかな色合いを見ているとしばし暑さを忘れてしまいます。

ところで,万葉集では「争ふ」のほかに「競(きほ)ふ」を詠んだ和歌が10首以上出てきます。
たとえば,次の短歌もそうです。

今日降りし雪に競ひて我が宿の冬木の梅は花咲きにけり (8-1649)
けふふりし ゆきにきほひて わがやどの ふゆきのうめは はなさきにけり
<<今日降った雪と競争するように私の家の冬枯れの梅の木は花が咲いて来たなあ>>

夕されば雁の越え行く龍田山時雨に競ひ色づきにけり (10-2214)
ゆふされば かりのこえゆく たつたやま しぐれにきほひ いろづきにけり
<<夕方になって雁が上を越えていく龍田山が時雨の始まりと競い合って色づいて来たなお>>

これら2首は,季節の移り変わりを示す変化が競っていることを詠っているようです。
太平洋側に近い場所(近畿南部,東海,関東など)は,真冬は寒いばかりで雪はあまり降りません。逆に春が近付くと雪が降る機会が多くなります。
また,山の紅葉は,冷たい時雨(しぐれ)が降る頃になると一層鮮やかに色づき始めます。
このように,季節の移り変わりに同時に起こる変化をとらえて,どちらが先に変化するかを心の中で競わせる。
万葉人の四季に対する思い入れの強さを「争ふ」だけでなく,「競ふ」を使った和歌でも私は感じてしまいます。
「競う」と「争う」
さて,「競う」と「争う」を合わせた言葉に「競争」があります。現代は国際的に熾烈な経済競争が行われていると言われています。
各国は自国の豊さや経済発展を求めて他国や他の地域連合とさまざまな競争をしています。
たとえば,先進国の多くは石油や天然ガスといったエネルギー資源,電子機器,電池などに欠かせないレアメタルなどの鉱物資源,膨大な研究投資で得た技術などの知的財産権といったものを他国に対して優先的に獲得したり保護したりすることに血眼になっています。
そういった努力をしていない国は,例え今が豊かでもやがて技術革新に乗り遅れ,国の富を増加させる手段を無くし,経済的に貧しい国になっていくのです。
そして,国際的な経済競争に取り残され,経済の破たんの危機に直面します。そんな危機に直面した国は,まず食料確保を優先し,医療,福祉,教育といった分野は後回しにされます。
「貧しい国になるリスク
そういう国では,死ななくてもよい治療法の確立されている病気の人が死んだり,将来国を託す人材が育たずさらに貧困を増大させるリスクを負います。
いっぽう,競争に勝つため必死に努力している国も,競争に負け,膨大な研究投資をしたほどは国の富を増加させることができず,経済的に貧しい国になってしまうリスクもあります。
厳しい国と国との競争に勝つためには,国内の企業も競争力をさらにつけていく必要があるといわれています。
そんな企業で働く人々は,結果として社内での成果主義に基づく競争にさらされ,それに勝ち抜く力を求められるのです。
個人は国と国との競争にとどう関わるべきか
私の知人の企業では,勝負にこだわる精神力が強いとうことで,一流スポーツ選手として経験持つ人を社員として積極的に採用しているとの話も聞きます。
これからの社会は,最後は周りの人間に負けない強いメンタルを持つ人たちが生き残っていく勝負の世界が,ますます広がっていくのではないかと私は考えてしまいます。
その意味で,競争(「競う」「争う」)という言葉が持つ今の厳しさと,万葉時代の「競ふ」「争ふ」の柔らかさに大きな違いを感じるのは私だけでしょうか。
私は,人が競い合うことは必要だと思います。ただ,自然を破壊してまで,また万葉集に出てくるような自然と調和しつつ向き合う心の余裕を捨ててまで競争を求められるこれからの時代を,明るい時代だと確信をもってはいえないのです。
遊ぶ(1)に続く。

2010年7月17日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…争ふ(2)

今回は「争ふ」の2回目です。万葉集の和歌に表れる「争ひ兼ねて」という慣用的な表現について触れてみます。
「兼ねる」とは「それはでき兼ねます」「あなたの意見には同意し兼ねます」「私はどうすべきか決め兼ねています」というようなときに使う「できない」という意味を婉曲に表した言葉です。
万葉集で表れる「争ひ兼ねる」は,結局「争うことができない」「勝負にならない」「抵抗できない」「負ける」「押される」「促される」といった意味にとれるようです。

春雨に争ひ兼ねて我が宿の桜の花は咲きそめにけり (10-1869 )
はるさめに あらそひかねて わがやどの さくらのはなは さきそめにけり
<<春雨に抵抗できず我が家の桜の花はついに咲き始めたのです>>

白露に争ひ兼ねて咲ける萩散らば惜しけむ雨な降りそね(10-2116 )
しらつゆに あらそひかねて さけるはぎ ちらばをしけむ あめなふりそね
<<白露に促されてやっと咲いた萩を散らしたら惜しいので雨は降らないでほしいものだ>>

しぐれの雨間なくし降れば真木の葉も争ひ兼ねて色づきにけり(10-2196)
しぐれのあめ まなくしふれば まきのはも あらそひかねて いろづきにけり
<<時雨の雨が間断なく降ると真木の葉もそれに負けて心なしか色づいて来たなあ>>

日本人が持つ季節の変化への非常に繊細な感性があればこそ,このような表現が可能になったと私は強く感じます。
この3首ともに雨や露という水滴が関係しています。
最近各地で浸水や土砂崩れの被害を及ぼしているゲリラ豪雨とは無縁の恵みの小さな水滴です。
これら3首の短歌順に,春の暖かい春雨が花が咲くのを誘う。秋の夜露が秋萩の花を咲かせる。でも,秋の雨は冷たく花を散らせてしまう。
さらに秋も深まり,もっと冷たい時雨が降り続けるようになると杉やヒノキの常緑樹の葉も色づくようだ。
<自然と一体になり,精神的安寧を得る>
季節の変化を「争ひ兼ねて」という擬人的な表現を使うことで自然を人間のように扱い,自身もその中に完全に溶け込み,自然の動きを感じつつ,自身の気持ちが本当に安らいでいるのを感じる。
そんな精神的な安寧を日本人は昔から自然の中に求めてきたのだと私は思うのです。
そして,このように自然に溶け込めたとき,実は日常的なさまざまな争い(競争)に疲れた自分を忘れることがでる。
まさに「争ひ兼ねて」がぴったりの表現だと私は感じます。

うつせみの八十言のへは繁くとも争ひ兼ねて我を言なすな(14-3456)
うつせみの やそことのへは しげくとも あらそひかねて あをことなすな
<<世間の人からいろんなことを言われ煩わしいと思っても,その煩わしさに負けて,つい私との関係を口に出したりしないでね>>

この短歌は,ふたりの関係を世間が詮索するけれど,今のあなたとの恋を続けるために私のことを黙っていてほしいという女性の気持ちを詠った東歌です。
古来,男は自分のモテ具合や恋人の可愛さを第三者に自慢したがる傾向があります。それを聞いた世間の人が恋路の邪魔をするのではないかと心配する女の気持ち。
そんなに男女の傾向は今もそれほど変わらないのかも知れませんね。争ふ(3:まとめ)に続く。

2010年7月10日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…争ふ(1)

最近,奈良市内と明日香を訪れる機会がありました。
奈良のあちこちに奈良遷都1300年記念の垂れ幕や旗が掲げられています。
明日香では,本当に久しぶりに甘樫の丘に登り,展望台から改めて大和三山香具山 畝傍山耳成山)を一望しました。
つかの間の梅雨の晴れ間で,雨の水分を根からも葉からたっぷり吸った眼下の木々の緑が目に痛いほど鮮やかでした。
家々や送電線などの人工物を除いた風景イメージを想像すると,昔も同じ風景が丘の上から望めたのだろう。
そして,万葉集を少し嗜んでいた学生時代に,この展望台に立ったときの記憶が鮮やかに蘇ってきました。
さて,この大和三山を詠んだ万葉集の和歌に,中大兄皇子(後の天智天皇)が詠んだとされる次の有名な長歌があります。

香具山は畝傍ををしと 耳成と相争ひき 神代よりかくにあるらし 古もしかにあれこそ うつせみも妻を争ふらしき (1-13)
かぐやまは うねびををしと みみなしと あひあらそひき かむよより かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを あらそふらしき
<<香具山は畝傍山を愛し,同じく畝傍山を愛している耳梨山と争ったそうだよ。神代から争っていたらしいよ。昔からずっとそうだった。だから,今の人も妻にしようと争うこともあるんだって>>

畝傍山が女性で,香具山と耳成山が畝傍山を妻にすべく争ったふたりの男性というのが通説のようです。
この長歌は本当に中大兄皇子が詠んだのかという疑問は残りますが,今昔にかかわらず異性をめぐる三角関係で争いが起こるのは常だったように感じさせる簡潔な長歌です。
人間も生物である以上,強い遺伝子を残すため,異性をめぐって争う傾向が本能として備わっていても不思議ではありません。
実は,この背景に中大兄皇子と大海人皇子(後の天武天皇)は額田王をどちらの妻とするかで争ったのではないかという逸話があるといいます。
この大和三山の歌は,額田王をめぐって両兄弟の争いを心配した周囲に対して,中大兄皇子が詠んだ歌としたのかも知れません。
「そんな争いは昔からあり,珍しいことではないよ」と。

香具山と耳成山とあひし時立ちて見に来し印南国原(1-14)
かぐやまと みみなしやまと あひしとき たちてみにこし いなみくにはら
<<香具山と耳成山が争ったとき,(出雲の阿菩大神が)仲裁のために見に来たのが印南国原という地だ>>

印南国原は今の兵庫県の旧印南郡とされ,加古川流域の平野を指しているようです。
中大兄皇子がこの長歌と反歌を詠んでいると設定されている場所は,印南国原付近の港なのでしょう。
香具山と耳成山との争いは仲裁のために阿菩大神出雲から明日香に行く途中(印南国原)で争いがなくなったとの報を聞き,ここで帰ってしまったという言い伝えがあったそうです。
中大兄皇子は大海人皇子の不仲を気にする周囲に対して,逸話を例えに「そんなことを気にするな!これから領土平定・拡大への船出だ!」と鼓舞したかったのかもしれませんね。

万葉集は,いわゆる「大化の改新」,そして後の「壬申の乱」など,次々起こる権力闘争を背景とし,その中で起こる異性をめぐる争いを隠喩的(メタフォリカル)に表現した和歌が結構あるように感じます。
争ふ(2)に続く。

2010年7月2日金曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…染む(3:まとめ)

前回触れた壱岐の麦焼酎「天の川」を先週土曜の昼頃インターネットで注文したら,何と翌日曜の夜に届きました。本当に便利な時代になりましたね。
天の川君が寝ている間に,早速口を開けて,私が普通焼酎を飲むときの飲み方(ロック)で飲みました。
非常にまろやかで,芳醇さを感じる焼酎です。天の川君の性格と正反対かな。
ちょっと,今まで飲んだ麦焼酎とは違う,奥深い味わいで,買って良かったと思います。
後日,水割り,お湯割り,ストレートでも味わいました。
それぞれ異なる良い味わいを感じましたが,やはり私にはロックが一番合いました。
さて,「染む」の最終回として,万葉集から次の短歌を紹介します。

浅緑染め懸けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも(10-1847)
あさみどり そめかけたりと みるまでに はるのやなぎは もえにけるかも
<<浅緑に染めた糸を掛けたように春の柳が芽吹いています>>


      
この詠み人知らずの短歌は,ネコヤナギの花穂の毛を見て詠んだのではないかと私は思います。
猫の毛を思わせる花穂の毛の色はまさに薄緑に染めた糸でできたように見えたのではないでしょうか。

         出典:草花写真館(本館)のWebページ
「染む」は「初む」と同じ発音でもあり,何かの変化が始まる初期段階のイメージを持つかもしれません。
ただ,虜になるという強い完結した表現にも使われます。
さまざまな「染む」を詠みこんだ和歌が万葉集にあることを見ると,当時の染色は同じ色でも濃く染めたり,薄く染めたりする技術が当然のように確立され,さらに濃淡をアレンジして現代でいう「グラデーション」を表す染色技術もあったとさえ想像できます。
当時の染色技術者は,自然界の色の美しさや繊細さを染めものに表現しようと必死になって試行錯誤(研究)を繰り返していたのではないでしょうか。
また,万葉歌人の中には,色彩に関する豊かな感性を十分持っていた人々がいたと私には思えてなりません。
<現代人は割と画一的?>
いっぽう現代人はいろんな考えや価値観の情報,周りの人の行動などに影響されて(振り回されて),結局は割と画一的な考えに染まっているのではないでしょうか。
もう少し,自然の変化を意識して見て,その変化と日常生活との共通点を生活のリズムに取り入れてみたらどうかなと私は思います。
たとえば,今梅雨の真っ只中ですが,雷が鳴るようになったのでそろそろ梅雨も末期かもしれないと考えてみる。そうすると梅雨は結構早く明けるかもしれず,酷暑の可能性さえある。今のうちにエアコンを買うなど暑さ対策を早めにしよう。早めに夏山登山計画でもしようとか考えるのも面白いかもしれません。
<事前の変化にもう少し敏感になっては?>
私の近所の幹線道路には街路樹として百日紅(サルスベリ)が一定間隔で植えられています。今年も一部の木から咲き始めました。
これから赤,紫,白の百日紅の花が次々と咲いて,街路を美しく染めていくことを想像すると,本格的な夏を待ち遠しく感じてしまいます。
また,近所の裏道の道沿いで割と日陰になりやすい箇所には,ドクダミの小さな群生地があります。可愛らしい白い花が緑の(葉の)布地iにあちこち白く染め抜かれたように咲いています。

天の川君,我が家の初鰹(この夏初めて食べる)のタタキでも肴に焼酎「天の川」を一緒に呑もうか。

天の川 「ZZZ…Z」

あ~!!。半分以上残してあったボトルを天の川に全部呑まれてしまった。天の川のヤツ,も~許さん! 争ふ(1)に続く。