最愛の恋人との逢瀬,家族や友人の帰りを待つ行為など,その前段階では何らかの別れがあることが多いのではないでしょうか。
たとえば,恋人とのデートが終り別れた後次のデートまで待つ,遠くへ旅立った(旅立ちの別れをした)家族,友人,恩人の帰りを待つ,朝出勤の別れをした夫の帰りを待つ(※)などです。
※これは新婚のあいだだけかも?
万葉集でも上官の旅立ちに贈った次のような短歌があります。
立ち別れ君がいまさば磯城島の人は我れじく斎ひて待たむ(19-4280)
<たちわかれきみがいまさば しきしまのひとはわれじく いはひてまたむ>
<<別れてお行きになる貴方様が出発された後,大和の人はみな私のように貴方様のご無事を祈ってお帰りをお待ちしているでしょう>>
いっぽうの松ですが,松の生えている場所は人を待つ場所,別れを惜しむ場所として万葉時代から定番になっていたようです。
さしずめ,万葉時代に別れと出逢い(待ち合わせ)のあるトレンディドラマの撮影をしたとすると,海岸や湖岸などに生えている松林がロケ地に多く選ばれたかも知れません。
<松浦佐用姫の伝説>
「待つと松」の関係ですが,万葉集で枕詞「松が根の」は「待つ」に掛る用例(13-3258)があます。
同巻5では当時も松林が美しいかったと思われる佐賀県松浦海岸を舞台とした松浦作用姫の悲恋物語(逸話)を題材に,何首かの短歌が収録されています。
ちなみに,作用姫逸話のあらすじは次のようなものです。
6世紀,朝廷の令で百済救済を派遣された青年武将大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は途中停泊地の松浦に寄港。
松浦に住む長者の娘、佐用姫(さよひめ)と深い恋に落ちた(松浦海岸の松林でデートを重ねたのでしょう)。
やがて,突然の出航を知らされた作用姫は鏡山(佐賀県唐津市)に登り軍船に向かって一生懸命領巾(ひれ)を振り続けた。
それでも名残りは尽きず,玄界灘そして遠く壱岐島が見える加部島(佐賀県唐津市)まで追いかけた。
しかし,すでに船の姿は無く,作用姫は悲しみの余り七日七晩泣き続け,ついに石と化して,狭手彦の帰りを待ち続けた。
次は「待つと松」を意識した万葉集作用姫題材の短歌です。
音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山(5-883)
<おとにききめにはいまだみず さよひめがひれふりきとふ きみまつらやま>
<<人伝には聞きましたがまだ見たことはありません、佐用姫が領巾を振ったという君を待つ松浦の山は>>
<松と待つは現代までも>
ところで年代がそれなりの方は,昭和40年代「松の木ばかりがまつじゃない。(中略)あなた待つのもまつのう~ち。」とヒットした「松の木小唄」も「待つと松」を掛け合わせた歌詞だということをご存知ですよね。
こうみると「待つ」と「松」のペアは,時代を超え強い関係を維持しているように私には思えます。
ちなみに「『松の木小唄』は知っているけどそれなりの年代と違います」という読者のみなさん,お父さんから聞いたことにしておいても構いませんよ。待つ(3)に続く。
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