引き続き,「に」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)
和魂(にきたま)…柔和・情熱等の徳を備えた神霊、霊魂。
柔肌(にきはだ)…柔らかな肌。
和草(にこぐさ)…小草が生え始めてやわらかなさま。
俄(にはか)…だしぬけ。突然。
潦(にはたづみ)…雨が降って地上にたまり流れる水。
贄,牲(にへ)…早稲を刈って神に供え,感謝の意を表して食べる行事。
鳰鳥(にほとり)…カイツブリの古名。
潦(にはたづみ)を詠み込んだ詠み人知らず和歌を紹介します。
甚だも降らぬ雨故 潦 いたくな行きそ 人の知るべく(7-1370)
<はなはだも ふらぬあめゆめ にはたづみ いたくなゆきそ ひとのしるべく>
<<大して降らない雨だから 潦のようにあちこちたくさん水は流れるなよ 他人に知られるほど>>
この和歌は,雨に寄せる恋の譬喩歌です。雨によってできた潦(水たまり)から流れる水を自分と恋人との仲に関する世間の噂に譬えたものです。
潦は「川」、「ながる」、「行方しらぬ」の枕詞としても使われているようで,まさに予測できない方向と速さで流れる噂の譬えとしてはぴったりですよね。
この和歌,噂が出るほど大して逢っていないのだから,知らないふりして静かに見守ってほしいという作者の気持が込められているように私は感じます。
作者の名前がわかっていても詠み人知らずにする方が説得力がでる和歌ではないでしょうか。
身分制度(律令冠位制)が確立されつつある時代「あんな身分不相応な相手と付き合っている」という噂が経つと周囲が恋路の邪魔をすることも考えられますからね。
古来,恋人同士の価値観は,ただ「大好きなあの人を独占したい」,「大好きになったのは人であり,その人の身分や家柄は関係ない」という時代によってあまり変わらないものかもしれません。
一方,為政者が推進する社会システムは,時として個人の恋の価値観と大きなギャップを発生させ,葛藤が生まれる。
以前にもこのブログで書きましたが,その葛藤こそが文学の大きなテーマは一つだと私は思います。
恋人同士は「もっと逢いたい」という気持ちが強いから,何度も逢っても逢っても「大して逢っていない」と思うはずです。
ただ,そんな噂が立つと周囲が反対するような恋路の方が,実は恋心がさらに燃え上がる。そんな気持ちを詠った和歌が万葉集にはたくさんあります。(「ぬ」「ね」で始まる難読漢字に続く)
2009年10月25日日曜日
2009年10月18日日曜日
万葉集で難読漢字を紐解く(な~)
難読漢字シリーズ前回一回お休でしたが,再開し「な」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)。
乍ら(ながら)…そのまま~として。~のままで。~つつ。
水葱(なぎ)…ミズアオイの古名。
和ぐ(なぐ)…穏やかになる。風や波が静まる。
余波(なごり)…風がおさまってもなおしばらく波の立っていること。波が退いた後に残る泡や海藻。
夏麻(なつそ)…夏,麻畑から取った麻。
泥む(なづむ)…行き悩む。離れずからみつく。悩み苦しむ。
棗(なつめ)…ナツメの木,その実。
莫告藻、神馬藻(なのりそ)…ホンダワラの古称。
靡く(なびく)…風・水などに押されて横に伏す。他人の威力・意志などに従う。魅力にひかれて心を移す。従わせる。
鱠(なます)…魚貝、獣などの肉を細かく切ったもの。
均す、平す(ならす)…平らにする。
生業(なりはひ)…五穀が生るように務める業。農作。生産の業。作物。
梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く(16-3834)
<なしなつめ きみにあはつぎ はふくずの のちもあはむと あふひはなさく>
<<梨・棗・黍(君)に粟(逢)いたい。は(逢)う葛の蔓のように また後で葵(逢)えると花が咲くようだ>>
この詠み人知らずの和歌は,キビを君,アワを逢う,述ふを逢う,アオイを逢うと掛けてコミカルに自分の逢いたい気持ちを表していると私は感じました。
私は,この和歌を始めて見たとき,往年の映画スターで歌手の小林旭が1964年(東京オリンピックの年)に歌った「自動車ショー歌」を思い浮かべました。これは,日本語に外車,日本車の車名,メーカー名を当てはめ男女の仲をコミカルに歌ったものです。
例えば,彼女に「日参(ニッサン)する」,「肘鉄食らう(クラウン)」,「ケロッ(キャロル)と忘れる」,「大好き(オースチン)」,「昼間(ヒルマン)から」などです。
天の川『たびとはん。ようこんな古い歌謡曲知ってはんな~。』
天の川君,興味あれば「YouTube」などで全部を聞いてくれたまえ。
さて,この「自動車ショー歌」の替え歌やカクテル版などパロディーものがその後何曲か出ています。
この詠み人知らずの和歌も,その後に植物の名前の別バージョン,動物や人の名前の替え歌などを後世の人は詠ったのかも知れませんね。
この他にもこういうさまざまな名称が盛り込まれた和歌が万葉集にはあります。万葉集がなかったら,後世消えて無くなってしまうか,意味不詳となった言葉がたくさん出たのではないかと思います。
<デジタル技術の急速な発展と万葉集>
ところで,現代ではデジタル技術の急速な発展によって,膨大な情報をすべて記録に残すことが容易にできるようになりました。例えば,今1テラ(兆)バイト(半角英数字1字)のハードディスクが1万円前後で手に入ります。後2~3年で4テラバイトまたは8テラバイトのハードディスクが数万円で手に入るのは間違いないでしょう。8テラバイトというデータ容量は,全世界の人口を仮に100億人とすると,全世界すべての人の名前,性別,生年月日,血液型,住所,連絡先,学歴,職業などの情報を十分格納できる容量です。
しかし,誰にとっても価値ない情報,使われない情報,有害な情報はいくら記録として残しても意味はありません。記録に残すことが容易になった現在一体何を将来に残すのか。万葉集にそのヒントが含まれているように考えるのは私だけでしょうか。
万葉集の編者が,奈良時代にどんな価値観で万葉集に残す和歌を選んだのか。これまでに何度かここで書いていますが,これは万葉集に対する私のもっとも興味を持つテーマです。
たとえば,万葉集の編者が残したかったのはいわゆる優れた和歌という価値観だけではなく,実はここで示した和歌のように,やまと言葉を残したいという価値観も強くあったのではないか。この仮説を検証することもそのテーマに含まれます。 (「に」で始まる難読漢字に続く)
乍ら(ながら)…そのまま~として。~のままで。~つつ。
水葱(なぎ)…ミズアオイの古名。
和ぐ(なぐ)…穏やかになる。風や波が静まる。
余波(なごり)…風がおさまってもなおしばらく波の立っていること。波が退いた後に残る泡や海藻。
夏麻(なつそ)…夏,麻畑から取った麻。
泥む(なづむ)…行き悩む。離れずからみつく。悩み苦しむ。
棗(なつめ)…ナツメの木,その実。
莫告藻、神馬藻(なのりそ)…ホンダワラの古称。
靡く(なびく)…風・水などに押されて横に伏す。他人の威力・意志などに従う。魅力にひかれて心を移す。従わせる。
鱠(なます)…魚貝、獣などの肉を細かく切ったもの。
均す、平す(ならす)…平らにする。
生業(なりはひ)…五穀が生るように務める業。農作。生産の業。作物。
梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く(16-3834)
<なしなつめ きみにあはつぎ はふくずの のちもあはむと あふひはなさく>
<<梨・棗・黍(君)に粟(逢)いたい。は(逢)う葛の蔓のように また後で葵(逢)えると花が咲くようだ>>
この詠み人知らずの和歌は,キビを君,アワを逢う,述ふを逢う,アオイを逢うと掛けてコミカルに自分の逢いたい気持ちを表していると私は感じました。
私は,この和歌を始めて見たとき,往年の映画スターで歌手の小林旭が1964年(東京オリンピックの年)に歌った「自動車ショー歌」を思い浮かべました。これは,日本語に外車,日本車の車名,メーカー名を当てはめ男女の仲をコミカルに歌ったものです。
例えば,彼女に「日参(ニッサン)する」,「肘鉄食らう(クラウン)」,「ケロッ(キャロル)と忘れる」,「大好き(オースチン)」,「昼間(ヒルマン)から」などです。
天の川『たびとはん。ようこんな古い歌謡曲知ってはんな~。』
天の川君,興味あれば「YouTube」などで全部を聞いてくれたまえ。
さて,この「自動車ショー歌」の替え歌やカクテル版などパロディーものがその後何曲か出ています。
この詠み人知らずの和歌も,その後に植物の名前の別バージョン,動物や人の名前の替え歌などを後世の人は詠ったのかも知れませんね。
この他にもこういうさまざまな名称が盛り込まれた和歌が万葉集にはあります。万葉集がなかったら,後世消えて無くなってしまうか,意味不詳となった言葉がたくさん出たのではないかと思います。
<デジタル技術の急速な発展と万葉集>
ところで,現代ではデジタル技術の急速な発展によって,膨大な情報をすべて記録に残すことが容易にできるようになりました。例えば,今1テラ(兆)バイト(半角英数字1字)のハードディスクが1万円前後で手に入ります。後2~3年で4テラバイトまたは8テラバイトのハードディスクが数万円で手に入るのは間違いないでしょう。8テラバイトというデータ容量は,全世界の人口を仮に100億人とすると,全世界すべての人の名前,性別,生年月日,血液型,住所,連絡先,学歴,職業などの情報を十分格納できる容量です。
しかし,誰にとっても価値ない情報,使われない情報,有害な情報はいくら記録として残しても意味はありません。記録に残すことが容易になった現在一体何を将来に残すのか。万葉集にそのヒントが含まれているように考えるのは私だけでしょうか。
万葉集の編者が,奈良時代にどんな価値観で万葉集に残す和歌を選んだのか。これまでに何度かここで書いていますが,これは万葉集に対する私のもっとも興味を持つテーマです。
たとえば,万葉集の編者が残したかったのはいわゆる優れた和歌という価値観だけではなく,実はここで示した和歌のように,やまと言葉を残したいという価値観も強くあったのではないか。この仮説を検証することもそのテーマに含まれます。 (「に」で始まる難読漢字に続く)
2009年10月12日月曜日
投稿50回記念-社会システムの激変・万葉時代と今の時代
今年2月にこのブログを始めて以来,今回で50回目の投稿です。何とか,目標の週1回以上のペースで投稿でき,内容はともかく,満足をしています。
今回は,50回の節目として万葉集から万葉時代にあった社会システムの激変を想像し,今の社会システムの激変について私なりに考えて見てみました。
1.万葉時代の急速な社会システムの変革
日本初の女性天皇推古天皇の時代(6世紀末~7世紀初め),当時の諸外国に負けない近代的な国家にするため,中国の律令制導入を国家として本格的に検討し始めたようです。中国からさまざまな制度や思想を学びとるため,遣隋使が何度か派遣されました。また,多くの渡来人も移住してきて,それまでの島国にはない新しい技術・文化・言葉(外来語)・宗教・思想・慣習などが急速に入ってきたようです。その成果は聖徳太子(厩戸皇子)らによってまとめられたと言われています。
その後,遣唐使の継続的な派遣,いわゆる大化の改新,天智天皇の近江令,壬申の乱を経て天武天皇が推進した飛鳥浄御原令,そして平城京遷都の少し前(701年)に完成した大宝律令で日本の律令制度は頂点に達したと私は想像します。
飛鳥時代から天平時代に至る万葉時代は,当時としては近代的な律令制度が整備され,その強力な実施によって,それまでの日本の仕組みが大きく変わった時代だったと私は考えます。実は,この間約100年ですが,当時の時の流れや伝達の速度が今に比べ何倍もゆったりだったのを考えれば,律令制度導入は非常に急激な変革だったのです。
こういった新しい社会システムを急速に導入するには,従来の社会システムによって長年培われてきた仕組み(地方の豪族がそれぞれの地域を守っていた非中央集権国家)を破壊することが最初に求められます。
従来の社会システムのメリット(良い面)の中に無くなってしまうものが多数出てきます。
一方,新しい社会システムの効果(工業技術や商業の発展,農業の効率化などによるマクロ経済の拡大を経て,富の再配分による民衆の豊かさの実感など)が現れてくるのに一定のタイムラグが必要です。また,その効果は現れても極一部の人たちだけのものである状態が長く続きます。そのため,庶民を中心とした多くの人たちが長い間新しい社会システム導入の影の部分にに戸惑い,苦しむのです。
権力闘争,身分社会,富の集中,貧富の格差拡大,規則に縛られた不自由な社会,重課税負担,徴兵などで大半の人々は塗炭の苦しみを味わった。万葉集の時代はまさにそんな時代だったと私は考えます。
2.現代の急速な社会システムの変革
現代は地球規模で,今までの歴史の中でもっとも急激に社会システムが変わろうとしていると私は感じます。その激変をもたらしている要因はいわゆるIT化です。コンピュータによる今までにない超効率的な社会を目指して,各国や各企業は血眼になってIT化を推進(研究開発)しています。しかし,それができるのは極限られた国(一応日本も含まれますが)だけです。多くの国はIT化に後れをとっています。IT化が進んでいる国とそうでない国との国力の格差は開く一方なのです。
例えば,IT化先進国のファンド会社は,巨額の年金資金(今まで儲けてきたお金)を原資にIT(金融工学)を駆使した金融商品の取引きでさらに巨額の利益を上げようとしました。その利益(①)はいったいどこからくるのでしょう。それは国(国債)や企業(社債,株式,その他証券)の信用からです。信用とは将来一定の利益(②)を産み出すだろうという予測です。金融商品の取引はその信用を先取りして利益(①)を得る行為です。当然,利益(②)は思惑通りに得られるとは限りません。昨年のサブプライムローン破たんのように利益ではなく大きな損失を被ることがあり得ます。
実は利益の①と②はまったく性質の異なるものです。②はモノ(農作物,製造物,ソフトウェア等)を作るときや価値を付加するときの売価とコストの差です。金融商品は,生産現場で②の利益が将来出ることを見越して投資します。投資された側(経営者)は,より利益を出して投資家に株式の配当,分割,さらなる信用増大による株の値上がりで還元し,次の投資を呼び込もうとします。
しかし,その利益は,途上国の貧困や貧富の格差によりもたらされる部分が少なくないと私は感じています。貧しい国や人がいることによって,極めて低賃金や劣悪環境で生産が使え,コストが抑えられる。そのコスト低減で利益が出て,金を持っているが何も生産しない人に利益を還元していることになります。
端的にいうと金融商品で中長期に大きな利益が出せるのは,貧しい生活を強いられている人たちの存在によって成り立っていると私は考えるのです。
今サブプライムローンで信用力を失った企業は,さらにコストを下げるために社内のリストラを行い,そしてさらにはより貧しい国での生産や価格が低い輸入を模索しています。
3.万葉時代と現代の類似点
万葉時代は,律令制度側が,その立場を盤石にするため,貧しい人たちにさらに追い打ちを掛けるように重税を課した(天平文化はそのおかげで開花?)。また,朝鮮半島や蝦夷地からの防衛のため,やみくもに軍事費に莫大な金を掛け,多くの農民を強制的に防人として九州に,蝦夷征伐にとして東国に兵力を配置したと私は考えます。
一方,現代は地球全体規模で,(IT化による)新しい社会システムの変革が行われようとしています。その変革によって,大きく勢力を伸ばしている国々の主導権争いが,今後ますます激しくなるでしょう。ちょうど,飛鳥時代から天平時代にかけての氏間の権力争いのようにです。また,IT化の主導権争いによって,IT化に取り残された人たち(国)の中に翻弄され,犠牲になる国や人々がこれから地球規模でもっと起こるような気がします。
歴史の大きな変化(流れ)を逆廻りさせることはできません。もしかしたら,今の激変の流れは地球規模の中央集権化が達成されるまで続くのかも知れません。かといって,大きな流れを推進する側の視点だけの記録しか残らないとすると,犠牲になった人たちは救われません。
4.万葉集の独自性
こんな時代だからこそ,私は万葉集を編纂した人たちに共感を感じます。万葉集が当時の最大権力者(藤原氏)にとって反逆書として扱われ,編纂者が処罰を受けるかもしれないという相当なリスク覚悟で編纂されたのだろうと私は想像します。
新しい社会システムを導入する側は,その影の部分を隠そうとするだけでなく,歴史書(日本書紀,古事記等)の記述も自らの正当化のため偏らせることも考えられます。本当は,苦しめられる側の歴史書があって公平性が保たれるはずですが,そういう苦しい立場の人たちは歴史書を編纂するお金も能力も持ち合わせていません。どうしても記録書として歴史に残るものには,当時の為政者側(勝ち組)を正当化する偏った資料になってしまうと私は考えます。
ところが,万葉集の防人の歌や東歌の中に「敵(朝鮮半島,蝦夷)が攻めてきたら撃退してやるぞ!」という勇ましいものはありません。為政者側が自分たちを正当化するのであれば「国のために頑張るぞ!」という歌がもう少し選ばれてもよさそうです。
もちろん万葉集には為政者の象徴である天皇礼賛の和歌は確かに多くあります。ただ,律令制度の推進者としてではないように思います。逆に,律令制度が導入される前,地方豪族の長としての天皇中心でもっと平和だった(権力闘争による犠牲者はこんなにひどくなかった)という懐かしみを込めた視点と私には感じられるのです。
5.このブログのこれから
さて,一市民である私は,この時代の変革の流れに対して,具体的に何もできないかもしれません。ただ,IT業界にいるものの一人として,これからこのブログで万葉集を通しつつも,今の新しい社会システムの変革がもたらすデメリットの部分についても積極的に発信し,記録に残していこうと考えています。
今回は,50回の節目として万葉集から万葉時代にあった社会システムの激変を想像し,今の社会システムの激変について私なりに考えて見てみました。
1.万葉時代の急速な社会システムの変革
日本初の女性天皇推古天皇の時代(6世紀末~7世紀初め),当時の諸外国に負けない近代的な国家にするため,中国の律令制導入を国家として本格的に検討し始めたようです。中国からさまざまな制度や思想を学びとるため,遣隋使が何度か派遣されました。また,多くの渡来人も移住してきて,それまでの島国にはない新しい技術・文化・言葉(外来語)・宗教・思想・慣習などが急速に入ってきたようです。その成果は聖徳太子(厩戸皇子)らによってまとめられたと言われています。
その後,遣唐使の継続的な派遣,いわゆる大化の改新,天智天皇の近江令,壬申の乱を経て天武天皇が推進した飛鳥浄御原令,そして平城京遷都の少し前(701年)に完成した大宝律令で日本の律令制度は頂点に達したと私は想像します。
飛鳥時代から天平時代に至る万葉時代は,当時としては近代的な律令制度が整備され,その強力な実施によって,それまでの日本の仕組みが大きく変わった時代だったと私は考えます。実は,この間約100年ですが,当時の時の流れや伝達の速度が今に比べ何倍もゆったりだったのを考えれば,律令制度導入は非常に急激な変革だったのです。
こういった新しい社会システムを急速に導入するには,従来の社会システムによって長年培われてきた仕組み(地方の豪族がそれぞれの地域を守っていた非中央集権国家)を破壊することが最初に求められます。
従来の社会システムのメリット(良い面)の中に無くなってしまうものが多数出てきます。
一方,新しい社会システムの効果(工業技術や商業の発展,農業の効率化などによるマクロ経済の拡大を経て,富の再配分による民衆の豊かさの実感など)が現れてくるのに一定のタイムラグが必要です。また,その効果は現れても極一部の人たちだけのものである状態が長く続きます。そのため,庶民を中心とした多くの人たちが長い間新しい社会システム導入の影の部分にに戸惑い,苦しむのです。
権力闘争,身分社会,富の集中,貧富の格差拡大,規則に縛られた不自由な社会,重課税負担,徴兵などで大半の人々は塗炭の苦しみを味わった。万葉集の時代はまさにそんな時代だったと私は考えます。
2.現代の急速な社会システムの変革
現代は地球規模で,今までの歴史の中でもっとも急激に社会システムが変わろうとしていると私は感じます。その激変をもたらしている要因はいわゆるIT化です。コンピュータによる今までにない超効率的な社会を目指して,各国や各企業は血眼になってIT化を推進(研究開発)しています。しかし,それができるのは極限られた国(一応日本も含まれますが)だけです。多くの国はIT化に後れをとっています。IT化が進んでいる国とそうでない国との国力の格差は開く一方なのです。
例えば,IT化先進国のファンド会社は,巨額の年金資金(今まで儲けてきたお金)を原資にIT(金融工学)を駆使した金融商品の取引きでさらに巨額の利益を上げようとしました。その利益(①)はいったいどこからくるのでしょう。それは国(国債)や企業(社債,株式,その他証券)の信用からです。信用とは将来一定の利益(②)を産み出すだろうという予測です。金融商品の取引はその信用を先取りして利益(①)を得る行為です。当然,利益(②)は思惑通りに得られるとは限りません。昨年のサブプライムローン破たんのように利益ではなく大きな損失を被ることがあり得ます。
実は利益の①と②はまったく性質の異なるものです。②はモノ(農作物,製造物,ソフトウェア等)を作るときや価値を付加するときの売価とコストの差です。金融商品は,生産現場で②の利益が将来出ることを見越して投資します。投資された側(経営者)は,より利益を出して投資家に株式の配当,分割,さらなる信用増大による株の値上がりで還元し,次の投資を呼び込もうとします。
しかし,その利益は,途上国の貧困や貧富の格差によりもたらされる部分が少なくないと私は感じています。貧しい国や人がいることによって,極めて低賃金や劣悪環境で生産が使え,コストが抑えられる。そのコスト低減で利益が出て,金を持っているが何も生産しない人に利益を還元していることになります。
端的にいうと金融商品で中長期に大きな利益が出せるのは,貧しい生活を強いられている人たちの存在によって成り立っていると私は考えるのです。
今サブプライムローンで信用力を失った企業は,さらにコストを下げるために社内のリストラを行い,そしてさらにはより貧しい国での生産や価格が低い輸入を模索しています。
3.万葉時代と現代の類似点
万葉時代は,律令制度側が,その立場を盤石にするため,貧しい人たちにさらに追い打ちを掛けるように重税を課した(天平文化はそのおかげで開花?)。また,朝鮮半島や蝦夷地からの防衛のため,やみくもに軍事費に莫大な金を掛け,多くの農民を強制的に防人として九州に,蝦夷征伐にとして東国に兵力を配置したと私は考えます。
一方,現代は地球全体規模で,(IT化による)新しい社会システムの変革が行われようとしています。その変革によって,大きく勢力を伸ばしている国々の主導権争いが,今後ますます激しくなるでしょう。ちょうど,飛鳥時代から天平時代にかけての氏間の権力争いのようにです。また,IT化の主導権争いによって,IT化に取り残された人たち(国)の中に翻弄され,犠牲になる国や人々がこれから地球規模でもっと起こるような気がします。
歴史の大きな変化(流れ)を逆廻りさせることはできません。もしかしたら,今の激変の流れは地球規模の中央集権化が達成されるまで続くのかも知れません。かといって,大きな流れを推進する側の視点だけの記録しか残らないとすると,犠牲になった人たちは救われません。
4.万葉集の独自性
こんな時代だからこそ,私は万葉集を編纂した人たちに共感を感じます。万葉集が当時の最大権力者(藤原氏)にとって反逆書として扱われ,編纂者が処罰を受けるかもしれないという相当なリスク覚悟で編纂されたのだろうと私は想像します。
新しい社会システムを導入する側は,その影の部分を隠そうとするだけでなく,歴史書(日本書紀,古事記等)の記述も自らの正当化のため偏らせることも考えられます。本当は,苦しめられる側の歴史書があって公平性が保たれるはずですが,そういう苦しい立場の人たちは歴史書を編纂するお金も能力も持ち合わせていません。どうしても記録書として歴史に残るものには,当時の為政者側(勝ち組)を正当化する偏った資料になってしまうと私は考えます。
ところが,万葉集の防人の歌や東歌の中に「敵(朝鮮半島,蝦夷)が攻めてきたら撃退してやるぞ!」という勇ましいものはありません。為政者側が自分たちを正当化するのであれば「国のために頑張るぞ!」という歌がもう少し選ばれてもよさそうです。
もちろん万葉集には為政者の象徴である天皇礼賛の和歌は確かに多くあります。ただ,律令制度の推進者としてではないように思います。逆に,律令制度が導入される前,地方豪族の長としての天皇中心でもっと平和だった(権力闘争による犠牲者はこんなにひどくなかった)という懐かしみを込めた視点と私には感じられるのです。
5.このブログのこれから
さて,一市民である私は,この時代の変革の流れに対して,具体的に何もできないかもしれません。ただ,IT業界にいるものの一人として,これからこのブログで万葉集を通しつつも,今の新しい社会システムの変革がもたらすデメリットの部分についても積極的に発信し,記録に残していこうと考えています。
2009年10月5日月曜日
万葉集で難読漢字を紐解く(と~)
引き続き,「と」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)。
栂(とが)…ツガ(植物)と同意。
咎む(とがむ)…取り立てて言う。責める。非難する。
非時香菓(ときじくのかくのこのみ)…橘(タチバナ)の古称。
常磐(ときは)…常に変わらない岩。永久不変なこと。常緑であること。
鳥座(とぐら)…鳥のねぐら。
常滑(とこなめ)…岩にいつも生えている水苔。水苔でいつも滑らかな岩床。
常処女(とこをとめ)…とこしえに若い女。いつも変らぬ若々しい少女。
刀自(とじ)…家事をつかさどる女性。
離宮(とつのみや)…離宮(りきゅう)、外宮(げくう)。
舎人(とねり)…下級官人。
侍宿,宿直(とのゐ)…宮中・役所などに泊まり込みで勤務・警戒すること。
鳥総(とぶさ)…きこりが木を切った時、伐った梢をその株に立てて山神を祭ったもの。
跡見(とみ)…鳥獣が通った跡を見て獲物の居場所を考えること。
尋む(とむ)…たずねる。たずね求める。
艫(とも)…船の最後尾。
鞆(とも)…弓を射る時に,左手内側につけ,弦が釧などに触れるのを防ぐ丸い皮製の具。
乏し、羨し(ともし)…めずらしくて心が引かれる。
響む(とよむ)…鳴り響く、鳴り渡る。
撓らふ(とよらふ)…揺れ動く。揺れる。
この中から,非時香菓(ときじくのかくのこのみ),常磐(ときは)が出てくる大伴家持が越中で詠んだ長歌(18-4111)を紹介します。
長歌は長いので,ストーリとこの言葉が引用されている前後を紹介することにとどめます。
<長歌ストーリ>
天皇が神であった時代,田道間守(たぢまもり)という人が,常世の国に渡り,いつも芳しい香りがする木の実(橘)をお持ち帰られ,日本の国狭しと生え栄えている。
春には新芽が萌え,花が咲く夏にはその花を娘たちにプレゼントし,娘たちは花が枯れるまでその香りを満喫する。こぼれ落ちた若い実は玉として紐を通して手首に巻いても飽きない。秋の冷たい時雨の時にも黄色に熟した橘の実は明るく見える。冬になっても,葉は枯れず緑のままで盛んに繁っている。そのため,橘のことをいつも芳しい香りがする木の実と名付けなさったに違いない。
<言葉の引用箇所>
~八桙持ち参ゐ出来し時 非時香菓を 畏くも残したまへれ~
<~やほこもちまゐでこしとき ときじくのかくのこのみを かしこくものこしたまへれ~>
<<~多くの矛持って天皇に参上なさった時,いつも芳しい香がする実がなる木(橘)をお遺しになったので~>>
~霜置けどもその葉も枯れず 常磐なすいや栄生えに~
<~しもおけどそのはもかれず ときはなすいやさかはえに~>
<<~霜が降りてもその葉は枯れることはなく,常に緑で何と盛んに生えている状態で~>>
~この橘を 非時香菓と 名付けけらしも
<~このたちばなを ときじくのかくのこのみと なづけけらしも>
<<~この橘の実を「いつも芳しい香りのする木の実」とお名づけになったに違いない>>
この長歌の後,家持は次の短歌を詠んでいます。
橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し(18-4412)
<たちばなははなにもみにもみつれども いやときじくになほしみがほし>
<<橘は花も実も見ているが、いよいよいつまでも見ていたいものだ>>
天皇家の親族である葛城王が母の縣犬養三千代の姓(元明天皇から授かった)である橘氏を名乗り(天平8年:736年),葛城王自身も橘諸兄と改名しました。ここから奈良時代から平安中期まで名家といわれた橘氏が始まったようです(諸兄は後に正一位,左大臣まで昇進)。
家持が詠んだこの和歌二首は,親交が厚かったといわれている橘諸兄に橘氏の名乗りを受け「橘の和歌」と題して送ったのかも知れません。
この和歌のどこにも明確には書いていませんが「橘氏と末永くこれまで以上にお付き合いをしたい」というメッセージが込められているようにも取れそうです。
藤原氏の権力集中を思わしく考えていなかった家持が諸兄に接近するのは当然なのですが,その接近が後に藤原氏(仲麻呂)の標的になったかもしれません(諸兄の息子が起こした橘奈良麻呂の乱で関係の深い大伴池主が連座)。
しかし,そういった生臭い政争の歴史を背景にこの和歌を解釈するのではなく,純粋に和歌として解釈するとまた違った見方ができるのではないでしょうか。
すなわち,この和歌は橘を丁寧に解説しているという見方です。
この和歌から当時の橘について分かることは,「非時香菓」という古称がある,他国から持ち込まれという言い伝えがある,日本のあちこちに繁茂している,花は可憐で香が良く娘たちに人気がある,小さな実は瑞々しい緑から鮮やかな黄色に熟する,いつも青々とした常緑樹,いつ見ても飽きない風情があるなど。
まるで橘の苗を売っている業者のパンフレットのような和歌ですね。
私は,このブログ開始にあたって「万葉集が大和ことばの用例提示や解説を目的で編纂されたのかも知れない」と書いたのは,この和歌のようにさまざまなことば(動植物の名前,地名,一般名詞,冠位,動詞,形容詞,感嘆詞など)の使い方や解説を含んだ和歌がたくさん出てくるからなのです。
家持が越中赴任時にこの和歌を作った当時の目的は政治的なものも含まれていたかもしれません。しかし,家持が晩年万葉集を編纂する際にこの和歌を選んだ理由は別(橘という木はどんなものかの紹介?)だったと私は思うのです。(次回難読シリーズは休み。投稿50回記念特集の予定)
栂(とが)…ツガ(植物)と同意。
咎む(とがむ)…取り立てて言う。責める。非難する。
非時香菓(ときじくのかくのこのみ)…橘(タチバナ)の古称。
常磐(ときは)…常に変わらない岩。永久不変なこと。常緑であること。
鳥座(とぐら)…鳥のねぐら。
常滑(とこなめ)…岩にいつも生えている水苔。水苔でいつも滑らかな岩床。
常処女(とこをとめ)…とこしえに若い女。いつも変らぬ若々しい少女。
刀自(とじ)…家事をつかさどる女性。
離宮(とつのみや)…離宮(りきゅう)、外宮(げくう)。
舎人(とねり)…下級官人。
侍宿,宿直(とのゐ)…宮中・役所などに泊まり込みで勤務・警戒すること。
鳥総(とぶさ)…きこりが木を切った時、伐った梢をその株に立てて山神を祭ったもの。
跡見(とみ)…鳥獣が通った跡を見て獲物の居場所を考えること。
尋む(とむ)…たずねる。たずね求める。
艫(とも)…船の最後尾。
鞆(とも)…弓を射る時に,左手内側につけ,弦が釧などに触れるのを防ぐ丸い皮製の具。
乏し、羨し(ともし)…めずらしくて心が引かれる。
響む(とよむ)…鳴り響く、鳴り渡る。
撓らふ(とよらふ)…揺れ動く。揺れる。
この中から,非時香菓(ときじくのかくのこのみ),常磐(ときは)が出てくる大伴家持が越中で詠んだ長歌(18-4111)を紹介します。
長歌は長いので,ストーリとこの言葉が引用されている前後を紹介することにとどめます。
<長歌ストーリ>
天皇が神であった時代,田道間守(たぢまもり)という人が,常世の国に渡り,いつも芳しい香りがする木の実(橘)をお持ち帰られ,日本の国狭しと生え栄えている。
春には新芽が萌え,花が咲く夏にはその花を娘たちにプレゼントし,娘たちは花が枯れるまでその香りを満喫する。こぼれ落ちた若い実は玉として紐を通して手首に巻いても飽きない。秋の冷たい時雨の時にも黄色に熟した橘の実は明るく見える。冬になっても,葉は枯れず緑のままで盛んに繁っている。そのため,橘のことをいつも芳しい香りがする木の実と名付けなさったに違いない。
<言葉の引用箇所>
~八桙持ち参ゐ出来し時 非時香菓を 畏くも残したまへれ~
<~やほこもちまゐでこしとき ときじくのかくのこのみを かしこくものこしたまへれ~>
<<~多くの矛持って天皇に参上なさった時,いつも芳しい香がする実がなる木(橘)をお遺しになったので~>>
~霜置けどもその葉も枯れず 常磐なすいや栄生えに~
<~しもおけどそのはもかれず ときはなすいやさかはえに~>
<<~霜が降りてもその葉は枯れることはなく,常に緑で何と盛んに生えている状態で~>>
~この橘を 非時香菓と 名付けけらしも
<~このたちばなを ときじくのかくのこのみと なづけけらしも>
<<~この橘の実を「いつも芳しい香りのする木の実」とお名づけになったに違いない>>
この長歌の後,家持は次の短歌を詠んでいます。
橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し(18-4412)
<たちばなははなにもみにもみつれども いやときじくになほしみがほし>
<<橘は花も実も見ているが、いよいよいつまでも見ていたいものだ>>
天皇家の親族である葛城王が母の縣犬養三千代の姓(元明天皇から授かった)である橘氏を名乗り(天平8年:736年),葛城王自身も橘諸兄と改名しました。ここから奈良時代から平安中期まで名家といわれた橘氏が始まったようです(諸兄は後に正一位,左大臣まで昇進)。
家持が詠んだこの和歌二首は,親交が厚かったといわれている橘諸兄に橘氏の名乗りを受け「橘の和歌」と題して送ったのかも知れません。
この和歌のどこにも明確には書いていませんが「橘氏と末永くこれまで以上にお付き合いをしたい」というメッセージが込められているようにも取れそうです。
藤原氏の権力集中を思わしく考えていなかった家持が諸兄に接近するのは当然なのですが,その接近が後に藤原氏(仲麻呂)の標的になったかもしれません(諸兄の息子が起こした橘奈良麻呂の乱で関係の深い大伴池主が連座)。
しかし,そういった生臭い政争の歴史を背景にこの和歌を解釈するのではなく,純粋に和歌として解釈するとまた違った見方ができるのではないでしょうか。
すなわち,この和歌は橘を丁寧に解説しているという見方です。
この和歌から当時の橘について分かることは,「非時香菓」という古称がある,他国から持ち込まれという言い伝えがある,日本のあちこちに繁茂している,花は可憐で香が良く娘たちに人気がある,小さな実は瑞々しい緑から鮮やかな黄色に熟する,いつも青々とした常緑樹,いつ見ても飽きない風情があるなど。
まるで橘の苗を売っている業者のパンフレットのような和歌ですね。
私は,このブログ開始にあたって「万葉集が大和ことばの用例提示や解説を目的で編纂されたのかも知れない」と書いたのは,この和歌のようにさまざまなことば(動植物の名前,地名,一般名詞,冠位,動詞,形容詞,感嘆詞など)の使い方や解説を含んだ和歌がたくさん出てくるからなのです。
家持が越中赴任時にこの和歌を作った当時の目的は政治的なものも含まれていたかもしれません。しかし,家持が晩年万葉集を編纂する際にこの和歌を選んだ理由は別(橘という木はどんなものかの紹介?)だったと私は思うのです。(次回難読シリーズは休み。投稿50回記念特集の予定)
登録:
投稿 (Atom)